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大人の顔

 多少疲れたようで気が付けば笑顔を忘れていました。おー、勿体無い、この世の中笑顔さえ維持できれば幸せになれるのに不幸に向かいたいのか?まあ、多少の波風は好きですが世のため人のため、もちろん自分のために笑顔を忘れない!

 真面目な時には真面目な顔が必要です。まあ、時間はかかったけど流石にそれぐらいは学びました。ですが、それ以外の時には笑顔は最高の武器です。武器って言うぐらいですから攻撃力があります。攻めるは一番の防御!知ってましたか?

 自分のことを相変わらず不器用だと思いながらも随分と場数を踏んで起用とまでは言えないけれども自分と折り合いがついているように思えます。今はまだ意識して笑顔を作っているところがありますが、そのうち口角が上がって無い笑顔に。

 大人の顔というものがあるように思います。正直言うと想像の世界ですが私が練習している笑顔の先にある世界だと思っています。生意気盛りには、想像もしなかった顔がこの先にあるような気がしています。どんな顔なのか、その時が楽しみ。
 

ありがとう

 もし何もなければ何もしないのかな?何もしないというのは、とても退屈で長い時間何もしないでいるというのは退屈だと思う。でも、何かを与えられたとしてもズットそれを続けるというのもなかなか大変だ。時々はさぼってみたいと思うのです。

 何にしても毎日同じことをしているようでも1mmも変化がないとしたら辛いもの。何かしらの変化と感じれるものが欲しいのだけれど贅沢?変化は、自然に訪れるし自分から作り出すこともできる。であるのであれば自分が望む変化が欲しい。

 望ましい変化は、ひとそれぞれ違う。私の望む変化は、人との出会いと別れ、そしてその僅かな時間で人に対する優しさを学び続けること。人生には、終わりがあるけれども私の知りたいことには、終わりがない。その日までは、学び続けたい。

 昨日とても小さな別れがありました。私の小さな目標に対し色々と世話をしてくれた方がいました。小さな目標は達成されたので、もう世話をして貰う必要はなくなりました。どんな別れも私は寂しいです。でも、知りたいことがあるから先に進まなきゃ。
 

悩まない

 出来る人は、そのままでいい。そのまま頑張っていてくれれば幸せになれる。下手な手伝いはしない方がいい。あえて言えば、飽きてしまわないように時々大きな目的目標を語り合えばいい、自律したならば、道を譲って応援すればいい。

 出来ない人は、気になる。一緒にやろうと言ってもこちらを疑う。色々な理由を見つけ出し出来るようになる努力を拒む。出来る出来ないは、努力の積み重ねの差でしかないのに、それを否定する。自分を卑下するコツは、習得している。

 私も大きな努力は出来ない。求めるものもそれほど大きくないから、小さな努力を時々積み重ねる、で何とか足りている。ほんの少し努力したら、それに見合ったご褒美を大切にしている。息抜と達成感が努力のエネルギーだと思っている。

 私は、私の後ろに立ち私と私の見ている人逹を眺めている。私の出来る出来ないの判断基準は当然私なのだから、他の人の判断基準と合う訳もない。私が壊れない程度に応援したり心配したりしながら私なりに生きればいい。みんな一緒。
 

気になる人へ

 努力したいけど努力が苦手な人がいます。そういう人が嫌いなのに自分も人を見て態度を変える人がいます。生きにくいだろうな、とも思いますがそういう生き方が悪いわけではありません。私も一緒ですし。

 私も努力が出来るわけではないし苦手な人もいます。自分と違う個性も小さな子供達であれば大らかに受け入れられますが大人同士となると無邪気なことも言ってられません。生きるに対し危険を感じます。

 それでも私が出来ることは、決まっています。シチュエーションは意識しますが誰かに対しての態度を変えなければ私の行動の仕方も変わりません。僅かな努力を陰で行い何時も明るく振る舞うよう努める。

 気にし過ぎるべきでは無いのです。それぞれがそれぞれに自分勝手に生きればいいのです。自分の生きるに夢中になろう。そうなっていれば、それなりの満足感と周囲が気になってしまうが薄れます。
 

学ぶ順番

 ほぼ何事もやった分だけしか結果が出ません。ただ得手不得手は、ありますので選択は大事です。大体の人は大体のことが出来ますが大体の人と同じレベルです。ずば抜けた出来るを持っているか、関連するプラスアルファを持っているか、大体の人が行かない場所で行うか、などの差別化をしないと大体の人と同じ価値しか認めてもらえません。

 多くの人は自分の才能を信じ自ら学習の場に向かいます。その中でも優劣は、あるでしょう。途中で挫折する人もいれば首席で修了する人もいます。最後尾であっても、終了すればその道に進まなかった人よりも遥かに大きい知識と技能を身に着け必要とされる環境に進むことが出来ます。進んだ先の人間関係が自分に適していれば、更に道が開けます。

 急がば学べ。学ばないで得れる道もあるでしょう。大多数が嫌がる環境であれば望むに近い価値が得れるかも知れません。大多数が嫌がる環境で結果をだせるのであれば、それも才能です。それが出来ないのであれば、自分の可能性に賭けて自分を楽しんでみては如何でしょう。学んでいる自分、頑張っている自分を見るのは、意外に楽しいものなのです。

 最近自分を褒めたことは、ありますか?辛い事を我慢した、酷い仕打ちを許した、新しい環境に向かえた、自分の足で歩けた、生きているだけで大変なのですから褒めることは沢山あると思います。自分を褒めれるのも才能ですが、学べる知識、技能でもあります。自分を褒めれるポジテブは、自分と人を幸せにします。先ずは、そこから学んでみませんか?
 

過去の失敗

 何もかもが順調なのだと思います。色々なことが望む方に進んでいるし必要なことに対する学習時間も取れています。息抜きも取れているし気分転換も出来ている。周囲は応援してくれているし大きなトラブルもない。こういう時は要注意?

 過去には何故か頑張れていると思える時に限って落とし穴がありました。調子に乗っていたのでしょう、好ましいと思われていない人が陰で仕込んだ横やりが飛び出してくるのが常でした。あれは私のコミュニケーション能力の不足です。

 どの様なコミュニケーションを取ればよかったのでしょうか?会話の機会を作ることが必要でした。相手の思考や行動が正しいとは思えず自分の正しいを試してみたかった。いい訳ですが試してみたいことを説明する時間も惜しく逃げた。

 もしかしたら周囲からもそれほどの信頼は得て無かったのでしょう。私の行動は見えにくい。私自身が学びながら試しながら行動してきたのですから当たり前です。今は分かりやすい行動とPR活動に心がけています。PRもう少し考えよう。
 

人付き合い

 人ですから僻みっぽい人はいます。自分と誰かを比較して何で彼奴だけがと僻みます。キット向き不向きや運とか表現の仕方とか個性とか、様々な理由で彼奴とは違うのでしょう。その違いを僻む性質、それもその人の個性です。

 相性が合わない人は必ずいます。どんなに頑張ってもボタンのかけ違いはあります。レッテルを張られてしまったらよほどのことが無い限り剥がして貰えることはありません。人によって態度を変える。良くあることです、個性です。

 もちろん真逆な人達とも出会うでしょう。受け入れ合えない人達の方ではなく受け入れてくれる人の方に行った方が生きるは楽に決まっています。そして僻みっぽい人、相性が合わない人のことは考えないようにします。辛いから。

 人は変えられません。そして、どう対応して良いか分からない自分がいます。僻みっぽい人、相性が合わない人、ネガティブな人、レッテルをはり態度を変える人、私にも幾らかあってそうはありたくないと思う個性も好きなのです。
 

人の優しさ

 人ですから少しは考えます。まあ、考えても何も行動しない人、考えない人もいなくはないようですが、多くの人は何かしら感じ考えます。特に困っている人は、何とかしたいといろいろ考えます。正しくも間違っていたとしても考えます。

 障がいを持つ子供を育てる親は、必死に考えます。自分一人でまとまらない考えは、似通った環境の人と話し合う機会を作り一生懸命に考えます。その考え、行動の中から、一つの方向性が生まれ、大きな意見として発信されます。

 まだまだ難病がありますが医学の進歩は素晴らしいと思います。原因の分からなかった病気の原因が分かる。そして病気の治し方、防ぎ方を考え出す。分からない病気を忌み嫌い恐れるのも人なら、恐れを取り除くのも人なのです。

 現代は、あらぬ恐れが簡単に拡散してしまう時代です。でも、人は基本的に優しい。発言は少なくとも何が真実なのか、簡単に人を批判しない人の方が割合で言えば多勢です。目立たなくともそう言った優しさによって、社会は変わります。
 

人の怖さ

 ハンセン病資料館というところを見学してきました。病気と共に人の怖さというものを知りました。ハンセン病はらい病とも言い、らい菌による感染症です。1943年にアメリカで治療法が見つかり新薬も次々発見され外来治療で治る病気になりました。

 特効薬が無いころのハンセン病は、病状が進むと皮膚から膿が出たり顔がおどろおどろしくなったり関節があらぬ方に曲がったりするため患者の精神は全く問題がなくとも人は恐れを感じます。人は情報の80%を目から得ているので仕方ない?

 目からの情報は脳で処理しています。脳の前頭葉には理性というものがあります。理性は正しい知識によって形成されていきます。ですが正しい知識を学ぶには正しい努力が必要です。それにくらべ噂話は簡単に耳から入り込み偽りを残します。

 間違った恐れからハンセン病の方達をおぞましい施設に隔離した歴史があります。間違った知識からPTAが中心になり組織を作り病気でない家族を学ぶ環境から追い出した歴史があります。そしてそのことに皆で蓋をした。人は身勝手で怖いです。
 

愚痴

 また落ち込んでいます。自分なりに頑張っている(無理をしている)時、報われて嬉しい時、そんな時は特に相手の立場、周囲の人の気持ちに対し共感することが出来ません。自分勝手に物事を捉え、それが言動や行動に出てしまいます。

 人の気持ちに共感するのは難しいです。ましてや自分が見えていない(落ち着いていない)時に傾聴することは、非常に難しい、できない。それを後になって振り返り、相手の顔を思い出し、何故私は黙って話を聞いていなかったか悩みます。

 愚痴は、誰もが持っています。言ってもしょうがないことは、本人も分かっているのです。それをわざわざ私に話しかけてくれるのは、言ってもしょうがないけど嫌だったことをどこかで外に吐き出してしまいたかったのです。だったら聞かなきゃ。

 意見などいらないことを私がしっかり理解して、ただ聞けばいいのです。何度も失敗していますが、次は「聴く」が出来るかも知れません。今”ここ”に書いているのは、私の愚痴です。私には、抜く場所があります。ですので、聴けるハズです。