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興味を持つ

 何かが気になった時に調べる人が意外に少ないということに気付きました。また、調べようと試みても入り口で降参してしまい今一歩踏み出せない方も多いようです。そもそも興味を持って頂くこと自体が難しかったりします。

 何を面白いと感じるかは、人それぞれですが、仕事に付いたとしたら何かの力を加え何かの変化を生み出さなくてはならないわけですので、着いた仕事に興味を持つのがよろしいと思うのですが如何でしょう?興味あります?

 もちろん仕事に就いた当初は、分からないことだらけでしょうから興味以前に働けるようになるため色々教わり覚える努力をするでしょう。そして一通りを覚えたら後は繰り返しの毎日なのでしょうか?気になることはあるはず。

 以前は、何かに興味を持つ人ばかりでも困るのかな?と思っていましたが今は違います。ビジョンがあればベクトルは揃えられます。マネジメントを知っていれば価値の共有がでるようになります。調べが楽しみに変わるはず。
 

時間の長さ

 おー!というわけで気付きました。世の中には、失敗してよい事と悪い事の2種類があるが、そのどちらかがどのタイミングで起こるかは、運(環境)しだい。ということです。今のところ失敗続きの私も運が良いようです。

 体で覚えるべきことは、何度か失敗します。失敗しまいとすれば行動がスローモーションのようになります。そうなれば、理不尽な方が煽り立てます。「用があるのよ!巻いて仕事して!!」暇人の私には耳が痛いです。

 「宇宙の基礎ができるまでには、1秒(の何十万分の1?)と掛からなかった」と言われています。物より思い出、充実した時間は、短く感じはしますが、とても重く感じます。何より何度も思い出し更に自分の糧になります。

 学べば学ぶほどにチャレンジすればチャレンジの数だけ知らずに失敗する事柄は増えるのです。良いじゃないですか、自分の失敗ですもの。チャレンジできずに失敗もできずに罪を押し付ける人は、時間が長いでしょうねー。
 

起業家

 期待されるというものは、実に気持ちのいいものです。がしかし、当然のようにハードルは高くなります。なにくそ!と思うわけです。多少の失敗こそあるものの何とか飛び越えられたりします。快感です!

 期待というものは、その物事を分かっている人が出来ることであって、自分の職責が何だかわかっていないような方には人に期待をかけるということすら出来ないのです。それも運命、それでいいのです。

 夢見る夢子の私に全て物事が分かっているハズがありません。ではあるのですが、本来この世の中は単純です。いまある価値を継続的に生み出してくれるか、または、新たな価値を生み出してくれるか。

 前者は、生み出した価値に対する評価は減少する方向にあり、後者は、生み出した価値に対する評価が増大するか、または評価されずに埋もれるかです。初代社長、上司に恵まれなくて良かったんです。(起業しました)
 

気付けない

 よくあることなのですが目の前にあるものに気付きません。言われ指さされると確かにあるのですが、それまでは何故か視野に入って来ません。1度教われば次は気付けるのですが、また別の何かで同じようなことが起こります。不思議です。

 新しい環境に移った時には、一巡するまでそれが続きます。流石に大事故に関係しそうなことには、気付きますので、申し訳ないと思いつつも気にしないことにしています。気にしていたら次に進めないと思うので結構大雑把に生きています。

 とは言ってもそれなりに落ち込むのですが、これもまた不思議なもので(まあ当然なのですが)失敗を繰り返している内に様子が分かってきて何とかなってきます。過去の例ですと、そこまで行けると今度は人の気付かないものに気付けます。

 それはものと言うよりは考え方であったり工夫であったりします。それらに何時もと同じように過ごしているにも関わらず周囲の人が気付かない何かに気付くことが出来ます。気付けないを克服するのは、見えない何かに気付くための準備です。
 

探し物

 もし心が弱っている人がいたとしたら、または体に不自由を感じている人がいたとしたら、些細な会話や笑顔がその方の力になります。難しいのは、最初の一言や笑顔のキッカケ、誰だって知らない人は怖いものです。

 自分の名は、何であり何をしている人なのかを話し、少し知っている人の分類に入れて頂く必要があります。そこから罪のない雑談に入るわけですが、苦手です。苦手ですが、思い付いたことを何でも明るく話すのです。

 何かの話しを気に入って頂け笑顔を見せて頂けると、こちらもホッとし勇気付けられより強い笑顔で応えられます。後は回数です。チャンスがあれば話しかけ信頼の残高を積み上げます。私は、その方の力になりたい。

 そうやって私は人の心の変化、私の心の変化を確かめています。それは強い変化でも無ければ激しい変化でもありません。ほんの少し心地よいと思える、そよ風や緩い日差しより尚弱い、そんな変化を探しています。
 

何故?難解

 楽しいという意味が分からなくなってきいます。面白いことをしているとか、面白い話を聞いたとか、面白い本を読んだとか、何かしらの魅力ある事柄があって目の前が明るくなる、と言うなら分かります。そうでは無いのに何故か楽しいのです。

 体はキツイ(やっと筋肉痛から抜け出せそうになっているところ)、誰にも褒められない(関心を持ってくれる人は居ますがそれ以上に場違いと言ってるような目が怖い)、将来の展望も無い(というより現状維持が希望)、なのに楽しいのです。

 偽善とかエゴとか人間が本来の持っている何かしらに影響されていて、そのように思ってしっているような気はしています。が、その気持ちを誰に伝えても真の理解が得られないようにも思うのです。「それが楽しいというのは、変だよ」と言う声。

 聞こえます。そういう誰かの声と笑顔が私には、見えます。それは古くからの友人であったり、会社の同僚逹だったり(まあ職場が変わっても同僚と言うことで、笑)、家族であったりでしょう。そして何より多重人格の私が楽しいを面白がっています。
 

宇宙が見える

 以前、NHKスペシャルで観た異次元(物理学)の話は面白かったです。「綱渡りをしている女性にとってそのロープは1次元ですが同じ綱の上を歩き回っている虫はロープの上や下も歩けるので2次元である」という表現で次元を紹介してくれました。

 もう少し話すと「平面に見える公園には草が生えていて目線を下げればそこには3次元がある」というように目線を変えることにより次元も変わると分かりやすく説明してくれ、目線を変え計算すると次元は10次元もしかしたら11次元、面白過ぎです。

 私は我儘人間ですから長い間、1次元目線でしかものを見ることが出来ませんでした。それなりの苦い思いを繰り返し自分を少し離れた位置、2次元目線が少し出来るように成った気がしています。それから最近ですが相手の気持ち目線を感じます。

 この相手の気持ち目線を広げ多くの人の思いを感じることが出来れば3次元になるのでしょうか?そして歴史や未来目線を加えれば4次元?物理学では、多次元をミクロ以下の目線に存在すると考えると分かりやすいようです。人の内面も深いです。
 

伝え方

 それが良かったのかどうか、部下が上手く動かせなかったシステムを休日出勤の時に1時間かけて修復出来ることを確認し2時間かけて分かりやすい関連資料を探し休日明けに調べてみてくれるようお願いしました。お陰様で彼の努力でシステムは上手く動きました。

 不思議なものでパソコン関連の知識は部下の方が多く検索も早いのですが少し外れたことになると私の方が少しだけ上手だった気がします。確かめたわけではないけれど持っていた検索キーが違うのかも知れません。自分で調べて分かるという切欠が違うのです。

 私の教え方は、やってみせて、やってもらって、出来れば認め、更に任せる、といった感じをイメージしながら行ってきたつもりなのですが出来ていたのか、はたまたそれで良かったのかが分かりません。教えたというと語弊があるのですが同僚に対しても同じスタンスでした。

 そう言えば同僚から「その資料があるはずだから見せてくれ」と言われ本を渡したら経費で購入し配っていました。正しいとも思いますがその1冊だけで得れる知識でも無いと心では思いました。私の伝え方が悪かったのだと反省しています。どこが悪かったのか・・・。
 

優しさ

 優しいだけの優しさは、その人のためにならない。男脳の考え方という気がしているのですが男である私は、確かにそうだと思ってしまいます。一般に優しさだけの優しさは、その場限りであり将来においてのその人の為を考えていないと思うからです。

 将来においてのその人の為を考えるのは、大変な作業です。現状を知るだけでは足りなく、その方の人生や環境、経済に心身の状態など様々なことを知って初めてアドバイスができるのですが、それを行うには専門的知識が必要となってくるのです。

 誰でもできるというわけではないですし、一人でできることでも無いのです。優しさを提供できる学習と環境づくりには、随分と多くの時間と苦労が伴います。それを知った上で今掛けられる優しさに付いて考えます。嘘も真実も包んで寄り添えるかです。

 それは、女脳の考え方という気がしています。行動や考えを述べるのではなく、その方の思いをただ聞くだけ。聞いて共感し同じ気持ちになるだけ。それ以上のことは行いません。例えそれの繰り返しであったとしても、それも優しさなのだと思います。
 

耐える

 実力とは恐ろしいもので、世のため人のためにあれもしたいこれもしたいと思っても自分に実力が付いていないのであれば叶う訳もなく悲しい思いをすることになります。それでも志があるのであれば耐えるしかありません。

 悲しい思いは心を弱くする場合もありますが志があれば悲しい思いが重なって将来の目標を形作ってくれることもあります。目標のイメージが付けば当面何を頑張ればいいかが見えてきます。見えたなら打ち込めばいい。

 結局のところ私の打開策というものは何時も力任せなのか、とため息は出るものの他に良い方法も思いつかない自分を呪いつつ、より大変な方にのめり込んで行く自分を眺める。そっちの生き方の方が好きなのだと思う。

 結果がどうあろうとも打ち込めば行動が自身の糧になり結果が付いてきてくれ例え夢破れようともそれなりの達成感と諦めの中にも真実を観れた満足感があったりします。そういう経験をしてきたことに今は感謝しています。
 

困ったら

 複数の仕事を同時に処理するのが得意と思っていたのですがどうも違うようです。以前は、3つ位のことを考えながら2つ位の仕事を並行して行なうという感じでした。まあ、5つめが急に入ってきた辺りでどれか取りこぼしがあったりしたのですが(汗

 それでも後で思い出せば何とかなることも多かったのですが、今の仕事は1つ1つが複雑でありどれも取りこぼしが許されないという点が大きく違います。実際4つ目あたりからかなり怪しくなりフォローが必要になってきます。何とかしなくては、なのです。

 幾つか先が見えて来てはいます。1つは複雑な仕事1つ1つに熟練していくことです。これは時間が解決してくれると思います。もう1つは仕事の流れを自分の中で作ることだと思っています。2つめ3つめの仕事に入る前に1度流れを整理しておくのです。

 それらに必要なものは心の余裕だと思います。自分が今何をしているのかが分からなくなるようなパニック(1つの仕事が正しく熟せない)状態が1番怖いと思います。それにしても仕事は面白い。困ったとしても考えれば何かしら思い付き試せますから。
 

帝王学を考える

 もちろん受けたことは無いのですが帝王学というものはあると思います。それは、子供にとっての最初の教師は親ですから自身の経験や知恵で基本を組み立て人はそれぞれですからその子に合った方法を親が考え与えるものではないでしょうか。

 教育の基本は知識ですがある程度の経験が組み合わさらないと本当の理解には至りません。また、科学・数学・文学・歴史・芸術など異なる知識をどの順でどのように学ぶかが知識や経験を融合させる力、新しい組み合わせを見付ける力に影響する。

 そのように考え、これに加えて学ぶ個性に対し学ぶ姿勢を教えてくれる親以外の教師の存在も大きいと思われます。もちろんその事に関する深い知識と厚い経験があることが基本ですが同時に生徒に対する厳しさと愛情を持ち得ていることが大切。

 といった環境を用意出来る知識と経験を持った方は、きっと人の話を真摯に聞き物事の良し悪しを一方からだけ見ることはしない方ではないかと思います。それはなかなか一代だけで作り上げるのは難しいのでは?とも思いますが帝王学、ありそうです。
 

中途半端

 長くシステムの仕事をしてきたのでパソコンのことを時々聞かれます。少し時間をもらえれば何とかしますが実のところ最新のアプリや細かな設定は、優秀な部下とかがいたものですから殆ど知りません。で、がっかりされるわけです。

 家では、ほとんどあてにされていません。子供たちは私以上に理解しているようですしmomoさん(嫁)は、優秀なネットのお友達に相談するのが常です。まあ私と違って丁寧親切なこと世の中にはその道のプロがいて上手回ってます。

 問題は人に誇れる私の得意は何かです。浅ーく、色々なことが出来ますがこれが得意というものがありません、どれもこれも中途半端なのです。突き詰めるのが嫌いというわけでも無いのですが、事足りたところで次に移っていました。

 手を広げ過ぎて余裕がなかったというより全体を見る必要があった、そう思っています。それでも器用な方、興味のある方はパソコン位使いこなす?ところが最近の若い方はパソコンよりスマートホンです。やっぱり私は中途半端です。
 

心を休める

 人には、休息が必要です。例えれば息継ぎのようなものですから休息を取らないと死んでしまうかも知れません。休息と気分転換は少し違うように思います。例えれば本を読んでいたのを止め散歩に行くようなものですから活動自体は止まりません。

 休息は必要ですが気分転換も大切です。私の場合はドライブに出かけ何時もと違う景色を見たり何時もと違う人と会っていつもとは違う話をしたりするのが気分転換です。車や自然や化学などそこには違ったジャンルの趣味の仲間達がいたりします。

 過去に自分の殻を破って外に出た先で出会った方々とのお付き合いは細々ですが幾つか続いています。男だからというわけでも無いでしょうがサッパリした付き合いの中にも何となくの友情があり、それは私にとって大切な宝物のような感じがします。

 そんな友達に会いに行った往復6時間は一人ドライブです。気の合う仲間に合うことや音楽を聴きながら混雑していない道を走ることは(運転には注意が必要ですが)私の趣味であり休息の一部にもなります。きっと、心のどこかが休まるのだと思います。

 

体がたがた

 実のところ・・。新しい、チャレンジを始めて一月半が経ちました。まあ、何とかなるさで・・嘘です。実のところ恐る恐ると何故か飛び込んだのですが、その過酷さは慣れるどころか日を追って厳しくなってきています。正直なところ、楽しい。

 Mだろう!と言われる方もおられるかも知れませんが、自分的に判断するならばSです。私的には、Mは満足のMであり、SはサービスのS。私から見て、あんな面倒なことは相手を喜ばすサービス以外に行う理由が分からない ・・ でしょ?

 高校時代にスポーツ部活に加わったことを思い出しました。筋肉痛で三階の教室に上がることに随分と苦労しました。体が悲鳴を上げていました。でも、部活を辞める気にはなりませんでした。それほどに体を鍛えることが楽しい年代です。

 今は体というよりも精神を鍛えることが楽しい?そんな悠長なことは言ってられません。兎に角体がヒイヒイと言っています。でも、あの時と同じで精神は安定しています。今自分がやっていることは自分に必要なことなんだと、知ってます。
 

判断しない

 3日、3週間、3か月、3年。何となくですが、3の付く区切りで周囲の様子が見えてくるような気がします。心の準備に3日、取り合えず周囲の様子が見えてくるのには3週間、ある程度体が馴染むのに3月、仕事の意味が分かるのに3年です。

 ただ、これが物事のとっかかりとなると少し様子が違ってきます。何事もですが最初の3時間、いえ3秒という僅かな時間で最初の判断を下すのが人の常です。そして多くの場合、対象となるものに対する見方は、そこで固まってしまいます。

 固まってしまった見方は、対象をその方向からしか見れなくします。結果、正しい判断ができずに相手を評価してしまったり、進むべき道を誤ってしまったりすることにも繋がりかねません。そこで私は、出来るだけ判断をしないようにします。

 一瞬に、この人はこうだとか、この仕事はこうなのだという判断をしない。折角のご縁があったとしたならば、感覚的な判断を横目で見ながら何がそこで起こっているのかを見物してみる。それが出来るようになってくると見え方が変わります。
 

地味に変化

 先日、水素充填に行った折、個人タクシーの”TOYOTA MIRAI”オーナーと二言三言お話をすることが出来ました。「クラウンからの乗り換えだよ」「私は、白が好きだから、いいだろこの車」はい、とても良いと思います。

 東京モーターショウでは、新型のMIRAIが紹介され、2020年の東京オリンピックまでに都市バス100台を目標に量産型燃料電池バスを交通局が準次導入しています。派手さは無いですが地道に頑張っている感じです。

 水素充填のついでに相模原市立博物館でプラネタリウムにて、この時期の星座の紹介の後に「はやぶさ2」を観てきました。前回の「はやぶさ」は実験機の部分が多かったので不安も多かったのですが今回は大丈夫。

 地球に戻って来るのは「来年の暮れごろ」とのこと、こちらも地味に進んでいます。ニュースで入ってくる情報は、この世の中で起こっている変化の極僅か、未来への選択肢は沢山起こっています。地味に追いかけます。
 

大切な人

 科学好きのおじさんと知り合いになりました。「1770年(江戸時代前期)に京都でオーロラが観測され絵図が残されている」と教わりました。随分と大きな太陽フレア(爆発現象)だったのでしょう。私も見てみたかった。この先、見れるかしら。

 物質は、個体→液体→気体→プラズマと変化し、大爆発現象によりプラズマの嵐が地球に到達、地球は大気と磁場に守られていますが強いので夜側の地球磁気圏に入り込み大気と衝突、オーロラだー!みたいなこと、熱く語っています。

 「京都で見られたのだから地軸がずれていたことが分かる。知ってたか?」・・・知るわけがない(笑)。この世の中には、色々なことに興味を持つ人とあまり気にしない人がいます。気にしない人にとっては、大したことではないかも知れません。

 でも、気になる人にとって知ることはとても大切なことなのです。ですから、別の気になる人を見付けた時は大喜び、話が弾みます。そんな人に過去に何人会えたでしょう?数える程度です。仕事でもなんでも、もし出会えたら大切にしましょ。
 
注:おじさんとの会話は、正確とは限りません。あしからず。

私は変わる

 どうも私は、集中力はあるようなのですが注意力が散漫なようです。例えばプログラムの世界においては細かな問題にも気付けるのですが普段の生活の中ではポカばかり、ため息が出ます。

 ただ、シッカリ思い出してみるとプログラムでも他の仕事(例えば講演用の文書作成)などでも誤字脱字が多く、その辺の事実はこのブログを見てくださる方々にはバレバレ、隠しようがありません。

 ようは、細かなことが面倒なんだと思います。ですので”絶対や完璧はこの世の中に存在しない”などとうそぶいて手を抜くというわけでも無いのですが細かなチェックを疎かにする。それは問題です。

 今までは、多くの気の良い方々がフォローしてくださいました。これからも助けて下さる方々が大勢いるとは思うのですが、そろそろ押さえるべきところは押さえなくては。あ、ブログは今までどうりで(汗
 

遊んでもらう

 年に1度会えるかの子供たちが居るのですが、会えれば最高の笑顔をくれます。そして1年のの月日が無かったがごとく1年前の続きが自然に始まります。保育園に通っていた子が既に小学五年生、新しい園児が加わりました。

 子供は何時、大人になるのでしょうか?子供と大人の違いは何でしょうか?遊びの中にもルールがあり自己主張と共に思いやりや気遣いと一緒に甘えがあります。あえて違いを探すのであれば、素直さなのかな?と思います。

 多分ですが、人に対する恐れが薄いのだと思います。基本すべてが友達なのかな?と思わされます。お陰様で私も友達のひとりに加えてもらえ素直に遊びを楽しむことが出来ます。それは大人としても至福の時だと思います。

 食事も忘れ、遊びに夢中になってしまいました。子供たちは親元に戻り出来事を楽しそうに報告しています。今日の出会いは、そろそろ終わり、私も楽しかった出来事を持ってそろりとお暇します。明日も良い日でありますように。
 

存在価値

 新しいチャレンジでは、一つ仕事を熟せるようになると別の仕事が追加されます。それも何とか熟せるようになるとまた新しい仕事を任されます。少しづつですが仕事の熟せる量や質が向上しています。それに合わせて周囲も変わってきてくれています。

 仕事の合間に色々と声を掛けてくれる人が増えました。先輩たちは、失敗をフォローしてくれたり励ましたりしてくれます。少しだけですが上役に期待されているのでは、と勝手に思ってしまう声掛けをしてもらえます。でも、まだまだ未熟を自覚しています。

 最初に与えられた仕事に慣れるだけでしたら多分1年もかからないとは思うのですが、一つの仕事が見えてくるには、3年は掛かると思っています。そこには、仕事を熟せばいいと思うだけの自分ではなく更に多くの仕事を学びたいという自分がいます。

 過去の私がそうでしたから今の私にもそれが出来ると信じています。人は人、私は私、それが私であり私の存在価値だからです。私の存在価値は、私が決めます。それは、私自身が考え行動し学び力として少し蓄えられたな、と思える時に生まれます。
 

理解する

 システム構築を教えたり調べながら自分で構築していくには、絶対にマニュアルが必要です。全体構成から概念のイメージを掴んだ上で個々のシステムを組み込んだり繋いだりしていく。その作業手順の1つが間違っただけでも動かないのがシステムなのです。

 システム構築に使うマニュアルは、一般的に分かりにくいものです。そのうえ正しいとは限りません、抜けもあったりします。各パーツとの相性にも影響されシステム屋を苦しめます。それだけに動いた時の感動は、大きいもので一人悦に入ったりしています。

 システムは、どんどん変化してしまうのですが学んだことは自分なりに整理しマニュアルを作成しておきます。修正などや後輩に引き継ぐためにです。毎日仕事に追われているのですが休日返上してでも記憶が新しい時に整理します。何度も懲りていますから。

 ただ、長く繰り返されてきた仕事の伝え方では、このやり方でなくてもいいようにも思います。やらせてみて、失敗させ、何が悪いのかを教える。教える側に取っては効率的で準備の手間もいりません。そう思うのですが、私なりにはまとめてみたいと思うのです。
 

見える会社

 今、仕事で沢山のことを覚えていますがマニュアルがありません。次々と口頭で教わるのですが「最後には個人差があるから」とか「私はこうやっている」などの一言が付き、実際個々で少しづつ仕事の手順が違っています。

 一番困るのは「上司が居る時は、やってはだめ」や「忙しいからしょうがない」ルールというか手順があることです。外国のTV番組で社長が変装し新人として職場に入り色々と経験するというのがありますが、多分同じ気持ち。

 新しく入った人は、きれいに染まるでしょうし他で色々と経験している人は「こんなものか」と合わせるのでしょう。それでも上の方が改善のレポートをまとめているのを目にすることがありました。キット何かされているのでしょう。

 上からは現場が見えないし現場からは上が見えない。少し大きな会社になれば、よくありそうな話です。よくありそうな話ですが、それを改善しなくては大きな価値を競争力を得ることはできません。それも事実だと思うんですが。
 

遊び心

 ジュニア(息子)は順調にスポーツ関係でビジネスを広げています。多くの課題を抱える現代社会において、それぞれの年齢や体力、目的に応じてスポーツに親しみ、生き生きとした生活をおくる手助けに、スポーツとICT(情報通信技術)を融合させることは自然な流れだと思います。

 ジュニアは、3歳から水泳を始め、選手コースで長らく活躍し、社会に出てからも趣味のチームを作り、仲間達と切磋琢磨し自己記録を更新し続けてきました。ですので、スポーツをビジネスに繋げるだけの基礎知識があるといってよいと思います。でも、福祉に付いての知識は薄い。

 人は老います。人それぞれですが、生き生きとスポーツができなくなる時が来ます。それでも生き生きとした生活を送りたいと思うのが普通です。現代社会において、生き生きとした老後を支えてくれるのは、家族というよりは福祉なのだと思います。思うのですが基礎知識がありません。

 福祉住宅コーディネーター、福祉用具専門相談員、介護福祉士、ケアマネージャー、認知症ケア専門士、社会福祉士、関連する資格や知識技能技術が沢山あります。ジュニアのビジネスに繋げたいと思うわけでも無いのですが私はこれを学んでみようと思います。学ぶことは、楽しい。
 

ペースを掴む

 以前は、土日に出勤しても無理しない仕事の進め方が楽でした。サラリーマンとしては、変だと思われるでしょうが畜産業や農家の方々は、それが普通だとも思います。ようは自分で仕事のペース配分を決めるなど主がこちらにあるかどうかなんだと思います。

 主になるというのは意外に難しく、例えば災害現場でもボランティアに助けて頂いて感謝している方がいる一方で、誰かに助けてもらうなど思いも付かづに途方に暮れている方もいます。そういう方には、こちらから伝える環境を整備する必要があると思います。

 会社を含めて社会というものは、皆の知恵で段々と良くしていくものだと思います。幸いなことに私の周りは、地域のことに気をまわし誰とでもお話ができる気のいいおばさん達が大勢いて、地域の防災を守るおじさん達も大勢いて、コミュニティができています。

 職場でも日々の状況を伝えあい確認集約し次の行動に繋げる仕組みがあります。この仕組みに助けられ何かと教えてもらっていますが皆から学に終わりがないという姿勢が伺えるので教わるが恥ずかしくありません。新しい自分のペースができつつあります。
 

眠たい

 幾つになっても出来るような気になっていたとしても、出来る人から見れば未熟は未熟、知らないが明白に分かってしまうで当たり前。それに対して素直な気持ちでいられれば、恥ずかしさはチョッピリで教われるチャンスが嬉し楽し喜ばし。

 教わるは、誰かのためではない。私を含め皆が幸せになるために人は人に教え次の世代に繋いでいく。そこには信頼があり尊敬があり温かい応援がある。素直な気持ちになれたとしたならば、それが分かる、それが見える、だから幸せ。

 長らく教えたり人をまとめたり気付いてもらえるよう努力したりしてきた。私なりには頑張ったけれども、できる人から見れば未熟だったのだと思う。それはそれで良いとは言わないが仕方がない事。今は、シッカリ教わり未来の自分を夢見る。

 幾つになっても出来るような気になっていたとしても、まだまだ学ぶべきことが沢山ある。それに気付けたのは、幸運だと思う。更に先の世界、新しい未来、進化する自分、苦労が多く大変だけれども充実した日々。やはり私は運がいいと思う。
 

私は誰

 去年の今頃と今年を比較し随分と環境が変わったなー、と思う。思うのだけれども充実していると言うことにかんしては同じだなー、とも思う。結局のところ人間どこで何をしていたとしても自分次第なのだと思う。

 私は、海外で生活をしたことが無い。そもそも環境が変わることを好いていない。出来れば変わらない方がいいと思う自分がいる。でも、何かと始めたがる自分もいる。だから海外に行かなかったのもたまたま。

 自分の未来は自分が作るなどとかっこいいことは言えない。何となく何かを始めてしまう自分がいるので何となく未来が変わっていってしまうだけなのだと思う。そしてそこには、良いご縁が必ず待っていてくれる。

 昨年の今頃の私は、別のやるべきことを考えていて今の私を想像できなかった。別のやるべきことは他に任せることになったが今やるべきことに夢中になっている私がいる。結局のところ私は私、何者でもない。
 

コツを教えて

 幸せになるための、体の鍛え方、心の鍛え方、というものがあるのだと思う。もちろん人それぞれだから、これが正解、というよりも基本はこれです、といった感じのものであるような気がする。

 心技体は武道や相撲でよく使われる言葉ですけれども、仕事や普段の生活においても必要なのだと思う。ただ体を使うのではなく論理的に頭で考え前向きに事にあたる、といった感じかな。

 欲する一定のレベルに到達するには欲する量に比例して大変も増えるので、ことに挑むだけの気力体力持久力周囲の応援がとても重要なってきて、この辺から向き不向きがハッキリでる。

 それでも向かないことを幾ら頑張っても無駄、とは思わない。自分の欲する夢があるならば挑戦したい。で、少しずる。幸せになるための、体の鍛え方、心の鍛え方を、ちょこっと学びたい。
 

嬉しかったこと

 色々ですが褒められます。褒められれば嬉しいです。誰でもそうですよね。だから私も色々なことでところで褒めます。笑顔が生まれます。褒めるの連鎖です。

 この褒めるという行為ですが誰でもができるわけでも無いようです。人を褒めるには、気付きが必要です。相手をちゃんと見る目が必要です。色々なんです。

 褒める立場というものがあります。人を褒め相手が褒められて嬉しいと感じるには、それなりに褒められた方が褒めた方を認めていることが必要となります。

 私は、ある一部分に関しては誰かを褒めて喜んで頂けるレベルにあると思っていますが他の部分はまだまだです。まだまだに向き合う姿勢を褒められました。