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乱れ

 人は、自分ではどうにもならないと悟った時に暴れる、少なくとも心が乱れ落ち着かなくなる。それが暫く続いて諦めなのか悟りなのか次の段階に心は移る。そして、もしその次があるのであれば、どうにもならない環境に置いての最善を手探りで探し出す。

 もちろんそうでない人も大勢いるのだと思うのですが出来ることならば私は、そうありたいと思うのです。父のように、母のように。

 やはり人は寂しいのだと思います。自分という存在がある限り何時も多くの人に囲まれていたとしても、ふと孤独を感じてしまう時があるのでは、ないでしょうか。人は、基本孤独です。孤独なのですが自分のために尽くしてくれる人は必ずいます。

 落ち着いて周りを見渡せれば気付けるはずです。この世の中には、多くの悪人が居ますが、同じぐらい善人も居るのです。

 出来ることならば、穏やかな自分と穏やかな隣人達と穏やかに暮らせればとも思うのですが、私はまだまだ未熟、いましばらくは心が乱れ暴れるのだと思います。それもキット普通のことで幸せなことなのだと思うのです。
 

成長

 やっとこさ新しい仕事に慣れ第三者として自分を見れるようになると今まで以上に周囲の人に付いても客観的に見れるようになるようです。周囲の人が「イライラしないの?」とか「腹が立たないの?」とか言いますが自然に受け止めることが出来るようになります。

 昔は、随分とイライラしていたし簡単に腹を立てていました。その時その時の自分がどういう気分でどのような態度を取っているのか客観的に見ることが出来ず、感情に流され溺れ自分を見失って赴くままに動いていたのでしょう。随分と傍迷惑な話だと思います。

 結局のところ自分が見えていない時には、周囲も見えていないのだと思います。それでは、何時からどんな切欠で自分が見えてくるのかと考えてみれば、人を受け入れるとか許すとか取った態度を反省するといった人に対する思いやりの芽生のタイミングなのでは?

 人それぞれだとは思いますが、人は年を重ねる毎に丸くなるとも言われます。それは自分自身の角が取れるというよりも角と角の隙間や角自体を丸く包み込むことが出来るようになるなどの変化なのだと思います。私もほんの少し丸く大きく成れたのかも知れません。
 

責めない

 人を責めるのは簡単ですし人によっては、人を責めることで優越感などを感じ満足されるのかも知れません。しかしながら人を責めることによってことが良い方向に進むのは稀です。多くの人は人から責められ心が傷付きやる気を削がれた経験があるハズです。

 そもそも人は間違いを繰り返し考えながら成長して行く生き物なのです。ところが責められると防衛本能からこの考えるという行為が委縮してしまいパニックになったり自分の殻に引き籠ってしまったりし思考が停止してしまう。もちろんそうでない方もいるのですが。

 それでも気付かない失敗を気付かせて上げることは悪い事ではありません。が上手くやる必要があります。笑顔が必要ですし事前に事の前後の状況把握や場合によっては、その方の背景の変化などにも気を配る情報収集までもが必要あるのかも知れません。

 パワハラによるプレッシャーがかかっているかも知れませんし仕事の魅力や価値が伝わっていないのかも知れません。そして多くの場合教える方も気付いていない処理手順の不具合が見つかったりするのです。改善のためにも簡単に責めてはダメなんです。
 

繋がり

 友達が多いというわけでも無いのですが、その時々に出会った幾人かの人とのお付き合いが細々と続いています。学生時代の遊び仲間や同級生であったり、以前の部下や同僚であったり、趣味や勤めてからの外部勉強会のお仲間であったり。

 そして新しい同僚などのお仲間も増え、どこかに出かけてみたり、時には飲み会に誘われ時には遊びに誘ったり、一人の人とお会いするのは年に一度か二度ですがそれが何年も続いていますし合えば何時も会っているような会話が始まります。

 時々思うのは、例えば趣味で出会った大師匠様などと”少し濃いお付き合いが出来たらいいな”などですが実際には、自分の事で手いっぱいに成ってしまっていて身動き取れない状態です。そう、何時も忙しく何かに追われているのが好きなのです。

 ですので、その合間合間に出会える友達にも限りがありますし、それだけ貴重な友達との時間をより大切にしより楽しみたいと思うのです。それは私自身の心のリフレッシュの為であり友達同士による情報交換からの奮起、頑張りに繋がるのです。
 

概念

 普段、あまり気にしないのですが在庫という視点で物の流れを考えると人の動きの関係が見えてきます。トマト1個にもスーパーの店員さん、裏方さん、発注を決める人、生産者に運ぶ人、肥料やビニールハウスの材料そして農機具を作る人逹。

 個人の才能の塊みたいな芸術家でさえ売ってくれる画廊が必要で買い手の方も何某かの働きを持ってお金を用意します。このように飛んでもなく大勢の人の繋がりによって私たちの生活は維持されているのですがなかなか認識できないのです。

 政治にしても経済にしても企業における生産管理や品質管理にしても結局のところ人というものを対象にした考え方に他なりませんし日本人が作るモノの品質が良いと言われるのはモノに関わる一人一人の人がとても真面目だと言うことなのです。

 そのことを概念としてまず最初に捉えておいてから人の成長に付いて考えて行くと基本は性善説なのだろうというところに私は辿り着きました。もちろん全員とは言いませんが人を信頼し期待し知識と経験を分けたり貰ったりという概念が好きなんです。
 

在庫3

 何かが必要な時、出来れば必要な数だけある方が良い。余れば何か落しているのだし足りなければ間違って使用していることが分かります。でも実際には、トマト半分で足りる時もありますし、トマト3個が1パックで販売していたりします。

 工場でも、何度も取りに行く手間や作業現場のスペース、生産予測量などを考慮しロット単位で物を補充しています。例えば、部品が半分になったら半分補充したいのであれば入れ物を2箱用意し空になった方を前工程に持っていきます。

 前工程は、予め1箱の在庫を持ちそれを後工程に渡すとともに1箱の生産を始めます。こういった流れが1つの完成部品に対し材料レベルまで続くのが理想ですが、流れを維持するのに一番問題になるのは不良品などの不足事態です。

 不良品を作ればやり直しや新たに作る部品が必要になり万が一、完成品に紛れ込めば何が起こってしまうか分かりません。これを防ぐために在庫管理の考え方に品質管理の考え方を取り入れるのです。在庫管理、結構奥深いのです。
 

在庫2

 車一台を作るに約3満点の部品が必要になります。日本の自動車メーカーは受注生産という形を取っていますがお客様が待って下さるのは良くて数か月、何を買うかを決めればその日にも欲しくなるのが人情だと思います。

 当然のごとく一つのラインで作られる車種は限定されていきますが皆さんも知っての通り車にはグレードがあり主要部品のエンジン性能や足回りの強度などが変わってきます。そしてそれらに付けられるオプションの数々。

 そう、絞られていると言えども使用するかもしれない部品が数千点増えることになり増えた部品それぞれに生産工程があります。結果、部品の在庫地点はカタログにある選択肢を中心に、どんどん広がり管理されています。

 この在庫管理の計算をコンピュータでするのがMRP(資材所要量計算)です。基本は昨日のブログと同じ、少々面倒なので機械に作るまたは買うの計算をさせるのですが出始めは月に一度の計算で良いと指導されていました。

 とんでもない!毎日計算は行います。そして一台生産毎の修正がされる工夫が必要になります。
 

在庫

 急に物の管理に付いて考えたくなった。「物は、必要な時に必要な数だけ適正な品質と価格のものが必要な場所にあればよい」のだけれども、家庭であれば玉ねぎが半分残ってしまったり、企業では顧客の希望納期に物がそろわず受注を逃してしまったり、と言うことが起こる。

 残り物を無駄にしないため、多くの顧客が期待する納期に間に合わせるため、在庫というものを持たなくてはいけなくなるわけだが、在庫を持つと言うことは価値を寝かせておくと言うことなのでその量や期間をできるだけ短くしたいと考えるのが普通だ。それには何が必要だろう。

 まず資金繰りは必要だ。用意できた資金から考えるのは、用意するのにかかる日数と必要と予測される消費される個数、用意するのに加工が必要であるのであればそれも加味しなくてはならない。顧客の要求は数十分なのか数週間は待てるのか、商品の保存可能時間は幾らか。

 家庭であれば家族の顔を思い浮かべながら財布の中身と冷蔵庫の中身を比較しチラシの特売品などを眺めながらどこに何を買いに行くかを決めて行く。会社であれば営業などにお伺いを立て今までの経験から求めた計算式なども駆使し経理の許可を得る。どちらも楽しそうだ。
 

見つめる

 そこには、慌てふためいて手順を間違えたり落してしまう自分が居ます。それを少し離れて見つめてみると、そこに追加の手順の割り込ませ方や理解されていない手順に対応できない自分が見えてきます。それが慣れると言うことだと思います。

 間違いや落しが誰にでも起こる事なのは、誰でも知っていると思います。あまりに忙しく、それでも自分で決めたこととしてこのブログを見直しなしでアップすると当然のように誤字脱字が散見されます。数度見直したとしても間違えは起こるのです。

 もちろん慣れた人であれば、落しを少なくする事は出来るでしょう。それでも絶対は無理なので第三者などの目を借りることになります。面白いのは、第三者が他人とは限らないことです。例えば指差し確認は、自分を第三者に仕立て上げれます。

 その自分を第三者に仕立て上げる行為にも慣れるまでの訓練期間が必要です。それに個人差はありますがその物事に対する愛情とか誇りとか使命感とかがあれば何とか成るものだと私は思います。後は同じような気持ちで他人を見れるかです。
 

楽天家

 何かが出来ない時に失敗は素直に認めた方がいいし隠すと心の傷になると思う。心の傷を作る位ならば、その内に何とか成ると開き直り世の中を楽観的に見ていればいい。素直に反省し次に備え遅くても良いから前に進む。

 負けないこと逃げ出さないこと、それをカッコイイと私は思う。あれ?そんな歌ありましたね。(⌒-⌒) 楽天的に生きるのも簡単では無いのがこの世の中ですが戦争のまっただなかの国でも子供たち中心に笑顔がありますよね。

 子供に玩具を与えれば喜びますが無ければないなりに棒とか鍋の蓋とかを使って遊びます。子供が集まれば鬼ごっこや隠れんぼ、仲良くなり何かしらの遊びを見つけ出し走り回ります。それを見て大人も笑顔を取り戻します。

 小さなことに楽しみを感じられる心と怖がらずに誰かに甘える力を誰もが最初は持っているのだと思います。ですから、その時点でやるだけやったら甘えてしまいなさい。その方が結局のところ自分にも周囲の人にも良いのです。
 

社会的少数者

 人には向き不向きがあり頑張っても結果が出無いこともあるのだけれども、それでもその夢を追いかけたくて人の何倍も努力して(但し多くの人、または特別な人は努力せずともそれが出来る)結果、夢の端っこにかじりついている人がいます。

 出来る人から見れば、出来ないが分からないし可哀そうから呆れるに変わったりもします。そこに人間の悲しさがあるような気がしています。成功し続けた素晴らしい人逹と同じ数だけ失敗し続けた人達がいると考えるのも間違いでもないのでは?

 それは何も競争社会においての話だけではなく生まれ付いてのハンデや運(お金持ちの親?何故か犯罪者になった人?)に恵まれなかった人に対する道は決して広くは無いと思うのです。それでもその道を進もうとする人がいれば、応援したい。

 結局のところ、そう思う変わった人というのもこの世の中には居ますし社会全体としては、社会的少数者を尊重しようという方向にはあるのだとは思います。民主主義が多数決だと思ってしまったら前に進めない世界というのもあるのだと思います。
 

結局のところ

 協力し合い助け合った方が全体としては上手く行くと分かっているのに敵を自然に作るのも人間なのかもしれません。理由は色々つけられるのでしょうしその日の体調なども影響しそれを自分のせいにしたくないので仲間を作ったりするかもしれません。

 この詰まらない争いを防ぐには共通の目標と共に高い目的(理念)が必要なのですが人の気持ちを合わせるだけの目的であったとしても人の思いは人それぞれなので解釈も様々、伝わりにくく結局それぞれの思いのままに集団を作ったり孤立したりです。

 過去の歴史を見れば進化には過酷さが必要でした。何度も繰り返された生命滅亡の危機が今の私達を作り今も大きな争いごとに巨額な投資が行われ効率の良い殺害方法が編み出されている。その温床になっているのは、もしかしたら身近なイジメ?

 人であればそう言った部分が無い人は極々稀なのだとも思います。思うのですがそうではない部分も併せ持っているのが人間なのだと思います。であるのであれば、やはり国や世界レベルで持てる高い目的が必要なのですがそれが何なのか分からない。
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できること

 長く関わったのと夢見る夢子チャンの性格から電子や電気、そしてプログラムの世界の仕事は、比較的向いているように思います。最新情報ですと英語の資料が中心になりますが探せば面白いアイデアがゴロゴロ転がっているのもこの世界です。

 回路図を紙に書いていた時代には、これから描くことを与えられた用紙にどの様に配置するかから始まりました。大きな紙に収める時もあれば、複数枚に展開して描くなど、ペンを握る前に随分と考えました。コンピューターを使うと違うのでしょうか。

 多分ですが、コンピューターの世界でしたら描いた後に縮小拡大ができたり分解したり描き直したりが何度も出来ますから発想の手助けをコンピューターがしてくれているのかも知れません。私は、昔の人間なのでコンピューターの前で考えてます。

 それでも修正は楽ですし、何と言っても過去の成果物を探し出すのが簡単、これに多くの時間を費やしていた以前と比べれば随分とコンピューターに助けられていることが分かります。そして他の方の情報も得ることが出来る。もう脳の一部ですよ。
 

何をさせるか

 大量の遺伝子情報の読み解きが数年かけて多くの科学者たちの手により行われ、今では数万円という価格で分析できるようになった。この遺伝子情報と癌の薬との関係をAIに分析させた会社があり癌の薬はその発症部位ではなく遺伝子によって効果に違いがあることが分かった。

 この発見により効率の良い投薬が行え多くの癌患者が助かるようになったが残念ながら比率は少ないものの現在の薬に合わない遺伝子を持った癌患者がいることも分かり全ての癌患者に対しての朗報とはならなかった。それでも人間だけでは無しえなかった進歩がAIで得られた。

 大量のデータを分析するには人間の脳は遅すぎるのである。また、休まずに分析し続けることもできないがコンピューターと呼ばれる演算装置は、こと与えられた計算に特化すれば人間の数万倍、数億倍の速さでの計算を行えまだまだ進化している。問題は何をどう計算させるかだ。

 随分と昔にコンピュータゲームが流行りだしたころに私も簡単なゲームをアセンブラ言語(コンピュータ言語”0と1”の手前)で作ったことがある。コンピューターが処理のほとんどの時間を人間がどうするのかを待つ時間に使うことが分かり驚いたことを思い出した。キット今も待っている。
 
追記:今のところは、まだ人間の脳の方が優秀です。今のところは
 

好きなこと

 センサー技術を考えてみると電磁波と力を何で受け止める(感知する)かが原点にある。電磁波は、光や赤外線、紫外線などで波と粒子の性質を併せ持ちこの電磁波の変化を読み取ることで物体の色や外形、内なる構造もある程度分かる。

 力は感知する物体の変形を読み取る。力は基準点に対しての変化だが温度、圧力、振動と様々な形態を取っている。それらに適した受け止める「物」を用意し電磁波ともども電気変化に変える必要がある。変化を何で受け止めどう変えるか。

 変化を電気変化に変えたらそれをどのように処理する側に伝達するかの技術が必要になってくる。電気を通すケーブルを使用するのか電磁波を利用するか程度しか思いつかないが何れにしても意味のある数値化と暗号化の技術が必要だ。

 伝達された情報は人が分かる形、その内容をどのように判断すべきかを判断できるレベルにするデーター化の技術が必要になってくる。昨今は似通ったデータを二次元的に寄せ集めたデーターを関連付け処理するAIが登場し勉強中である。
 

転機か?

 どうも私の知識というか能力というか覚え方というか、そういったものには偏りというか能力不足というか、その瞬間瞬間には役立たないものばかりだと言うことに気付かされました。ようはチャンと覚えていないのです。

 あれも知っているしこれも出来るといったところで、それは”あの資料はどこにあったかな?確かあの本のどこかにヒントがあったはずだ、あのことに付いて調べれば分かるハズ”と言ったように物事を大体で記憶してる。

 だからその場で応えられることは、大変大味になってしまうので相手に伝わらないしそもそも役に立たない。課題を頂いて朧げな知識と経験を私なりの想像力で形にし確認しながら悦に入るパターンで今までやってきた。

 キチット覚えていないのだから覚えられる量は多いけど当然のように薄っぺらなものになってしまう。それでも良かったしそれだけの時間的余裕があったのだと思う。どうもこれからは、1つか2つに絞って深くがいりそうだ。
 

研究対象

 いまだに状況判断が上手くできません。もちろん一度経験したことや本などで学んだことに対し時間を掛けての判断でしたらそれなりには熟します。問題は知識や経験のないことに対しての状況判断なのですが先に対しての深読みが甘いのです。

 私達は人間社会に暮らしていますからその時々の状況判断は、その時々に関わる人に対して影響を与えてしまうわけですので間違った状況判断に巻き込まれた人は堪ったものではありません。過去に幾人もの方に嫌な思いをさせてきたことか。

 私が持って生まれてきたのは、自分に甘く他人に厳しい性格ですので考えが及ばないことが多いのではないかと思います。自分に厳しくとは、何事も周囲のせいにするのではなく、周囲の人の気持ちを察して状況を読み取った上で行動する事です。

 それが出来れば、周囲の方の役に立つことが出来ますからリーダーシップやマネージメントを発揮することも可能になると思います。さて、この能力は如何にすれば獲得することが出来るものなのか?もう少し自分を研究してみようと思うのです。
 

継続力

 人それぞれですが、親としては二十歳前後までに稼ぎ出してくれ、三十前後までには結婚してくれて孫の顔でも見せてくれれば安心できるのでは、とは思います。歳だけは誰でも毎年取れるのですが働くと結婚というのは、一つの山場なのでしょう。

 私に生きる意義や向き合い方が分かっている訳では無いのですが朧気に考えてみるとそれは継続力なのでは?と思います。たまたま出会った知識や経験を継続していく力や人との出会いを大切にし自分中心だけでなく相手も見据えて行く力です。

 やはり継続すれば、仕事も覚えて行きますし長く付き合う相手にも心が通じる可能性が上がるものだと思うのです。逆に何らかの理由で続けられなければ、その方が今後示してくれるであろう未来も無い訳ですから会社にも相手にも見捨てられます。

 できればと思うのは、継続力は諦め力では無く、辛抱は周囲を見渡すための準備であり、妥協は先に進むための知恵を生み出すものであり、それらを積み上げることこそが継続力なのだろう、そしてそれぞれに飛び立って行ってくれれば、と願います。
 

思い込み

 如何せん思い込みが強い性格でして、一列の最後の一つを見付け手に入れる用意をして戻り違う一つを手に取ってしまう。種を明かせば用意の間に手前の一列の商品が幾つかさばけ最後の一つになっていただけの事。よく確認すればと後悔しきりです。

 少し話は大きくなりますが、林檎が落ちるのを見て重力を発見したニュートンさんが言うには「私は巨人の肩の上乗って見ているだけ」というように私も貴方も何億年という生命の歩みと共にある知恵の恩恵を受けて今ここにあります。なのに間違えてしまう。

 間違えることを知っているからこそ間違えないための工夫を繰り返し考え実践し次に繋げていく。問題は、知っていれば間違えない問題と体が覚えなくては間違えてしまう問題とどうしたって間違ってしまう(繰り返される戦争?)があると分かっていることです。

 そこに甘さがあり先を見通せなかったり見逃してしまったり見えているのに何もできなかったりしてしまう。多分、そう考えること自体が自分への甘さなのでしょう。時に人は天才を変人扱いし自分の気持ちをなだめます。もっと愚かさを認める私でありたいです。
 

進化論

 組織を進化させようとするには、二つの方法があります。大きな変革をまず行いそれを中心に周囲を引き上げる方法がその一つです。大きな変革とは、新商品であったり生産技術の導入であったりトップの入れ替えであったり様々です。

 もう一つは、全体の底上げです。組織は、縦と横の階層で成り立っているのが通常ですが、よく観察するとマトリクス的に関連しているのが分かります。この交点に対し情報と課題を提供し風通しをよくし考える楽しみを教えて行く変革です。

 それぞれの方法の欠点を上げるとすれば、前者は大きな変革を見出し続けなくてはならない点にあり、後者は人に対する教育を理念にまで高める必要がある点が挙げられます。もちろん両方一度に行えればよいのですが、難しいのです。

 通常、組織は進化しなければ寿命が尽き消えます。進化は考え行動する力であり同じ様に見えてもまるで違う組織へと生まれ変わらせます。進化には時間が必要であり中に居る人には気付き難いものだったりしますが、進化は必要です。
 

未来を語る

 ちょっと嬉しい招待状が届き、以前の仲間達と久々に会えるかもしれません。それぞれに課題を残してきたのですが ・・ 期待しない方がいいかな?どれもフォロー無しでは難しいとも思うのですが立ち向かえば必ず成長できたハズ。

 それは、生産の流れを学ぶものであったり在庫の管理を学ぶものであったりします。少し上級になると品質と言う概念を学ぶことにより組織として行動する面白みを理解するものもありました。そのまた上位には人を思いやる課題も・・。

 私が今新しい環境で新しい課題にチャレンジしているように環境が変われば課題も変わります。環境は何もしなくとも時間と共に変化するものであり、変化の都度生み出されているものなのですが、人はなかなか課題に気付きません。

 私なりには、一緒に過ごしていた環境には、どのような課題があり、目的に近づくためにどのような目標を幾つ設定しなくてはならなく、どのような手順で進めることでどんな未来が得られるのかを語ったつもりでしたが、力不足かな・・。
 

会話の時間

 会話の内容も色々ありますが過去の栄光を話すのは、自分を本当より大きく見せようとしているようで何となく罪悪感を感じます。逆に過去の栄光のお話を聞くのは、その方を知れるので楽しいのですが何度も聞かされると飽きてしまいます。

 やはり小さなことでもよいので等身大の今の自分を誇れたら嬉しいと思います。もちろんそんな報告やらお話しやらは大歓迎!思わず聞き入ってしまい聞き役の私自身も嬉しくなるし逆に一緒に喜んでくれれば嬉しさも倍増するのは皆同じ?

 誰とでも会話が成り立つというわけではありませんが私的に一番楽しいのは、未来を語る時間です。自分個人の未来もありますが特に科学や医学分野の未来の話は大好物で話し出したら飽きることがありません。でも、なかなか相手が(汗

 相手と言うならば、今一番大切にしたいと思っているのは、相手を思いやる会話です。それは相手を気遣う会話ではありますが憐れむ会話ではありません。過去も今も未来も全て含めたその人らしさをそのまま受け入れる会話が好きです。
 

怒り

 自分が間違えた時、間違えないまでも事が上手く進まなかった時に怒ったりしませんか?他のせいにしたりイライラをまき散らす方をよく見かけます(溜めこんで増幅させている人もね)。哀れだと思います。

 自分が間違えた時、間違えないまでも事が上手く進まなかった時に早口になったりしませんか?何が起こっているのか自分でも整理が付かずに”何とか対処しなくては”と空回りする。頑張っているのです。

 人それぞれですけれども出来れば、自分が間違えた時、間違えないまでも事が上手く進まなかった時の自分を冷めた目で見れる自分をもう一人、用意出来たらと思います。そいつから意見を聞きてみたい。

 多分その意見は、私の思っている通りのものなのでしょう。自我であり自己防衛本能なのだと思います。でも、殻の中から外の世界は変えれません。「外においでよ」と誘い教えてくれる{怒る理由なんて無い」。
 

恵まれる

 誰かが集まれる場所を作れる人がいます。幸いと言って良いのでしょう、私に誰かが集まる場所は作れないのですが何故か何時も周囲に誰かが居てくれます。そして悩んだり苦しんだ時に意図的かたまたまかは別として手を差し伸べてくれます。

 誰かが集まれる場所を作れるように成るには、それそうとうの知識と経験が必要だと思います。私は、落ち着かない性格なので色々なことを知っています。知ってはいますが誰かにそれを伝え場所を作れるほどの知識と経験の深さは、ありません。

 経験と知識の深さは無いのですが、それなりに真面目に考え行動し私の得意技である一生懸命空回りをしていると誰かしらが手を差し伸べてくれ、それが小さな輪になっていたりします。間違った考えですが出来ないことで少しばかり得をしてます。

 人は、残酷で冷たいようにも思えるのですが、これ程に優しく親切にされてよいのだろうかと考えてしまう時もあります。私もお年寄りや子供にお節介を焼くことはありますが、自己中の我儘人間なので手を貸すなどは。でも、ときに人は優しいのです。
 

言葉

 言葉より行動とは思うのですが最近言葉の力に驚かされています。もちろん一度や二度の言葉掛けでは、思いは風のように通り過ぎてしまいますし本心からの言葉でなければ相手の心に届かないのだと思います。

 本気の気持ちで何時もと同じように語り掛けるが続くと、少しづつ気持ちが近付いて居るのに気付く時が来ます。それは望んで得れるものでも無く相手が自然に受け入れてくれたことに喜びを感じる至福の一瞬です。

 良い言葉掛けは、相手の頭をリラックスさせ笑顔を呼びます。想像力を与え勇気を身に付けさせます。色々な意味での成長を助けるものなのだと思います。そして私もそんな風に接して貰えているのだと思います。

 行動は大事です。本当の意味での結果を出せるのは、行動だけです。でも、行動だけでは、相手に気持ちが伝わらなかったり自分の気付きも生まれにくいのも事実。返ってきて育ててくれるのが言葉だと思います。
 

暗殺!?

 誰かが大切に守っている命があります。それが普通なのですが誰かが簡単に消してしまう命もあります。守るものは、自分自身であり家族であり仲間であり、より多くの自分や愛する者を中心としたエゴなのだと思います。

 消してしまうのは、そのエゴに敵対する何か、自分自身の楽から始まり勝手に正しいと勘違いしている正義なのかも知れません。そんな事が許されないのかは誰でもが知っているのに何かの狂いが生じてしまうのですか?

 もしかしたら大きな力を持ってしまうと、それを使いたくて我慢が出来なくなってしまうのかも知れません。もしかしたら自分が決めないと正義が守れないと思うのかも知れません。本当にそうなのかどうか私には分からない。

 分かっているのは、心が満たされていれば争いは起こりにくいと言うことぐらいです。でも、多くの人は、これで満足ということを知りません。何かを手に入れた後も新しい何かを欲しがります。それが進化なら寂しいです。
 

悩んだら

 仕事に慣れてくるのと一緒に仲間も出来てきます。共通の話題は、仕事のことになりますが徐々に趣味や友人、家族のことなども話し出すと思います。そいしてお互いを知り合い良き同僚となって行くのが理想です。

 人間関係で会社を辞めて行く人がいます。上司に恵まれない、同僚と馬が合わない、企業倫理に問題がある、仕事がキツイ、理由はそれぞれあるでしょうが最初から辞めるつもりで仕事に付く人は、居ないハズです。

 私自身は、仕事がキツイと思ったことはありますが仕事さえしていれば周囲は気にならなくなる性質ですし仕事に夢中になっていると誰かしらが面白がって声を掛けて頂けました。単純に運が良かったのだと思います。

 会社を移ること自体を悪い事だとは思っていません。自分に合った仕事や職場関係との出会を手に入れられるかもしれません。そのためにはポジティブに自分の良い面を探しましょ、見つかれば道も見えるハズです。
 

ごあいさつ

 恥ずかしいのですがブログを続けているとランキングなども気になってしまいます。2000番を切りますが100番を切ったのは、十年続けて数度あったでしょうか?何かしらのご縁で寄っていただく方々に感謝です。今年も宜しくお願いします。

 何事も人と自分を比較する必要は無いと思っています。思ってはいるのですが憧れる方達は沢山います。できれば私もそうありたい、もちろん容姿その他は無理ですが心の在り方、判断の正しさ、実行できる体力と行動力が欲しいです。

 それぞれがそれぞれに合った生き方があり、どれが正しくてどれが悪いはありません。ただ、その生き方を自分自身が良しとするかどうかの違いだと私は思っています。その価値を見極める力を養うには、それなりの時と苦労が必要です。

 そんな風に考えるように成るには随分と時間がかかったし、道半ばに届いたのだろうか?とも思っています。毎日をそれなりの緊張感を持って過ごせ、時に気を抜き今を楽しいと感じる。今年も人を自分自身を見つめて行きたいと思います。
 

今年も

 周囲のお陰様でとても良い今日になりました。ありがとう!

 上から期待され、仲間達から信頼され、利用者から愛され、家族友人が応援してくれる。それに応えられるだけの体力と真面目さが自分にも、ありそうだという安心感。今の私は、そんな気持ちなのです。

 今日という日を迎えられたのは、一番に会話の力だと思います。多くは、質問なのですが、雑談であったり、情報交換であったり、真剣と笑顔が沢山交換されました。それは、とても楽しい日々なのです。

 二番は、行動の力だと思います。失敗は、多かったけれども同じ失敗は繰り返しません。今は、緊張感を持って仕事に打ち込めます。そして毎日学んだことを整理し次の仕事に繋げる。充実した毎日です。

 この環境は、偶然与えられたものです。偶然に感謝です!