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成長の仕方

 この世の中、体を動かす仕事ばかりではないので「自分のために」と言ってトレーニングを続ける人がいます。やはり健康的ですし外観もお若く何より楽しそうです。逆は、言わずもですよね。

 自分にとっての楽しいを持っている人は、一人でも辛くないし人と和すればそれはそれで楽しんでいるように思います。私と違って時間がゆったりと流れているのでは?私には分かりません。

 心には穴ががあり、穴を埋めようとするのが自然な行動ですが何かを頑張ることで埋める人もいれば、ただそれを眺め嘆き苦しむ人もいます。身勝手な頑張りは力尽きるかも知れなません。

 今、多くの人に助けられながら頑張っていて大切に思うのは、命令や怯えではなく信頼とかいう名の思いをもって誰かに助けてもらいながら穴を埋めていくのが良いのでは?という気付きです。
 

何故なの?

 数年ほど前にスマートフォンからインターネットを介して機械を動かしたり機械から得たデータをインターネット上に吸い上げスマートフォンで確認する仕組みを若い技術者たちと作ったことがある。私の良い勉強にはなったけど何時も通り価値に繋げる人は、現れなかった。

 同じ技術をジュニア(息子)の起業した会社では売りにし主にゴルフ場やスポーツジムなど出来るだけ身軽でいたい場所、お財布などを持ち歩きたくない場所で活用している。今はまだ、ドリンクサーバーや日焼け機器、ロッカーなどの課金や制御止まりだがまだまだ伸びる。

 体重計や血圧計、各種トレーニング機器、駐車場の仕組みは別な施設で実証済み。それらが全てICチップを埋め込んだ会員権(リストバンドであったりカードであったり)で制御でき簡単にデータが集められるのだから、後は既にある健康管理やお財布などと関連付けする。

 私にもジュニアにもどんな技術を何に繋げればどの様な価値を生み出すことが出来るのかが明確に分かる。ところが、言っても分からないのでやって見せても「ふーん」どころか何故か黙殺されることの繰り返しを経験してきた。正直なところ何故なのか分からないのです。
 

価値を見極める

 評価は、見る人によて違うのが普通ですが、見てもいない(見る力がない?)人に評価されるとすれば最悪です。まあ「そんなこともある」というのも普通のことではありますが。

 お陰様で、半年勉強し、約1月頑張って来月から次のステップに進めることになりました。先方の都合というのもあるでしょうが評価して頂けたということですからありがたいです。

 面白いもので約1月、私自身も評価者を評価していました。生意気な話ですが私の評価も合格、仕事に対する姿勢、能力、人間性ともに真摯に学ぶべき上司だと思っています。

 ステップが上がれば上がるほどに評価の内容も変わっていくのも普通のことです。ただ、上がってこれなかった人にとっては「評価が理解しずらいものになる」それも普通です。
 

七転び

 例えその事が他人によって引き起こされたとしても想定外な事は、起こるべきして起きているように思います。過去に起こった”あらま”と呆れること毎には、それまでの自分の行いであったり注意不足であったりが引き金になっていました。

 一般に言う悪い事が起こるわけなのですが、結局のところまるで自分自身がそれを望んでいるがごときに、そこに至るまでの私は見て見ぬふりをしていたり怠慢に物事を眺めていたりしています。よくよく考えれば、先は簡単に読めるのに。

 と言うことは、もしかして私はそれらの悪いことを望んでいる?それは、諦めなのでしょうか?それともそれが自然の流れだと思うのでしょうか?そうなんです。振り返ってみると一般に言う悪い事が私にとっての良いことに繋がっていました。

 マゾなのか?と笑われることもありましたが、比較的打たれ強く、なにがしかの悪い事があっても自分自身の心の赴くままに行動し結果として我儘に生きるを実践してきました。楽ではありません。でも、何度も立ち上がる生き方も好きです。
 

その先

 過去の自分の上に今の自分が居るわけなのですが、他から求められるのは、未来の自分であって、その期待に応えてくれると思われた時にのみ未来の扉は開かれる。もちろん”扉まで這って行って抉じ開ける”という手が無い訳ではないのですが。

 他が期待するものが分かっているのであれば、期待されるものと自分の能力を比較し足りていれば行動を起こし、不足があれば補う行動を起こしてから本題に入る。何れにしても自分も他も何が必要であるかを分かり共に共有している必要がある。

 分かりやすい仕事がいい。何を必要とされていて何が不足しているかが分かりやすいと何を行うべきかがハッキリしているので多少の個人のバラツキはあったとしてもベクトルの共有がしやすい。更に何が期待されているかを深く考えてみれるとする。

 どんな世界においても”これでよい”と一区切りを付けることがあったとしても”これで終わり”と終止符を付けることはできず、更なる奥があり広がりがある。例え、その先の世界で目標を達成できなかったとしても、広がる世界を見れた人は、幸せです。
 

芯を組み込む

 以前、100年もつ会社を作るために組織に縦糸と横糸を通そうとしました。もちろん組織というものは地層とは逆にTOPの下に横のものを敷き積め縦の層が出来ていくものではあるのですが、最初から感覚系を意識して組み上げられることは稀です。

 感覚系の糸の基本は、価値を生み出す現場近い各ポイントに品質に関するセンダーを埋め込むと同時に現場に対し意思決定を指示するポイントに働く人に関するセンサーを埋め込むことから始まります。埋め込んだら各センサーの動作確認です。

 もちろん組織は人ですからバラツキがあります。良いとか悪いとかではなく品質を意識することに人を大切にすることに向かない人もいます。向いているであろう人にお願いしたとしても初期の組織では、品質や人事の知識が不足して当然ですから。

 なぜ必要なのかと並行し知識と経験をセンサーとなっていただく人と一緒に作り上げながら品質は品質、人事は人事の横のつながりを作りながら縦のつながりの重要性や知識と経験を一緒に学びだす。言うは易し行うは、さて続きはどうなったか。
 

私の道

 頑張っていると何故か失敗が起こる。何もしなければ失敗は無い?いやいや何も行わなかったことを後で悔やむだろうから何もしないは、そもそもの失敗?休憩や息抜きと何もしないは違いますから。

 それにしても振り返ってみれば幾つの失敗をしてきたことか、誰でものことと思いつつも幾つかは取り返したものの幾つもを諦めてきた失敗の数々。結局それで今の自分が出来ているのですから諦め。

 もう、十分に大人ですから何を始めるにも丁寧に指導していただけることは少なくなりました。チャレンジして、失敗の数々を流さずに一つ一つ拾い上げ糧にする位の知恵は見せなくてはなりません。

 お陰様でその結果だけが自分を育ててくれ積み重ねの日々から新しい扉が見えてきて今までと違った考え方、学び方、伝え方が理解できていくことを知っています。何時かそれをまとめてみなくては。
 

和み

 実のところ雑談が苦手です。何を話してよいのか思いつかないこともあるのですが、そもそも人との接触に恐怖を感じてしまうのです。多分それは自己保全、嫌われたくないと何時も思ってしまうからだと推測しています。

 しかしながら人と接触し誰かの役に立ちたいと思う自分がいて、目の前には困っている人がいて、私には何もできないけれども話しかけることができ、ほんの少しだけその人が楽になるらしいということを知っているのです。

 ですので私は、勇気を振り絞って雑談をします。おかしいでしょ?頑張ってもその程度のことしかできないのです。それでも雑談は私にとっての新しいチャレンジであり、私が望む方向に近づくためのアイテムだと思うのです。

 人と人の接触は難しい。強い接触を望むのは特別な時だけであって、日常生活では、柔らかいそよ風、気付けば温かいと感じるお日さま、心をそっと包み込んでくれる音楽、そんな何気ない雑談が人を和ませると思うのです。
 

趣味の時間

 新しいことに真面目に前向きに対応し、まだまだこの先にひとやまふたやまと続くのだろうけれども、多少息に余裕ができたので休んでいた趣味のパソコンいじりをしました。

 しまっていた本と機器を出して配線を繋ぎ電源を入れダウンロードしてあったプログラムを書き込み電源を入れました。たったそれだけのことをしただけで1日が終わりました。

 慌てて明日の仕事の用意をしながら、でも趣味っていいよなー、と思うわけなのです。お陰様で同じような趣味を持つ方は世界中に大勢いて、それらを探してはまねをする。

 WEBAPIまでは少し時間がかかりそうですが、久しぶりのIBMさん”IBM Cloud ライト・アカウント ”がお試しで使えるようですし、好きな電子工作と繋げたら、楽しいだろうなぁ。
 

贅沢

 ”達成感”と”やりがい”の違いに付いて考えています。もっとも大きな違いは、目標を達成しなくとも満足できるかどうかなのだと思います。例えば子育では日々の成長を見ているだけで満足できると思いますし仕事に対しても成功だけが価値でも無いように思います。

 もちろん生活あっての自分ですから一定の安定を目標として仕事を達成する方が安全です。その中で与えられた仕事における上司や同僚、クライアントとの人間関係にての認められるであったり収入であったりは、”達成感”とともに”やりがい”でもあると思いはします。

 会社にとっての最善を考え行動するのは気持ちの良いものですが、ふと思うのです。ビジョンはあるのだろうか?会社として幾ら稼げばいいのだろうか?その先の社会性に対するビジョンは、あるのだろうか?もし、一定の価値を得られるようになったとしたら任せては?

 任せた後に残る生き甲斐があるとすれば、”達成感”ではなく”やりがい”なのではないかと思うのです。自分自身の価値観に見合った趣味であったり仕事であったり。周囲に認められることを追い求めるのではなく自分として満足できる何かを行う。贅沢な話でもあります。
 

できれば

 NHKさんでしょうか「副社長職を辞して幸せになるため島民となり自給自足に近い家族に加わる」といったようなドキュメント番組を観ました。幸せは、その人が決めるものですからどんな生き方をしても良いと思います。が、出来ないんだろうなぁ、とも思います。

 結局のところ「何を望むのか」ですが、それが見えている人は少なく、とりあえず何かを求めている内に、とりあえずが目標になってしまったりして、むきになり頑張り戦い守り、それが幸せだと言いつつも何故か心が疲れてしまう。そんなものかな、とも思います。

 どんな人にも、どんな所にも生活はあります。生きているうちは、ポッカリ空いてしまっている心の隙間を何かで埋めなくてはならず、その何かは生活の中から見つける以外に方法がありません。何かに追われている時は、気にならなかった隙間を何かで埋める。

 少し前までは、子供が一人前に成るのを見届けて親は亡くなりました。今の人間界は、ひ孫の成長を見れるぐらいに変わりつつあります。子育てを終え仕事を終え、その時に何で心の隙間を埋めるのか。それが、自然や人を愛する心であって欲しいと思います。
 

ヒヤリハット

 表面の効率を考え手抜きをすると(例えば出したものを入れることを考え引き出しを出したままにする)気付かずに怪我をする人がいる。そんな風に最近学んだ集団生活の中には、先輩達が多くの失敗の中から丁寧に拾い上げた多くのルールがありました。

 皆さんもヒヤリハットという単語を聞いたことがあると思います。病院などを中心に「突発的な事象やミスにヒヤリとしたり、ハッとしたりしたこと」を決まった書式に残し共有し大きな事故を未然に防ぐ仕組みです。簡単な仕組みですが定着させるのは大変です。

 何でもそうなのですが大切なことでもなかなか人の気持ちに届かず見過ごされたり促されても実行に移されなかったりします。その時点での費用対効果で判断したり将来起こる可能性のある被害を予見する能力が不足していたりする、等によって起こります。

 予測しなかった大きなトラブルを防ぐために小さなヒヤリやハットの気付きを記録し何が不足なのかを深く考え大きな問題を予見し、まとめ共有する仕組み。ひと手間を先のために惜しまないことにより限られた時間を計画的に使えるようになることを学びました。
 

100年持たない会社

 無能な上司ばかりだという話をよく聞きます。何をもって無能というのかを想像すると自分の能力を認めてくれない、とか自分の素材は良いのだから能力を伸ばせる環境を作ってくれない、といった理由なのかな?つまり無能な部下なのかな?と辛らつに思ったり。

 その仕事に付いたばかりの時には、先輩たちのことを無能な上司だとかは思わないハズ。何故ならばその時点では新しく付いた仕事に対して絶対の実力差があるはずだからです。右も左も分からない時点では教わるしかなく自分の実力などとは言ってられません。

 それが1年2年3年と勤めていると仕事にも慣れ毎日の同じ仕事に飽きてしまったり人によっては仕事が早くなり時間を持て余してしまったりします。もちろんそんなことは全然気にならない人もいますが多くの人は何かを求めます。それが仕事や環境だと不満になる。

 自分で仕事や環境を変えれる人は稀、多くの組織は変化を望みません。変化は未知の世界であり知らないこと危険な臭いがするからです。結局のところ先輩方は挑戦し成功した体験が少ないのです。変われない会社は?ジュニア(息子)は独立しましたが、さて。
 

私の世界

 今日が始まる時、今日が終わる時、不安な気持ちでその時を過ごす人のことを思うと胸が苦しいです。私に出来ることは何かないかなどと思いコンビニの募金箱に僅かばかりを入れたりします。偽善ではありますが何となく落ち着きます。

 人が苦労している時に共感してしまうのは自然なことですが切り替えて今やるべきことを全うすることも大切です。心配事が心の隙間に入ってこれないぐらいに真剣に物事に取り組む。疲れはしますが小さな達成感と共に心は落ち着きます。

 良いことばかりではない代わりに悪いことばかりでもない。私の中にも良い心はありますが悪いことに分類される部分が無い訳でもない。悪い心が表に出ず私の中で処理できていればいいし、良い部分ば上手に解き放ってあげればいい。

 明日が始まる時、明日が終わる時、明るい気持ちでその時を過ごせるように今日を、今を楽しむように心を切り替えたい。私には何もできないけれども私は何でもできる。ちっぽけな私は、この世の全てでもある。それは皆も同じなんですよ。
 

身勝手に

 一人で出かけるのも好きだし大勢で集まるのも好き。人の基本は、一人ですが一人では生きられないのですが、我儘な私は上手く人に合わせられない。悪気は無いのですが何となく自分勝手に生きているので気付かず人を巻き込む。

 何となく巻き込まれた、餌食になってしまった人が楽しいと言ってくれた時には、せめてもの救いと思うのです。ただ皆さんがそう思う訳でもなく、中には怒りだしてしまう人もいたりして。そんな人には謝まりつつ心の中では面白がったり。

 自分勝手に生きているとストレスが楽しみに変わります。苦労や大変が達成感に変わります。自分勝手といっても仕事には行きますし与えられた役割は熟します。友達やもちろん家庭も大事にしたいし、それでもやっぱり自分中心です。

 自分中心ということは、自分の中心がいくらか見えているといくことで、自分勝手に生きる自分を傍から見ながら周囲の変化を観察し、慌てたり喜んだり落ち込んだりする自分を楽しむ。そんな自分勝手な生き方が私は大好きなのである。
 

お祝い

 1月ぶりに学友に会います。彼は、高校中退後にアルバイトを始め毎月3万円を家に入れながら通信講座で高校を卒業、その後の職業訓練校にもアルバイトをしながら通い修了、そして昨日、最後のアルバイトが終わり明日から資格を生かし就職します。

 おせっかいな私は、そんな彼と今日は、おつかれとお祝いのドライブ、横浜方面にでも行ってみたいと思っています。まあ、お互い気楽に話せる仲なのですが、彼は頭の回転が速いのと突っ込みどころ満載のネガテブな発言が多いので話も盛り上がります。

 私の人生は私の人生、彼の人生は彼の人生、そろぞれ別なものですが、たまたま交わうことで何となく影響されます。過去に私が様々な方に出会い影響され考えを深めたり改めたり、そこまで深くはならないでしょうがお互い幾らか影響を受けるでしょう。

 5月の彼、21歳の誕生日にはチョコを上げました。「もう辞める」を何度も聞き、口癖なんだと分かるのに少し時間がかかりました。真面目で真っ直ぐな見方や意見には、唸らされました。これからどうなって行くかは、彼の勝手です。今日は今日で楽しみます。
 

楽しんでます

 良いことと悪いことは交互にやってきます。一日の中の出来たりできなかったりが日によって変わったりします。落ち込むのは、簡単ですが前を向く強い心があれば、大変ではありますが最終的に何とかなります。そういものだと私は知っています。

 前を向いて進んでいれば、不思議と周りが助けてくれます。アドバイスだったり温かい見守りだったり、時には厳しい叱咤激励だったりとその方その方の人柄が出る応援の数々、助ける方だったり助けられる方だったり、そうやって学んできました。

 生きていると何かと色々ありますが色々あったとき、諦めの悪い私から見ると何故やらずに諦める人が大勢いるのかが分かりません。諦め悪くもがいている内に面白いことが色々起こるのに、と思うのです。それは、とてももったいないと思うのです。

 良いことと悪いことの波の幅や深さは様々ですが悪いことの後には必ず良いことがあります。そして時々皆さん勘違いしていますが大変なことというのは悪いこととは違います。大変というのは良いことへの助走に他なりません。なら、楽しみましょ。
 

今日一日

 車の仲間達と走った羽生付近の利根川は、以前氾濫を起し大きな被害を出し、結果として200年に一度起こるかという大雨対策で出来たのが大堤防でした。何度も繰り返された災害の後ですが今回の台風には、間に合いました。

 日本は、災害の多い国です。大災害は、100年200年それ以上の単位で訪れるため十分な対策が確保される前に経験の少ない方が経済的理由などから危険度の高い場所に移り住んだりもします。仕方のないことなのでしょうか。

 私は、日本の工夫力の強さは、災害が多い日本だからこそのものだと思っています。そもそも地球生物自体の大進化も超大災害の結果として起こっています。大変な苦しさの後に立ち上がれるのか、多くの人が経験してきました。

 人はチッポケで弱い、弱いけれども生き残った誰かが生きるを繋ぐ。そこまで大きな話でなくとも、嫌だや苦しいを乗り越えた人だけが次のステップに上がり新しい景色を眺めることが出来る。振り返れば涙ですが前は輝いています。
 

日本人

 そうですね、十数人も案内したでしょうか、インドやベトナム、アメリカからの研修生をデズニーランドへ連れて行くのが私の趣味、道楽でした。日本語が話せる方もいましたが殆どは英語止まり、私は英語もダメなので変な道中ではありました。

 それでも遊びという目的と音楽があれば何とかなるもので通じているかいないのかの冗談を言いながらのドライブも楽しかった。何よりは、彼ら一人一人がとても真面目で陽気で前向きに頑張っていたからこその休日なんだろうと思います。

 最近、フィリピン、ベトナムのお嬢さん方と一緒に働く機会を得ました。こちらは、社会学習、お嬢さん方は学校に通いながらの就業だと聞きます。国で技術技能と日本語を学習した優秀な方が来日されています。とても真面目で前向きです。

 彼ら彼女らの仕事への向かい方にとても刺激を受けます。特にフィリピン、ベトナムの方達の国民性でしょうか?日本は文化的に受け入れやすいと思いますし、インド、アメリカは現代的に似ているのでは?と思います。日本は交わります。
 

相乗効果

 仕事は仕事、真剣に真面目に一生懸命働くべきです。でも、仕事の合間に話し相手が居るというのは実に楽しく同じ仕事も楽に熟せるようになったりします。人の力は不思議なもので孤軍奮闘している時もなかなかですが仲間がいると数段上の力が楽に出せるものなのです。

 仕事には、役割があります。役割を使う方と使われる方に分ける見方も出来ます。もう一つ、役割を分担するという見方もあります。どちらが効率がいいかは、環境によって違いますが、今の文化レベルでしたら中国・インドなどは前者で日本や北欧などは、後者がよいのでは?

 もちろん国という大きなくくりですから、その中でもバラツキがあり無理やり感は否めませんが、後者はお互いを認め合いながら自分の能力を伸ばそうと自主的に行動するので本人が持つ数段上の力を発揮することが出来ます。企業や従業員を成長させ価値を認め合えます。

 実際、ある程度の生活が保障されているとするのであれば、今後の自分の価値を伸ばしてくれる企業の方が自分の価値を伸ばそうとしている人にとっては魅力的です。逆に兎に角稼ぎたいという方の気持ちも分からないではないのですが・・・。まあ、何事もやってみることです。
 

難しい判断

 人の役に立つというものは、私にとっては随分と気持ちのよいものなので少々の苦労は苦労とも思わず行うことが出来ます。苦労もいとわず頑張れますから自然と知識と経験が身に付き、それなりの実力が付き更に頑張ろうと思ったりします。

 ところが、時にそれらの苦労を全否定されることがあります。理由を想像してみたりはしますが相手のことですから真意は分かりませんし、理由を分かる必要があるのかしら、とも思ってしまいます。人の気持ちに寄り添うのはなかなか難しい。

 結局は、全否定なさる方の考え方に共感できず、お気持ちは分かるのですがその人の気持ちを解すことを私自身が面倒くさいと思ってしまうのです。その結果がどの様になるかまで想像できているにもかかわらず、見て見ぬふりをしてしまう。

 思うに、その結果が想像できているので私自身にとっては良い結果でなくとも全体として役に立ったと私自身が思えるのであれば、あえてそれを受け入れる道を選びたいのでしょう。何故ならそこで更に頑張らなくてはいけないのは、その方なのです。
 

プログラマー

 プログラムのコツは、ラベルの付け方だと思っています。プログラムは、主となる流れと繰り返される処理、そして複雑な処理と稀に必要となる処理などに分けられます。これら分岐する処理が主となる流れを混乱させないように組み立てなくてはなりません。

 一度きりの発展性の無いプログラムや小さなプログラムの場合には、ラベルについて考える必要は、ありません。動けばいいのです。しかし今後も使われ何度も修正が加えられるであろうプログラムや複数人で作り上げるプログラムでは、ラベルが重要です。

 上手なラベルは、一通りのプラグラムを読み終わった後にラベル名に傾向があることが分かります。「これは表示系であろうとかこれは演算系のプログラムでこれは緊急処理だ」といったようにラベルからプログラムの大まかな処理内容が分かり混乱を防ぎます。

 新しく覚え始めた仕事は、プログラムの世界とはまるで違うのですが、ある程度全体が見えてきたのでラベルを付け始めました。主となる流れを作り枝葉の個別の処理の中へ状況スイッチを組み込み適したラベルへ移動し処理をし戻る。そう、私はプログラマーです。
 
 追記:ラベルとは、プログラムを呼び出すときのコード名です。

幸いにも

 信頼できる人というのは、どのような人なのだろう。教わる方としては、十分な知識と経験があり、物事の段取り、特に教わる人の特性を見極め厳しくも優しい教え方ができる方がいい。日々の中では常に周りに気を配り、刻々と変わる状況に対し的確な判断が下せる方がいい。

 人は自分に甘く他に厳しいものですが、必要とあれば自分にも他にも厳しく成れる。体力があり思慮深く、でありながら謙虚さを持ち合わせている。弱さもろさもありながら十分に持ちこたえるであろうことを行動で示す。温かみがあり時に見せてくれる笑顔が温かく人を包み込む。

 私はこの中の幾つの項目を努力してきただろうか?私は私のために生きており誰かの信頼できる人に成りたいわけではありません。成りたいわけではないのですが、書き出してみた各項目に対しそうありたいとも思うのです。誰かのためではなく自分のための自分づくりです。

 驚いたことに最近、手本となる方に出会いました。まだ、数えきれる程度のお付き合いですが何よりその姿勢から学ぶものが多いのです。今までは私の見る目が無かったのでしょう、手本としたい信頼できる人に多くは出会ってきませんでした。ここで出会えた私は運がいい。
 

レベリング

 どんな仕事にも段取りがあり、仕事の流れも効率の良い理にかなった順番というものがあるはずです。その中には、自分に合ったやりかたというものもあるでしょうが、情報共有の少ない部署では、自分勝手なやり方になってしまう場合もあるのでは、と推測します。

 特に困るのは、主観的要素が強い判断です。見た目での量や色具合、臭い音などなどについては、なかなか計測機器に頼れる現場は少ないようです。そこで活躍するのが人間の五感、ということになるのですが、特に項目の多い職場ではレベリングが必要です。

 情報は、計測者のレベリングをすることによってデータとして扱えるようになります。データは、分析が可能でそこから何かしらの推測ができ、次のアクションに繋げられるだけの精度が要求されるのです。ですので数値的正確性よりも何のためのデータかが重要。

 結局のところ、何のためにを意識できるリーダーがその職場にいるかいないかで仕事のやり方は、ある程度統一されスムーズな流れになって行くのだと思います。その効果は大きく、短期間での学習能力達成だけではなく、職場のやる気にも繋がるのだと思います。
 

ぐっと我慢

 物の伝え方が少し増えました。やってみせてやらせてみて、ぐっと我慢して応援し少し褒める。私の場合は、このぐっと我慢してが苦手で直ぐに手を出そうとしてしまいます。もちろん引き受けるプロジェクトは、そこそこの人を揃えるので今までは、それでも何とかなっていました。

 得手不得手は誰でもあります。教えてられ上手く行かなくて出来なくて当たり前だと言われても、恥ずかしかったり情けなかったりするのも当たり前、すねてみたり無関心を装ったり怒ってみたりと様々です。教わる方がぐっと我慢の時に、教える方が我慢できなくてどうしますか。

 若いと言うことは、とても素晴らしいと思います。素直に物事を受け入れ素直に反応し、時に人を傷つけることにより自分が傷つき苦労をして学んでいきます。人にもよりますが多分、青年期位から自分が傷ついても相手を傷つけることが減っていくのだと思います。対人力です。

 そして大人になる。素直に物事を受け入れ素直に反応し、は同じ自分が苦しい時にぐっと我慢できるようになり、相手が我慢している時にぐっと見守ることが出来るようになる。残念ながら私は、やっと大人の入り口に近づいたところ辺りのようです。でも、道は間違っていないハズ。
 

今は無理

 この世の中、まだなだICT(情報通信技術)に頼れず人の能力を最大限に引き出さなくてはならない職種があります。大量生産や大量の顧客に一定の幅のサービスを提供する職種は、ICT投資効率が良いのですが中小企業や少数、特に個別サービスの多様化対応は難しい。

 中小企業においては、例えばICTが大好きな社員がいたりして利益に貢献できる場合もあります。中小企業が伸びるためにはコアとなる何かしらの能力に特化した個を中心に社員が引っ張られ、ある程度のところまでは成長できます。延びる過程でバランスを崩すまでは、です。

 個別サービスの多様化対応は難しい。今の技術で出来ないことは無いのですがインフラ投資が今はとても高くつくのです。もう一つにはシステム設計の複雑さです。システム設計の基礎となる医療介護技術・情報通信技術の進化が著しく先を見越した設計が必要なのです。

 個別サービスの多様化の基本は、24時間、分ごとの体調変化に追従するデータの自動取り込みと整理、専門知識による判断と緊急を含む情報伝達網とチーム構成、そして個別チーム個々に対する情報提供と行動結果の情報収集、変化の検証に次のアクション・・おもしろ!
 

焦り

 努力が直ぐに結果に表れるのは稀です。私の場合には、小さなことでも形になるには1年は掛かります。一区切り、一息つけるのは3年から5年、ですので早く目標に到達したいときは、日々の中に焦りが出てきてしまいます。

 焦りは禁物です。あれもこれもと考え色々手を出してみるのですが落ち着いていないと集中できずに身に付かない、そんなハズはと混乱し、というパターンに陥りがちです。1日2日で結果は出ません、せめて3か月は辛抱です。

 幸いなことに私は何時も周囲に恵まれています。同僚には「そんなことは無いg-monさんは何時も損ばかりしている」と仰る方も居ますがそんなことは無いです。数は少なくとも親切に私のことを応援して下さる方が必ず居ます。

 人が人に親切にするということは大変なことなのです。たとえ数人でもそんな方に恵まれたとしたならばそれは大変に恵まれている幸せなことだと認識すべきです。信じれば、それが励みになり焦りがいくらか軽減されるでしょう。
 

脳は無限

 「やった分だけしか結果は出せない」結果を出したい人の考え方です。まあ、何もしないで得られる幸せもありますけどね。認められたいとかお金が欲しいとか様々ですが何らかの結果を出したいというのは人間の欲だと思います。ですので自然なことです。

 問題は、何に価値を見出し何を始めるかですが、様々ですから様々に調べるを始めるしかありません。自分は何を欲しがりそのために何を始めるのか、その切欠さへ捕まえられれば人の脳の能力は嫌がっても使ってしまえば無限ですので何とでもなります。

 そうなんです、人間の脳は無限の可能性を秘めています。ただ、使わないだけ。多分、これまで日本で行われてきた教育の原点は「励まし模倣させること」ですので、欲しいものがあったとしても枠から外れた切欠探しという発想は、難しいのかも知れません。

 人の脳は簡単に退化するようです。脳という器自体は、比較的早期に出来上がりますが知性は、脳に記憶された知識の組み合わせですので器が一杯になるまでは向上し、特に結晶性知能は70歳を過ぎてもまだまだ発達します。まずは、使う切欠をかな?
 

チャレンジ

 環境によって必要となる知識と技術技能は違います。人が慣れ親しんだ環境を大事にするのは、自身が持っている知識や経験でおおよそのことが理解できるからに他なりません。知らないということは、人に不安を与えますから。

 物事にもよるのでしょうが、知らないという不安に直面した時に調べる行動に移る人は、どの位いの比率でいるのでしょうか?知らないがあって、混乱があって、恐怖を克服し手立てを考え出す。その先の行動まで至るのは半数?

 会社などに居ると、自分から知らないにチャレンジする方は少数派であり、知らないに直面しても気付かないふりや口を開けて誰かが解決してくれるのを待つ方を多く見かけます。多くの人がチャレンジしたら統率が取れなくなる?

 そうなのかも知れませんが大なり小なり人は自分の生き方を自分で決めてきているハズです。ある程度の情報を得て先々のことを予測して不安がりながらも先に進んできているハズです。チャレンジ精神、それは勇気か無謀か?
 

苦手意識

 誰にでも苦手はありますが、私の苦手の一つに人の名前を覚えるというのがあります。出会えば誰もが行うように私も「初めましてg-monです」と挨拶をし「宜しくお願いします」と続けます。もちろん相手の方も返して下されのですが、これが覚えられない。

 人と人のご縁の入り口は、お互いの名前を覚えるところから始まります。それまでは、多少の意識はあったとしてもお互いを知り合うまでには至りません。心許すまでいかなくともご近所であれ仕事であれ軽い友達だったとしても、それはなかなか不便です。

 関連付け、反復記憶、ストーリー化、ここは一発頑張って何とかしましょう、してみましょう。苦手であっても人並み以下でも自力で空を飛べとか海の中で魚と一緒に数日暮らしてこい、などと言われているわけではないのです。だったら何とかなると思います。

 食わず嫌いでは無いですが苦手や出来ないも、そこから逃げていただけかも知れません。何と言っても今までチャレンジしてみたことが無いのですから、そんなことは自分でも信じていませんがやってみたら得意かも知れません。お気楽な性格で良かった。