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共有と標準化

 若いのに仕事の速い同僚が居ます。コツを聞いても笑っているだけでしたが仲良く成れたのか最近は色々と教えてくれます。彼女も私と同じで色々と工夫をし何度も結果を確認し統計から傾向を掴み自分なりの形を作り出していました。私の工夫と経験にも耳を傾けてくれるので話が合う気がしています。

 私は同じ仕事を続けること自体を辛いとは思いません。どちらかと言うと気付かなければ何時までも同じ仕事を繰り返しているタイプだと思っています。ただ、利用者目線や経営者の見方を学んできたので今は仕事をしながら何かと考えてしまいます。考えながら同じ仕事を繰り返し行うと少し見えてきます。

 見えてきたとしても直ぐに工夫をするのは危険だと言うことを知っています。工夫(変化)には副作用がつきものだからです。よく考えて同僚にも相談してみて上司の判断を得てから小さな工夫をしてみます。直ぐに結果が出ない時があるので辛抱強く経過を見守ります。結果が良ければ報告し共有します。

 誰がやっても同じように良い結果が得られれば、その工夫は成功です。成功ですが残念ながら標準化する仕組みは今の私には作れません。うーん、以前も気の合う仲間同士の共有は出来ても全体的な標準化は苦手だったような気がします。手間がかかるのです。私はそこまで辛抱強くはありませんでした。
 

見える世界

 あおり運転のニュース(動画)を見て「世の中にはこんな酷いことをする人も居るんだ」と思うとともに「ドライブレコーダーが無かったら犯罪としての立証は難しかったろうな」とも思いました。町中には防犯カメラが多数設置されるようになりましたし道路にはオービスやNシステムが設置されています。

 中国には個人情報と言う物よりも党本部が優先されますが日本では大きな犯罪に繋がらなければ個人情報は守られると思います。それであれば全てのことが白日の下に晒せる環境は悪くは無い?見つからなければ、掴まらなければ犯罪を犯す人が居て傷付く人が居るのなら必要なのでしょう。

 私が悪い事を一度もしたことが無いとは言いませんし小さな悪事でしたら子供の頃に幾つか経験しました。何が正しくて何が悪い事か、幾度も繰り返されるその判断の中から悪い事はあるけれども絶対に正しいは無いのではないか?とも思うようになり良し悪しを決めるのは人間だと気付きます。

 道具を使う生物である人間にとっては、ICT(情報通信技術)の発達も人の発達と言って良いでしょう。その発達の過程で人の体や思考に様々な変化が起き、見えないところ(匿名)での誹謗中傷や見えるようになった犯罪も私が子供の頃に経験した揺らぎと同じでは?とも感じるのですが、さて?
 

欲するままに

 レポートを書いていてブログの更新を忘れるところでした。相変わらず何かに夢中になると何かを忘れてしまうところは変わりません。

 多分ですが人には変わるところと変わらないところがあるのだと思います。色々と生きる術を覚えて着飾ったとしても心の根っこは変わりませんし、年相応に体の変化があったとしても地球や宇宙から見る原子レベルでは変わらない気がしてます。

 変わるとは、何かを受け入れることだと思っています。美味しいものは好んで受け入れるし不味いと思えば勧められても断るでしょう。自分と言う存在だけでは生きられない人と言う存在ですが誰もが他を受け入れるについては貪欲だったりします。

 レポートを書くか書かないかは私の自由です。自由なのですが私の心が欲するので何かを削ってでも書くことになる。それも人です。
 

恵まれて

 職場で良い噂が流れてくれているようで他部署の方が何かと話しかけてくださるように成りました。仕事中ですので長話は出来ませんがお互いを元気づける良いタイミングで冗談を言い合える仲間達に囲まれています。そして上司からもそれなりに頼りにされているようです。

 とても嬉しいのですが心苦しい気もします。仕事はきついですがだいぶ体は出来てきたように思いますし、お客様との間にも信頼関係と言うか良い情のようなものも出来てきているようにも思います。そして目標としている資格には3年の実務経験が必要で、それはこの職場に居れば得ることが出来ます。

 ただ、その先が無いと思います。更に上の資格とそれに必要なスキルを得るための業務自体はあるのですが私に期待されるものはそこでは無く、多分ですが待遇の改善も望めないと思います。であるならばステップアップのために資格を得たところで次の職場に移るのも有では?

 職場に馴染、それなりの期待をされたり良い環境を与えて頂けたりすると自分自身のためのスキルアップが何か悪い事のように感じられるのです。偉く成りたいわけで無し大金が必要なわけでも無し、ただ人と言うものをもっと深く考えるスキルが欲しいだけのために、それでいいの?

 とにかく今を頑張って楽しもうと思います。先の事は、先になってから考えることにします。
 

出来ること

 前職で上司が「g-monは、何でも出来るんだよ」と周囲に言われていたことを以前書いたと思います。今の仲間達に、ダイオードと話せば大きなイカと間違われそうだし、お給料の話には乗ってくれそうですが社長の気持ちで考えると言えば「成れないですよ」の返事が返って来そうです。

 あいびすさんとなら、ダイオードからエノキダイオード(トンネル特性)、ツェナーダイオードそしてトランジスタに真空管ぐらいまでは楽々話が広がるでしょうし、おお師匠さま(シルバ二アンさん)とならば損益計算書、貸借対照表の見かた(時系列で利益構造やキャッシュフローを捉え課題分析の入り口を探す)で華が咲くかもしれません。

 そうなんです。何でも出来ると褒めて頂けたとしても出来ることは限られた小さな小さな世界での話、別の世界に一歩足を踏み入れてしまえば新入生もいいところ、何も出来ないから始めなければなりません。それでも若ければ、それなりに優しい目で見ても頂けるでしょうが、それなりの歳を食ってしまっては、何やってきたの?の話です。

 でもねでもね、そもそも全ての人が何も出来ないから始めたのです。何とか何かが出来るように成るように多くの人が助けてくれて何とか何かが少しだけ出来るように成っただけなのです。そして全ての人が歳を重ね、生まれた時に近い出来ないに戻っても、心に大切なものを沢山持って人の優しさに包まれて眠るのです。
 

応援団

 とても忙しいと大変なのですが何故か気合が入ります。慣れてきたのでしょう一人や二人急に休まれても飛び込みの仕事が一つ二つ三つ増えても何とか対応できてしまう自分が嬉しかったりしています。でも、しんど

 自慢になってしまいますが評判が良いそうです。手伝いに来てくれた他部署の方からそのように聞かされました。会えば必ずのように褒めてくださる方もいます。誰からも可愛がられていると感じもします。いい、感じ

 一つに健康で丈夫なのが幸いしているのでしょう。仕事を休まないと言うのは、あてに出来ますから信頼の基礎になります。その上で仕事が真面目で丁寧かつそこそこの効率であれば喜ばれます。感謝してくれる

 何よりも励みになるのは、サービスを提供して頂ける”笑顔のプレゼント”だったり”ありがとうの一言”です。こちらは仕事として必死ですので望んでいるわけではありません、そんな中での不意打ち。明日も頑張
 

正義の形

 誰もが幸せに成りたいと思い多くの方が家族と共に居たいと思うのですが人は誰も違う思いで生きています。百人いれば百通り千人いれば千通りの個性があり一部分で分類したとしても違う一面では全く違う個性だと言うことが分かります。

 ですから一人一人の幸せの形は違いますし家族に対する愛情(時に反発の感情)の形はそれぞれに違います。例えば重度障がい者であっても異常と思える殺人者であっても、その人なりの幸せに成りたいがあり家族感があると思うのです。

 それでも、家族だけでは支えきれない障がい者であったり高齢者であったとしたらその人らしい幸せが制限されてしまうのが今の日本です。重い罪を犯してしまった者に対しては犯された側が苦しんだ極刑を与えるのが今の日本と言う国です。

 規律(法)は必要です。抜け道を作ってお金儲けをする人や見つからなければ良いと人を脅す人が居ますが情報機器などの発達で表に出てくる機会も増えています。何もかも明らかになり規律で縛ればよいのですが、隠したいこともあります。
 

お金儲け

 時々「お金儲け中心」「生産性優先」「競争原理」が悪い事のように書かれている記事を見かけます。以前は私もお金儲け主義が悪い事のように感じていましたし競争は好きではありませんでした。でも、今は違います。

 一つに私は満足利益と言うものを知っています。例えば夫婦になり子供を育て自分たちの老後が不安にならない程度の儲けを必要とすることは当然のことで、時には旅行や外食など少々の贅沢もしたいハズなのです。

 それを得るために今提供できる価値の分母(投資額や時間)を下げる、または分子(価値)を上げる生産性の改善が必要ですし、それは仲間達やライバル会社との切磋琢磨(競争原理)にて何得るものだと思うのです。

 それを極一部のお金の力で人に言うことを聞かせようとする(例えば議員になったり派閥を作ったり)道理が見えない人と一緒にされたくはありません。また、儲からないを政治のせいにするのも私は好きではありません。
 

不思議な日

 先日の日曜日は、面白い経験を2つした。

 1つは、実家からの帰り道、狭い路地を向こう側から歩いてくる知らないおばあさんに何となく挨拶をしたらいきなり話し出した。「このトンボ大きいでしょ、私が捕まえたの。近所の子供にあげようと思って」と言いながら2袋ある小ぶりのコンビニ袋のようなものの1つをソット広げて見せてくれた。オニヤンマにしては少し小さいと思ったけれども多分それだ。なぜかアジサイの葉と一緒に入れてある。もう一つの袋の口も少し開いていたので除き見るとプラスチックの虫かごだ。これに入れて近所の子に上げようと言う算段か、それにしては小さすぎてトンボが動けないだろうと思ったけれども、それは言わない。代わりに「おばさん、トンボを捕まえるなんて随分と若いね」と言ったら「バカ言うんじゃないよ、私は八十過ぎてるよ」と言いながら行ってしまうから、後ろ姿に「十は若く見えるさ」と投げてやった。

 2つめは、町中の路地裏で立ち止まっていたおばあさんに「ちょっといいですか」と、いきなり呼び止められた。知らないおばあさん、何だろうと思って立ち止まると「コーヒーを飲みたいので百十円くれませんか」ときた。”え!”だよねぇ、私このおばさん知らないもの。しばし考えた末、財布を出して小銭を用意しだすとそのおばあさん天気のこととか孫のこととか楽しそうに話し出した。「ハイ、これ」と百十円を渡すとサッサとしまい込む。嘘のようだけれども本当の話、なんだろう、おばあさんならコーヒーじゃなくてお茶だろうになどという思いが強くて立ち去りながらも振り返ると八十位のおばあさんは、ニコヤカな笑顔で手を振ってくれた。

 思い出してみれば以前にもmomoさん(嫁)と車で信号待ちをしていたらいきなり車の窓を叩かれ開けると「どっちに行くの、〇△団地まで乗せてくれない」とお願いされたこともあった。その時も”変だなー”と思いながらも家の近所と言う辺りまで送ってあげた。で、思い出したのがお袋(マイマザー)、人にお金をくださいなどとは言わないだろうけれども、いきなり知らない人に話しかけるのが得意だった。その度、コッチは恥ずかしい思いをしたけれども結構お袋はそれも楽しんでいたのかも知れない。

 うん?まさかと思うけど亡くなったお袋のことをメッタニ思い出さない私へのお袋の悪戯?それは、ありえる(笑)。何れにしても不思議だったけどお袋のことを久しぶりに思い出せて良かった。とするとあの百十円は神様へのお賽銭か?チョット高くついたのか安く上がったのか、お袋はこっちの懐具合もお見通しのようだ。
 

ホワイト企業

 会社が儲かっているのは良い事だと思います。お給料が良いのも良い事だと思います。会社は儲かっているけどお給料が良くないのは間違っていると思います。会社は計画的にトントンだけどもお給料はソコソコ良いのが最も良い状態だと思います。

 正しい会社に置いて儲かるとか、お給料が良いと言うのは価値を認められ得られていると言うことです。その価値の一部を投資(社員が満足できるお給料も将来への投資の一部に当たります)と内部留保に当てれば会社はトントンになってしまいます。

 ようは上手にお金を使わなければいけないと言うことで、幾ら良いことばかり言っても素敵な理想を持っていても儲けを出せない人は経営者(社員)失格ですし将来のビジョンを描けなければ一発屋ですから100年以上続く会社にはならないでしょう。

 儲かるということは一時的な現象で終わらせて良いものでは無く継続的に生み出されなければならないものですから価値も継続的に変化していくものなのです。価値を生み出すビジネスモデルは無数にありますがそれを生み出すのは、人なのです。
 
誤解を招くとも思いタイトル(旧:人の価値)を変更しました。

高めあう

 最近は立場が軽くなった分、20代30代の若い人と話す機会が増えました。当たり前ですがシッカリした人が居れば危うい感じの人も居てそれぞれの個性がとても楽しいです。共通しているのは、真面目に話をしてくれる点くらいでしょうか。

 以前、若い人と話す機会が無かった訳では無いのですが指導がメインでしたので例を示し質問に答えるが中心で議論とまでは言えないレベルでした。が今は違います。嬉しい事にまあ熱く語ってくれること、時々合いの手を入れ楽しみます。

 結局のところ教えたにしろ、人は自分で考え判断し行動し結果を確認しながら苦労をして自分のものにしていくしか無いのです。そこに、悩みや喜びがあって上る階段の数だけ理解の高みに向かって行く人らしい生き方があるのだと思います。

 望まれても環境が許さず教えることが出来ない時もありますが、一緒に考えながらお互いの経験や理解を教え合える場合もあるのだと感じています。一方的な教える立場ではなく仲間として一緒に考える場がある。これもまた楽しい経験です。
 

同業者

 同じ職種の話が出来る友達が居ないと言うことで職業訓練学校で一緒だった方に誘われ久々の飲み会、こんな時期ですから席は斜め座りなるよう箸などが置かれテーブル毎に敷居の透明板が設置されていました。

 随分と話したいことが溜まっていたようで色々なシュチエーションでの話題に飛びますが私にも実感として共感でき、同じ経験をしていなければ確かに分からないだろうな、とも感じながら彼の話を聞かせて貰いました。

 世の中には大変な苦労をされている方が大勢います。が、大変だろうと思っても本当の痛みや苦しさを私は理解出来ていないだろうと思います。そしてその思いもご縁が無ければ風のように私を通り過ぎてしまいます。

 ですので、せめてご縁の有った方に対しては大したことは出来ないことを理解した上で出来る限り寄り添いたいと思うのです。それしか出来ないのですが続けるチャンスがあれば、それだけで心が通うことを知ってます。
 

向き不向き

 計測機器修理などのサービス員を経験したことはありますが新たに商品を販売する営業員は同行程度しか経験がありませんし、私に営業員が務まるかと考えると、やるとは思いますが不安があります。人に会うのがとても苦手なのです。

 そう、私でも稼げる仕事はありますが、私に向いている仕事があるのか?と考えると思いつきません。ジックリと考える仕事もやってみたし人とかかわりが多い仕事もやってみましたが最終的にはどちらも仲間達に助けられ何とかなった感じです。

 色々と経験し少し気付いたのが色に染まるのか元々持っている人が集まるのか業種や仕事の内容毎にそこに居る人達の空気が違うように感じます。技術者の考え方や感性と営業員の考え方や感性は少し違う、製造員もまた違います。

 例えば、介護職やデパートなどの販売員は女性が多く大変な仕事ですがそれぞれに責任を持って頑張られています。私も売りたいものがあれば営業員を選ぶかも知れません。つまり職種毎の価値と自身の価値観の相性があると思います。
 

質問での対話

 頼まれて終業時間後に表計算ソフトの勉強会、やりたいことが何となくでも分かっている方達へは教えるのが楽だと思います。興味があるので真剣ですし自身が何を理解しなくてはならないかを知っているので質問も的を得ています。

 教える方は、表計算ソフトで出来ることに対し教わる方に幾つか質問をしながら課題が何なのかを明確にしていきます。色々なことがやりたい方は、複数の課題を抱えていることが多く何から着手すべきかを質問で整理していくのです。

 目的が何で当面の目標が何かを共有しお互いに理解を深めながら形にして行く作業は一人でも楽しいのですが複数人であれば、なお楽しいものだと私は思います。何よりは、表計算ソフトが形になった時の喜び顔、満面の笑顔です。

 昔の同僚も数年間という単位で勉強会に付き合ってくれましたが自分自身の成果として持ち帰ってくれたのは数名でした。残念ながら伝えきれなかった部分が沢山あります。ただ思います。本人に問題意識があれば何とかするだろうと。
 

繰り返される失敗

 このところ過去の失敗を思い出しては反省しています。日々の生活で本を読んだり仕事をしたりの中から新しい知識や経験を得た時に関連付けられる過去の失敗を思い出すようで、何に問題がありどの様に行動すべきだったか考えることで心の安定を保っています。

 私の過去の失敗に巻き込まれてしまった人には申し訳ないと心から思いますが過去の失敗は取り返せません。ですがお陰様で新しい今に役立てることは出来ますし役立てる機会に恵まれなかったとしてもお互いに諦めて頂き今を大切にして欲しいと願うしかないのです。

 そう、今も新しい失敗をしてしまっている私が居ます。失敗したくて失敗する人はいないでしょうし慣れたことで失敗することも少ないハズです。ですので新しい事にチャレンジしなければ失敗をしないでしょうし当然人に迷惑を掛けることもありません。それで我慢できるなら。

 過去の失敗を思い出すのは辛い事ですので苦しい気持ちになりますが例えやり直せなくても乗り越える手立てを考えることは自分自身の精神を安定させるためにも重要です。そして多くの失敗は繰り返されるのですから、乗り越えて成功を味わいたいと思うのです。
 

手法から入るな

 昔の私がよくやってしまった失敗は、何かを伝えなくてはいけない時にはその何かの概念から入り物語としてストーリーを話し出してしまうことでした。例を上げれば、何故開発営業(新商品開発でもよい)が必要なのかから入り、新顧客(新商品)へのアプローチ(価値の明確化)方法を説明する、などです。

 要は、毎日数字(会社の売上・原価・労働力からの生産性、販売能力など)を扱うシステムの開発運営を担当していたため、傾向と課題を何となく掴んでしまっており、私自身が明確な結論を持つことから始めないままに大きなテーマの情報収集と分析から始めさせようとするのですから付いて来れません。

 元々は、経理士か税理士で食べて行こうと思っていた私ですが事を物語で捉える傾向があります。物語は仮説ですので悪いわけでは無いのですがスタート地点の結論の作り方に問題があったのだと思います。本来であれば結論(新顧客を何%増やす、新商品を何時までに完成する)から入るベキでしょう。

 一般の営業職や技術員と違って普段から数字を扱っているので概算で地域差や顧客の業種・規模などの違いを頭に思い浮かべることは容易に出来ます。そこから得た問題点を明確にしたうえで仮説(間違っていても良い)を立てプラスαの数値を加えて裏を取った上でグラフで伝えるが正解だったでしょう。
 

噂話

 先輩たちの多くは徒歩と電車・バスで通勤していますが近場の私は車通勤、十分過ぎる交通費も頂け楽させて頂いています。そんな訳で先日は、仕事で遅くなった先輩を駅までお送り、道すがら色々なことを聞かせてくれました。

 この職場の多くは人手が頼りの部分が多いのですが私がお手伝いさせて頂きだした頃は人手が足らず、その上退職者が続きとても忙しかったです。が、このところは産休明けの方が複数名お戻りになって日勤帯は過剰だそうです。

 そう言えばと思い出すと契約社員の同僚は契約更新の連絡がこないとボヤいていましたし先輩の中には、その同僚を良く思わない方もいるようで居ない場所で手厳しい事を仰っていました。それとは別にまた辞める方も居るそうです。

 私は、仕事に入ると殆ど休みを取らず話の輪に加わることが無いので知らない事ばかり、知らなくても良いような事ばかりかな?ズット昔からそうです。少し心痛みますが私は私、私らしくしか生きられませんので黙って聞いてました。
 

仕事は同じ?

 雰囲気が随分と変わりました。例えば、厳しかった先輩は「私と組んだ時はノンビリしていて大丈夫だからね」と言ってくれます。例えば、やる気が起きないと言っていた先輩は「何時もスーパー元気だから刺激されます」と言ってくれます。ほかにも色々と変わりました。

 仕事が続かない、仕事が覚えられないなどでお辞めになった人の話なども聞かされましたので、まだまだ先輩方には追い付けませんが、いくらか仕事を覚え、ある程度は役に立つだろうと認められたのかも知れません。そうそう仕事の手順を教わりに来てくれた先輩も。

 初めての仕事、教わった手順が上手くできなくてもお願いし何度もチャレンジしたので、先輩方は楽な方法、早い方法を優先していましたから何時の間にか一番上手になりました。知らなかったことも随分と質問し何度も練習していたから何時の間にか出来ていました。

 それが嬉しいのだと思います。今は昔より余裕があるので仕事の手順を考えたり本やネットで調べたり、10月から週1ですが学校に行く許可を得て申し込みも済ませました。Aは初めてでもBの経験が応用できる良い例なのかなって思っています。何の仕事でも同じ?
 

給料の差

 私がそうなのですが学ぶことの重要性は認識しているものの追い詰められていないと勉強をしません。本屋に行けば興味をそそられるタイトルが幾つもありますし仕事や趣味の分野を問わず学べば面白くなることも沢山知っているのにです。

 学ぶと言うのは、自分のタスクと言うか引き出しを増やすようなもので、何かの時に役立ちます。知っている知らないで見方や考え方が大きく違ってきて結果として誰かの役に立て信頼が得られ多くの場合、役職や給料に反映されていきます。

 私の例で恐縮ですが成長期に毎月3冊から6冊程度の本から学び、お陰様で同期の中では良い待遇を与えられたと思っています。学びが重要なのは誰でも知っていますが周囲に尋ねてみると勉強のための本を読んでいる人は少ないのです。

 多分ですが社会に出てから勉強のために毎月2冊以上の本を読んでいる人は全体の3割にも満たないのではないのでしょうか?もしそうであるとするならば、引出しの数の差はどんどん大きくなりチャンスに対する結果が違ってくるのは当然です。
 

また宿題

 先輩が上司からの宿題で考え込んでいました。35人担当と27人担当は、今までその負担の重さからバランスが取れていたのですが入れ替えや状況変化が進みバランスが悪くなったので見直して欲しいとの内容でした。部屋割画面との睨み合い、動きがありません。

 「数学は苦手ですか?」とお聞きすれば「大の苦手」とのこと、経験の厚い先輩のことですので、それぞれの特性を10項目位(あるいはその半分)に分類し重み付けするのは簡単なことだと思うのです。それを数値化して表にすればバランスの検討が出来るハズです。

 この職場では、誰と組むかで仕事にかかる時間が変わります。手が回らない時にこちらの仕事に入ってくれ結果として入ってくれた人の仕事に入れ全体としては早く仕事が終わる組。こちらの手の回らないところに仕事を依頼され何とかカッコつけるがやっとの組など。

 個々の心意気やスキル、人としての魅力は、どなたも素晴らしいと感じているのに良いところの共有が何故されないのだろうと不思議に思うのです。現場が現場のことについて現場仲間で話し合う環境がありません。人の英知を集める工夫、これもまた難しい宿題です。
 

真面目を考える

 真面目は良いことだと思いますが真面目にも何か理由がある気もしています。若干でしょうが仕事に不満や不安があり、その状態の中でも正しいを考え自分の存在を守りながら行動するなど人間は基本自分ですから真面目はその時のその人の生き方だと思うのです。

 そう考えれば当然のこととして年齢や経験による差も出てくるでしょうし、自分自身の心の問題だとしても人に真面目を押し付ける人も出れば私は私とする人、ある程度は不真面目に合わせたりもする人、真面目もその人の個性ですから良い悪いは無いと思うのです。

 それを逆手に取れば、不真面目もその人の個性ですから良い悪いは無いのでしょうか?良い悪いの基準は、社会がスムーズに回るかどうかであり、例えば、誰かがゴミを公共の場に捨てれば他の誰かが片付ける労力が発生し、そのギクシャクを不真面目と言います。

 誰もが小さなゴミの1つなど気にしなければ良いのですが1つのゴミが他のゴミを呼び収拾がつかなくなり火災や異臭の原因になったりもします。それを想像できる人が注意したり不快に思ったりするのでしょう。黙ってゴミを拾う、そういう真面目がいいのですかね?
 

反省とは

 真面目な方に正論で注意を受けてしまいました。「終業のタイムカードを押した後に仕事をしてはいけません!」ごもっとも。

 ”多少のオーバーで埋め合わせが出来そう、でも残業にしたくはない”と判断したのですがその隙間に飛び込んできた仕事がやっかい、その代わりに他の仕事をフォローして頂けたのですが思いのほか時間がかかってしまいました。

 ポイントは、自分の仕事が終わってから他の仕事の手伝いをする、ですが、管理職や部長・役員クラスでしたら人知れずのお手伝いが出来るので自分の仕事と並行して隠れた手伝いをするのが当たり前だとも認識しているのです。

 まあ、自分の立場役割を理解していない私が悪いので素直に反省、明日に繋げられるように仕事を分解し組み立て直します。
 

理由

 道具を取りそろえチビチビと進めている趣味の電子工作ですが、詰まらないところで躓いて昨日は不完全燃焼で夕食に、以前でしたら夕食後に再度突入というところですが最近はボチボチと再調査し反省して終わり。何にしてもソコソコの頑張りです。

20200607デェスク

 頭の中は机の上と同じでゴチャゴチャ、元システム屋ですので機器を繋がなくては満足できず、アッチを弄りながらコッチの設定を変えてソッチの出力を確認します。と言っても以前のように計測機器を使うほどのことも無く何より重要なのは検索能力?

 夢中になれない理由は追い詰められ感の違いです。頑張り屋さんでは無いので何かしらの環境を作り出し追い詰められる状況に陥れ自分を奮起(慌て?)させて無理やり頑張らせるに繋げる。そこに持っていければ、ソコソコの能力を発揮できます。

 それが仕事と趣味の違いと私は思っているのですが、父やジュニア(息子)は趣味の世界でも自分を追い詰めることが出来ます。ですので私と違って趣味の分野でもソコソコ以上の結果を残せるのでしょう。キット、私の趣味は目標が曖昧なのでしょう。
 

ジュニア誕生会

 3歳で始め数十年と水泳を続けているジュニア(息子)が大切にしているのは自己新記録、未だに更新を続けていられるのは毎日のトレーニングの成果なのは間違いないでしょうが仕事も頑張り家庭も守ってのことですから大したものです。
 (昨年も日本マスターズ水泳大会で年齢別1位を幾つか)

 私から言うとAを頑張ればBが頑張れないが普通だと思うのですがそこが凡人、ジュニアが特別とは思いませんがAができてBもCも出来る人がこの世には幾人もいるようで、出来ない者にとってはそこまで頑張れませんが羨ましい限りです。

 ただ思うのです。今日起きて何とか一日を過ごし切れれば、それはそれで自己新記録なのだと。幾つか大変なことがあって幾つかは面白い事(TVとか?)があって幾つかの我慢か頑張りを何とか成し遂げて明日に繋ぐ、自己新達成ですね。

 多分ジュニアは自分なりに満足していると思います。でも、満足の基準は自分自身で決めるものですから同じものを得られたとしても満足できない人も大勢いるでしょう。ジュニアほどの頑張りが出来ないのは不満ですけど私なりに繋げてます。
 

今日という日

 今日は、何時も微笑んでくれ、仕事をしていると悪戯をしてくれ、頑張っている私の額の汗を拭いてくれる、おばあちゃんの100歳誕生日、昨日の帰り際に部屋の飾り付けをする私を楽しそうに見ていてくれ、ドジな私を笑ったり心配したりしながら喜んでくれました。

20200606お誕生日

 1年前の私は、久しぶりに学校に通い頭がパンパン!半年前の私は慣れない肉体労働に筋肉がパンパン!休日と言えども仕事をしていた以前と違って勉強や体を休めるのに必死でした。それが人間不思議と慣れるんですね、趣味を楽しむ時間があります。

 本を読んだりコンピュータいじったり電子工作で玩具を作ったり、ほんの少し家の手伝いをすると困ったことに父の趣味だった俳句にまでは手が回らず同人誌を斜め読みなどなど、休日の楽しみ方を覚えましたがそれはそれで忙しく、やっぱり時間は足りません。

 私が100歳になるまでには、まだ随分と時間があります。100歳までは生きられないかも知れませんし100歳の時に人を気遣う余裕が無いかも知れません。でも、私は100歳の方の素敵な生き方を知っています。さて”おめでとう!”を元気に伝え一緒に笑わなきゃ。
 

Newステーション

 知りませんでした!家から僅か4Km足らずの場所に水素ステーションが出来ていること、知りませんでした。しかも定休日はm(_ _)m 水曜だけ、営業時間は今は9時から17時、設備が一通りそろったら18時まで営業して頂けるとのことです!

 近場で同じように充填しようと思えば、片道約15kmの八王子市高倉か横浜市旭区へ行くか近場(9km)ですが週2日短時間(2H)だけ開く県立相模原市公園の移動式ステーションまでオッチラショ(も楽し♪)と行くしかありませんでした。

 聞かせて頂けたのは、コロナ(活動自粛)の影響でカード決済の設備がまだ付かづ現金のみとか3月末ごろからの営業ですが充填設備の特性を把握するのに半年ぐらいかかるとか充填に来てくれる車はまだ少ないとか色々なご苦労話。

20200604水素ステーション

 大変だーと同情しつつも心の中ではニンマリ(悪魔か、汗)水素ステーションが遠いなど手間のかかるのも愛車の魅力ですが水素をエネルギーとする快適な環境が整うのも喜ばしい限り、先の事は分かりません、水素も選択肢の一つです。
 

リピーター

 お陰様で幾人かのユーザーからそれぞれのニーズに合わせたサービス提供で指名を受けられるようになりました。実際のところ指名を受けたくて頑張っていた訳ではなのですが与えられた時間の中で余裕を少し作り、その出来た時間の範囲でどの様にしたら質の高いサービスを提供できるかユーザーと一緒に考えてきた結果だと思っています。

 例えば、あるユーザーさんの食事介助サービスであれば、食前に姿勢、アイシング、環境の準備を行い食事中は、量、テンポ、顎の運動、好みに合った食事配分、軽い会話、食後の口腔ケア、フェース全体の清潔にリラックス出来る姿勢への変更などについて数か月かけ話し合い実験した結果、楽しんで毎食完食して頂ける様に成って頂けました。

 それまでは、食事が進まないと言われ時間内に半分も満たない、時にはほぼ全量食べることが出来なかったのですから大きな成果だと思っているのですが問題があります。私が担当しない時には、以前よりは良さそうですがやはり食事が上手く取れない時があり担当の方に説明などするも上手く行かず変わって貰えないかと要望があったりします。

 この職場でなければ当然標準化は出来ます。ここの先輩方のサービス提供方法はそれぞれの個性があります。効率優先の方、理論優先の方、それぞれですので私はそれぞれの個性に合わせサービス提供を行います。聞く耳持たないと言うわけでは無いのですが忙しいのと改善活動の経験に乏しいのだと思います。でも、何時かはとも思っています。
 

不意打ち

 このところ体調不良の方が多く人手が足らないことは分かっているのですが休憩時間を潰したり早出をしたりの時間外労働は仲間内に嫌がられます。それでも後20分とか15分前位でしたら目をつむってくれる人も多く何とか仕事に入らせて貰えます。

 もちろん大変そうな仲間達の役に立ちたいもありますが、やはり待たされたり適切なサービスを受けられないユーザーの役に立ちたいという気持ちからの自分勝手な行動だとは分かっています。分かっていますが無理しても役立ちたい性分なのです。

 その結果、今日の朝は比較的良いサービスを提供でき昼に休憩中と被りサービスを(それでも15分程度休憩時間を短縮し)遅れて提供することになってしまったユーザーから「今日の夕方も貴方からサービスを受けられますか?」と聞いて頂けました。

 そう言った言葉を掛けられることを期待して仕事をしているわけでは無いので、ユーザーからこういった不意打ちをくらわされると困ったことに涙腺が緩んでしまいます。多分こう言った沢山の不意打ちが今の私の性分を作り上げたのだと思うのです。
 

果報者

 昔も今も仕事に就いてそれなりに頑張れるようになってからは、不思議と大変な事になる都度、こちらからお願いもしていないのに誰かしらが助けてくれます。それら多くの人の共通点は、私のことを変わり者だと面白がっている様に見える点です。

 昨日もそうで、私が三つの仕事が重なってアタフタしていると何時の間にか二つの仕事を二人の人がそこそこに仕上げてくれていました。もちろんお礼を言いましたが返事は「大丈夫よ、あんた忙しいことみんな知ってるんだから」だそうです。あらま。

 他所から見れば、忙しいのが可哀そうだから助けてやろうと思って頂け手を差し伸べてやろう、と同情されるのかも知れませんが何分私が好きでやっていることなので助けられてありがたくはあるのですがお返しできる物も無く申し訳なく思うのです。

 以前の仕事でもそうでした。随分と私の仕事を助けてくれた友人に何も返せずその場を離れてしまったのに久しぶりの再開時に彼は私を責めることがありませんでした。こちらは顔を合わせるまで随分と緊張したのに何故か、ありがたい人ばかり。
 

足し算と引き算

 新しい仕事の具体的内容を上司から渡されたのですが、先輩たちから聞いていた話半分程度の内容でした。どの様に仕事を回そうかと情報を整理し環境や個々の特性から前準備や手順の工夫が出来ないか考えていた私としては、拍子抜けです。

 そもそもの状況は、ある時間帯に作業が集中してしまい、それによる遅れが次の不要と思える作業を作ってしまう悪循環対策だと判断していたので、積極的に残業にならない終業時間からの29分を使って先輩たちのフォローに入っていたのですが?

 もしかしたらフォローに入るようになって3か月程度になりますので、それが今回の新しい仕事の仕方に繋がったのかも知れません。新しい仕事の半分程度は、その29分間ですでに実施済み、新しい仕事のために私に与えられた時間は1時間半です。

 昔から自分のスケージュールを深く考えずに新たに追加された仕事内容からザット掛かる時間を計算し二つ返事で引き受けてしまう性格が災いしたかもしれません。まずは、実際に仕事に当たり工夫で出来ると思った所をチェックし先輩に相談です。