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我が道?

 振り返ってみて私の場合は、我が道を行くタイプでは、ありますが、主役というキャラではないようです。その時その時の主役の方々は素敵な方ばかり、陰の主役などとは言われますが問題が起こらなければ矢面に出ることはありません。

 それはそれとして私なりには気持ちの良いスタンスではありましたが最近少し違うなって思うことが幾つかありました。それは、主役を支えてはいたけれどもそれはあくまで同じ目標に向かっているという条件付き、結局我が道の延長です。

 このところ学んだ人に寄り添うは全然違いました。寄り添うのはあくまでも本人の気持ちであり、本人が決めた未来にです。それは私から見たら遠回りかも知れないし、結果ご本人にとっても良くない方向かも知れないけれど、いいんです。

 条件なしでの理解と受け入れは、私にはなかなか難しくビジネスには使えないのでは?などと余計なことも考えてしまいますが、もう少し勉強を続ければ寄り添うをもう少し深く理解できそうにも感じています。人は幾らでも変われますから。
 

それぞれ

 世の中には様々な人がいますが、努力する才能がない人、人によって態度を変える人、自分だけが正しくて直ぐに切れる人達の話を聞くと大変というか、随分と不満足が多い人生だったんだな、と思ってしまいます。

 これに対して能天気と言いますか、何かに夢中になれる人、誰とでも率直に付き合える人、自分を客観的に見れる人達の話を聞くと一緒にいて楽しいし随分と学ぶことが多くキット幸せな人なんだ、と思ってしまいます。

 前者の人には、できれば後者のような人に成って頂きたいと勝手に思うのですが、環境が変わっても以前の環境が長すぎたのか持って生まれた性分なのか、苦労しながらも変わることなく、それなりに幸せそうです。

 私の場合は、色々な人に引っ張られながらも自分勝手に生きて、それで結果が出ても出なくとも自分が思ったことを確かめられれば満足、周りは心配そうですが、次の自分勝手に進むことが楽しくて仕方ないのです。
 

人の輪

最近、福祉に興味のある私は、国際福祉機器展に行ってきました。私の住まいから東京ビックサイトまでは、40kmまでは離れていません。それでも都内は信号が多くて、下道では2時間近く、かかってしまいます。まあ、丁度いいドライブです。

 車椅子で来場されている人も多く、社会進出の環境が整いつつあります。展示は、自動車メーカ各社さんとシステム屋さんが少し進化したかな、程度で、私の目が肥えていないこともあり、これはと思うような工夫には、出会えませんでした。

 誰もが同じように生きる権利がある。言うは易く行うは難し、何でもそうです。言うだけの人は、呆れられるし言わずにやるというのも素敵ではありますが、今の世の中、言ってしまって後は頑張って何とかする。そんな生き方もいいと思います。

 すれ違うどの方も目が温かく確かめはできませんが、国際福祉機器展に来場されていた方々は、そんな方が多いのでは?と感じました。私達は、一人では生きていけません。なのに皆さん一人で生きている気になってます。もっと輪を大切に。
 

頑張って

 人にラベルを貼るのが好きな人を時々見かける。そういう方から貼られたラベルは、よほどのことが無ければ剥がせない。時には、近しい人が巻き込まれ、あたかも新しい派閥が生まれたような状態になる。そんな時、私達は嫌われる勇気を持たなくてはならない。

 結局のところラベルを貼るのが好きな人は、自身が気付いているかどうかにかかわらず自分の弱さを隠したいのです。私は正しい、だから相手が間違っている、私の正しいは熱心に私の話を聞いてくれる仲間達が証明してくれている。そんな幻を欲しがっています。

 悲しいかな、虐めも人の本質である以上、そういった状態を楽しむ集団は、無くなりません。また、今までラベルを貼られていた方が何かのチャンスで貼る方に回り、虐待を始めるのも時々見かけます。立場の逆転によって起こる強かった人の弱り方は、凄惨です。

 ただ、声こそ小さいですがそうでない人も沢山います。民主主義においては、少数意見になってしまうかも知れませんが、心ある人は、います。私の近しい人がラベルを貼られてしまいました。心折れるでしょうが気にしないことです。嫌われる勇気を持って欲しい。
 

修業式

 幾つになっても変わらないものもあれば、毎日のように変わっていくものがあります。大概の変化は出会いによって生まれます。人であったり本であったり、時には見慣れた風景かも知れませんし旅先での大自然が切欠になるのかも知れません。

 変わらないものに、変わっていくものに気付かないかも知れません。変化を教えてくれる人もたまにはいますが、他人はなかなか変化を教えてくれませんし、たとえ教えてもらえたとしても本人が受け入れるとは限りません。気付きはその人しだい。

 ブログを読み返すと私の変化が良く分かります。都度、出会った人、読んだ本、刺激をうけた様々な形の出会い、それらが思い出されます。時には傷付くこともありますが同じ以上に心温められる時があります。鈍感な私ですが、生きて考えてます。

 ご縁があり今回、新しい仲間と学ぶ機会を得ました。半年と短くも充実した日々でした。仲間達にとっての学習は私以上に過酷なものであったようです。それでも成し遂げた仲間達を尊敬しています、出会えて良かったと思います。私は変わりました。

災害

 大変な時に自分より先に人のことを思える人がいます。もちろん自分と家族の身の安全が確保されてからの話なのだろうとは思います。思いはしますが私なら一人で自分と家族の心配をして周囲には気が回らないのでは、と想像します。

 周囲には、私たち家族より弱者がいます。そうでない人も沢山います。一人で心配するより近所を思い一緒に何かをする方がキット効率的であり何より心強いのでは、とも想像します。そう災害時には自分より先に人を思える人が必要です。

 私と何が違うのでしょう?いざという時の準備が違うような気がします。ご商売をなされているなど暮らしの環境が違うようにも思います。何よりもは自分に正直な人かも知れません。そういう人は敵も作くるかも知れませんが信頼できます。

 大変な時、大災害は必ず来ます。その時に何が起きて何ができるのか、考えてみることは大切です。家族と自分の身を守り、次にご近所のことを考えてみることが大切なのだと思います。苦手ではありますが私も考えてみたいと思います。
 

様子見

 先の事は分からないので基本、楽観的に生きています。先の事を考える時は何時も数十年後を夢見て5年か3年に落とし込んでから1年か半年か短くて3ケ月先の自分を決めてきました。私の男脳にはそのくらいが丁度いいように思います。

 最近、医療を勉強し現場計画の短さに驚いています。それはそうでしょう、数十年後を考えての予防はあっても治療はあり得ません、そこまで待てない。長くて半年、普通は数か月で退院ですので1月や数週間、日々の計画が立てられます。

 日々の計画ですから日々の変化に気付かなくてはなりません。病に対してもですが病は気からと言う言葉があるように精神の変化にも気を配ります。時には失われてしまった機能もあるでしょうし、生活設計が立てられないかも知れません。

 そういう時に必要なのが患者さんに対する寄り添いであり共感、条件なしでの受け入れる心です。これは、一般的に女性の方の方が上手だと思います。私の様に直ぐに答えを探しだし様々なアプローチをする者は苦労します。さて、困った。
 

応援したい人

 季節がまた巡り、BBQや芋煮会のお誘いを今年も頂けました。ありがたいことです。と同時に幹事さんのご苦労には、ひたすら感謝、私が苦手ですので余計にありがたさを感じます。この世の中に「良い人」はいないと思っていますが時に「とってもいい人」はいたりします。

 私の場合は、自分が生きるに精一杯なのだと思います。たまたま知り合った人逹に、その場その場で深くかかわったりします。そして多くのことをその都度学びます。同じ個性の方は居ません、必ず違った素晴らしい個性をお持ちです。その出会いが私の幸せなのです。

 遅れて人の輪に加わるタイプの私は、人を繋ぐ才能のある方が羨ましいと思う時があります。そういう方は、やはり魅力的ですし長く続く集まりには、気心の知れた良い仲間が、新しい仲間が集い心を和ませてくれる、その中心で輝いています。楽しいひと時を作ってくれる。

 私には私の個性があります。それは時に人を和ませ時にイライラさせるかも知れません。何か人の役に立ちたいという強い思いが仕事中心の私を作ってしまっているのかも知れません。そうですね、ですので多くの人を幸せにしてくれる幹事さんを応援したいと思います。
 

自立支援

 自立、自律、どうも自主性を育てるのは、なかなか難しそうだ。その気があって集まった人達でも、集まれば周りが何でもしてくれると思っていたりする。そこまでいかなくともまずは。口を開けて待っている。考えてみればそれも当然といえば当然だ。

 昔、目標だけを与えて後は自分でやれ、と言う上司がいた。自分にもできない課題なのだから手伝うこともない。更に困ったことに教えることが嫌いだった。上司になれたのだから運が良かったのか、それなりの実力があったのか、でも、時代は進む。

 それで、あがいて何かを手に出来れば、確かに自立で自律していると言える。しかし、その1名が出るまで何人の人が去って行ったり暗い性格に代わってしまったことか。悪いとは、言わないが効率は良くない、何より運まかせでは、リスクが高過ぎる。

 小企業から中小企業に変わり100人を超えた辺りから自立へのプログラムを真剣に考えた方がいい。会社の成長もそうだが何より社員の負担が減る、目標に向かって協力して自主的な工夫をしだす。そんな会社が儲からないわけがない。でしょ?
 

継続の期間

 実力の無い人を要職に付ける訳には行きません、戦う組織としての生産性(競争力)が削がれるからです。実力の無い方を要職に付けるようであれば、上司も人を見る目と人を育てる目、何より組織論、マネージメントを理解されていないことになります。

 実力の無い方には、実力の無い理由があります。多くは努力する才能に恵まれていないのです。努力する才能は、環境が整えば育てることが出来ますが、良い師に出会えるかと、努力する癖が身に付くほどに長い訓練の時間を与えられるかで決まります。

 努力する工夫に自分から気付く人は稀のように思われます。特に40代、50代と歳を重ねていくと考え方も固まってきて新しいことを受け入れにくくなってきますから、努力を受け入れなくなってきます。努力は受け入れにくくなり他との比較も受け入れません。

 それでも寄り添い本人の話を受け入れ努力を促す支援をし、もし小さな努力を見付けたら褒めるべきです。環境が整えば、私にもそれが出来、少なくともマイナスの戦力になることは止められます。問題は時間です。半年程度の支援では、身に付きません。
 

使命感?生き方?

 何事も理にかなった思考とそれにともなう行動ができれば、上手く行くのですが最初からそれが出来ないのが普通です。その人の人生は、その人だけの新しい人生ですから予め何が必要になるか分からず、教えておくこともできません。

 したがって失敗し少々痛い目に合ってから気付き、考え、調べ、学び、試し、練習して思考と行動を一致させていくしか方法は無いのです。先の事が分かったら、やり直しのきく人生だったらとも思うのですが、そうでないからこそ面白いのです。

 窮地だからこそ楽観的になる、逆に上手く行っている時は慎重になる。これは、過去の失敗から学んだ思考方法ですが表現の仕方や行動の仕方は、シュチエーションによって変える必要があることを学びました。経験の場数が増えたのです。

 一般の人は人生において、それほど多くの場数を踏むことはありません。一般人では無い起業家にしても政治家や芸能人にしてもより多くの場数を踏める人は限られています。それは自分から多くの場に出て行ける人であり、幸運な人です。
 

試してみたい

 認知症に興味があり勉強しています。認知症は脳の一部が壊れ認識したり、記憶したり、判断したりする力が弱まり、生活に影響がでている状態のことです。研究開発は進み様々な方法が試されていますが今のところ決定的な予防法は見つかっていません。

 日本では65歳以上の方の約4人に1人の割合が認知症またはその予備軍だそうです。そして日本の人口の約28%は、65歳以上であり、その割合は暫く増えるとともに平均寿命は延びており特別のことが無ければ誰でもが65歳以上になります。あなたもです。

 私は私のために65歳以上になっても働いていたいと思い、その準備をしています。認知症に関われる仕事でチャンスがあれば学んできたICT(情報通信技術)を役立てたいとも思います。もちろん生きてきた分野が違いますので1からの出直しになりはします。

 色々な部分で恵まれない環境になるのだとも思いますが、それに代わる夢があります。自分なりに認知症についてまとめられるかも知れません(例えば男脳と女脳の違いによる認知症症状など)。まとめた結果を何かに役立てられるかも ・・ ボケる前にね。笑
 

川越の町

 momoさんが気になるというものだから、川越のお菓子横丁まで行ってきました。飴屋さんの奥は薄暗いのですが年配の職人さんが鍋で飴を作っているのが見えました。当たり前ですが出来たての飴は、温かく美味しかったけれども少し変な感じでした。

 同じ仕事でも楽しそうにされる方と、黙々とされる方と、辛そうにされる方がいます。何十年間も同じ仕事をしてきたとしたら毎日楽しそうという訳にもいかないかも知れません。食べるために働くのはあたりまえですがそれだけでは辛いのかも知れません。

 仕事に楽しさを見出せるのは才能ですが、家族のために仕事を続け、歳をとり今はそれしかできないからと仕事を続けられるとしたら、それも才能なのかも知れません。もちろん、生きるに必要なだけ働いてノンビリと余生をおくれれば、それも才能です。

 川越の街並みを若い方たちが浴衣で楽しんでいるのを幾人も見かけました。大概は女性のお友達同士のようでしたがカップルも幾組か見かけました。何れもとても楽しそう。仕事は付いて回りますが仕事だけが大切なわけではありません。何より自分。
 

追い込み

 何にでも区切りはあり、終了間際は誰だって焦るものなのです。ピリピリし行動や言動が荒くなり素が出やすく成ります。気を付けねばなりませんが落ち着いていてもダメ、周囲の雰囲気に合わせておかないと、それはそれで危険です。

 何度も見てきた光景ですが、不器用な私は上手く波に乗れません。何が出来て何を切り捨てるべきかが分かるまでは、動いでも無駄だと勝手に思ってしまいます。まずは、ここまでに行ったことの整理と不足の確認、最期に詰め込み。

 昔の様に、200%で頑張ることは、しません。200%で頑張るも貴重な経験でしたが、それを誰かに行うよう指示したことはありません。時には、100%を試してみて欲しいとは思いますが、普段は70%、壊れる危険を犯したくは無いのです。

 皆が頑張っているように私も頑張ります。多少皆とは違うのかも知れませんが、私は今が楽しい。追い詰められた私が面白い。そして何時もよりほんの少し余計に頑張る私に期待していたりする。でも、楽しいを表に出すと危険なのです。
 

切り替え

 誰だって眠れない夜は、あります。そんな時は、思い切って散歩に行きましょう。雨さえなければ、この時期の夜は良いですよ。虫の音が聞こえます。ボンヤリと月を見るのもいいものです。のんびり歩けば、新しい発見もあります。

 昨夜は、新しい抜け道を2つ見つけました。1つは公園に行く近道で、1つは小川に続く道でした。どちらも入り口では、抜けれるのかなとおっかなびっくり、途中の草の高さに恐れをなしながら抜けれた時の安堵と嬉しさ、面白さ。

 戻ってから時間は短かったですが、グッスリ眠れました。目覚めはスッキリ、昨夜の散歩が夢のようでしたが、枕元には拾ってきた小石が1つ、「おはよう」と言ってくれました。おはよう小石くん、昨夜は世話になったね、ありがとう。
 
 さて、今日が始まります。何時もの様に予定をチェックして準備を整えます。長年続けてきている戦闘モードに入る儀式が、キビキビと行われていきます。そう、私は百戦錬磨。今日もバッタバッタと・・夜の散歩、とても楽しかった。
 

緊張も楽し

 久々の発表会があり自分の番では、大いに緊張しました。緊張するので何時もの実力は出来ません。と言うか私の場合は大概のことが人より劣っているので三倍頑張って、やっと一人前です。

 緊張していても何とかなる程度に持っていくには最低人の六倍の練習が必要です。努力は人を裏切りません、今回も何とか人並みにスタートが切れ、伝えたいことがある私が後を引き継ぎました。

 今回のテーマは「障害」。全ての人は、何かしらの障害を持っていますが国の定める障害者の定義は「その障害によって普通の社会生活が営めないもの」としています。多くは何とかしています。

 私が、とても緊張しやすいのも興味が向かないことをまるで覚えられなかったりするのも障害です。でもそれは、周囲の人の励ましや指摘によって普通の生活が営める程度には・・普通と言える?
 

触れ合う演出

 誰でもできる体と頭を使うトレーニングを幾つか教えて頂きました。例えば歌に合わせて手足を動かすものでは、歌詞の文字に合わせて右手だったり左足だったり指示された部分を動かします。更には隣の人の肩を叩いたり。

 なかなか頭を使いますが不器用な方でも何度か練習をすれば出来るようになります。また不器用が滑稽だったり誰かが歌の速度を勝手に上げたりで笑いも生まれます。それぞれの人の個性も伺うこともでき、観察もできます。

 今の世の中便利なことに調べれば他にも色々あるようです。芋煮会など小中学校の子たちと遊ぶ機会もあるので覚えてみようかと思います。何かの機会に周りの人を楽しくさせれるアイテムなど、今まで考えたことありません。

 今気づいた!人は何も起こらなくとも触れ合える場合もありますし距離を置く場合もあります。相性もありますし、それぞれの生活もあります。でも、せっかくのその時だけでも楽しめる何かが用意出来たら素敵だな、と思います。
 

台風の影響

 昨日の台風の影響で講師の方が来られず、予習をしてまとめておいたものが正しかったのかどうか確認できなくなってしまいました。喜んでいたバチが当たった?いずれにしても大変でした。おつかれさまです。

 何かあるといろいろ大変ですが何かに向かっている人は、気になりません。気にはならないのですが周りが騒がしくなるので何かしらの影響は出ます。それは仕方がないことです。周りには一杯人がいるのです。

 多少周りにも引っ張られますが自分の道は自分で決めるのですから徐々にでも結局そちらの方に向かいます。時間が経てば周囲との差は歴然、やったやらないの積み重ねは大きいのです。それだけの差です。

 予習は見てもらえなくとも予習で得た知識は私のものです。その知識は、何か他の知識と他の経験とそのうちに結びつきます。そうやってビジョンというものは強化され、私という人間も、少しだけ強くなるのです。
 

悪の心?

 さて台風。不謹慎で大変起こられっそうですが台風が好きです。もちろん災害は困ります。私も含め皆さんに大きな被害が出ないことを切に願います。

 でも、大きな自然の力を目の当たりに見るというのは、感動的ですらあるわけです。普段は穏やかであるくせに理不尽までのその力には、争えません。

 人の普段は、穏やかです。でも、少しでも自分が不安定だったりすると人を不幸に巻き込もうとしたりする人もいます。だったらもっと不安定だったら?

 意外に仲良しになったりしないかしら?なんて、この強風の中でどうでもいいことを考えたりします。私は、大きな自然の力を見ているだけで満足です。
 

先のために

 お節介の性格が災いして人の心配ばかりしています。人の未来はその人の行動が決めて行く訳だから私が心配しようがしまいが何ら変わることが無いことを知ってはいます。それでも人の心配をするのは、私に何らかのメリットがあるのでしょう。

 その人は、何故そのような行動を取るのだろう?と考える。今、どのような生活をしていて、過去が少しだけ想像でき、どんな問題に直面しているのかが少しだけ分かります。そこから私の持っている知識と経験に照らし合わせ、気持ちを形にします。

 私ならこうするのに、があります。ですがその人はしないでしょう。そもそも私の感じた気持ちは私の経験と想像力の範囲であって、その人の気持ちとは、掛け離れているかも知れません。それでも、心痛めてもその人の気持ちを考えるが必要です。

 過去の私は、よろしくない上司でした。最近は随分とましになったと思いますが、それは取り返しが付かない過去の部下たちに対する酷い仕打ちの上にあります。その人に何もしてあげれません。でもこの先の誰かの役に立てるよう、今が必要です。
 

まあ、性分なんだろう

 世の中には、分からないことが沢山ある。頑張って調べて分かれば嬉しいけれども、やっぱり分からないことの方が多い。その分からないことの一つに人の気持ちがある。簡単に人を傷付けたりする人の行動がある。

 私なら人を傷つければ自分も傷つくと考える。でもそれを止められない人がいるとすれば傷付くことが何らかの快楽なのだろうと思うしかない。ある意味病的な行動を私が理解する必要があるのだろうか?知りたい?

 そう、知りたいのだと思う。人は、知らないことに恐怖を感じるので何らかの理屈をこじつけて知ったことにしてしまう能力もある。でも私にはそれが出来ない。この人は、何故そのように行動するのだろうか?知りたい。

 継続される行動には、訳がある。知ったからと言って私に何かの徳があるわけではないけれども、知ることが快感なので私は知りたい。知るために観察しつづける。何故そのような行動をする人がいる?何故私は知りたい?
 

大人の顔

 多少疲れたようで気が付けば笑顔を忘れていました。おー、勿体無い、この世の中笑顔さえ維持できれば幸せになれるのに不幸に向かいたいのか?まあ、多少の波風は好きですが世のため人のため、もちろん自分のために笑顔を忘れない!

 真面目な時には真面目な顔が必要です。まあ、時間はかかったけど流石にそれぐらいは学びました。ですが、それ以外の時には笑顔は最高の武器です。武器って言うぐらいですから攻撃力があります。攻めるは一番の防御!知ってましたか?

 自分のことを相変わらず不器用だと思いながらも随分と場数を踏んで起用とまでは言えないけれども自分と折り合いがついているように思えます。今はまだ意識して笑顔を作っているところがありますが、そのうち口角が上がって無い笑顔に。

 大人の顔というものがあるように思います。正直言うと想像の世界ですが私が練習している笑顔の先にある世界だと思っています。生意気盛りには、想像もしなかった顔がこの先にあるような気がしています。どんな顔なのか、その時が楽しみ。
 

ありがとう

 もし何もなければ何もしないのかな?何もしないというのは、とても退屈で長い時間何もしないでいるというのは退屈だと思う。でも、何かを与えられたとしてもズットそれを続けるというのもなかなか大変だ。時々はさぼってみたいと思うのです。

 何にしても毎日同じことをしているようでも1mmも変化がないとしたら辛いもの。何かしらの変化と感じれるものが欲しいのだけれど贅沢?変化は、自然に訪れるし自分から作り出すこともできる。であるのであれば自分が望む変化が欲しい。

 望ましい変化は、ひとそれぞれ違う。私の望む変化は、人との出会いと別れ、そしてその僅かな時間で人に対する優しさを学び続けること。人生には、終わりがあるけれども私の知りたいことには、終わりがない。その日までは、学び続けたい。

 昨日とても小さな別れがありました。私の小さな目標に対し色々と世話をしてくれた方がいました。小さな目標は達成されたので、もう世話をして貰う必要はなくなりました。どんな別れも私は寂しいです。でも、知りたいことがあるから先に進まなきゃ。
 

悩まない

 出来る人は、そのままでいい。そのまま頑張っていてくれれば幸せになれる。下手な手伝いはしない方がいい。あえて言えば、飽きてしまわないように時々大きな目的目標を語り合えばいい、自律したならば、道を譲って応援すればいい。

 出来ない人は、気になる。一緒にやろうと言ってもこちらを疑う。色々な理由を見つけ出し出来るようになる努力を拒む。出来る出来ないは、努力の積み重ねの差でしかないのに、それを否定する。自分を卑下するコツは、習得している。

 私も大きな努力は出来ない。求めるものもそれほど大きくないから、小さな努力を時々積み重ねる、で何とか足りている。ほんの少し努力したら、それに見合ったご褒美を大切にしている。息抜と達成感が努力のエネルギーだと思っている。

 私は、私の後ろに立ち私と私の見ている人逹を眺めている。私の出来る出来ないの判断基準は当然私なのだから、他の人の判断基準と合う訳もない。私が壊れない程度に応援したり心配したりしながら私なりに生きればいい。みんな一緒。
 

気になる人へ

 努力したいけど努力が苦手な人がいます。そういう人が嫌いなのに自分も人を見て態度を変える人がいます。生きにくいだろうな、とも思いますがそういう生き方が悪いわけではありません。私も一緒ですし。

 私も努力が出来るわけではないし苦手な人もいます。自分と違う個性も小さな子供達であれば大らかに受け入れられますが大人同士となると無邪気なことも言ってられません。生きるに対し危険を感じます。

 それでも私が出来ることは、決まっています。シチュエーションは意識しますが誰かに対しての態度を変えなければ私の行動の仕方も変わりません。僅かな努力を陰で行い何時も明るく振る舞うよう努める。

 気にし過ぎるべきでは無いのです。それぞれがそれぞれに自分勝手に生きればいいのです。自分の生きるに夢中になろう。そうなっていれば、それなりの満足感と周囲が気になってしまうが薄れます。
 

学ぶ順番

 ほぼ何事もやった分だけしか結果が出ません。ただ得手不得手は、ありますので選択は大事です。大体の人は大体のことが出来ますが大体の人と同じレベルです。ずば抜けた出来るを持っているか、関連するプラスアルファを持っているか、大体の人が行かない場所で行うか、などの差別化をしないと大体の人と同じ価値しか認めてもらえません。

 多くの人は自分の才能を信じ自ら学習の場に向かいます。その中でも優劣は、あるでしょう。途中で挫折する人もいれば首席で修了する人もいます。最後尾であっても、終了すればその道に進まなかった人よりも遥かに大きい知識と技能を身に着け必要とされる環境に進むことが出来ます。進んだ先の人間関係が自分に適していれば、更に道が開けます。

 急がば学べ。学ばないで得れる道もあるでしょう。大多数が嫌がる環境であれば望むに近い価値が得れるかも知れません。大多数が嫌がる環境で結果をだせるのであれば、それも才能です。それが出来ないのであれば、自分の可能性に賭けて自分を楽しんでみては如何でしょう。学んでいる自分、頑張っている自分を見るのは、意外に楽しいものなのです。

 最近自分を褒めたことは、ありますか?辛い事を我慢した、酷い仕打ちを許した、新しい環境に向かえた、自分の足で歩けた、生きているだけで大変なのですから褒めることは沢山あると思います。自分を褒めれるのも才能ですが、学べる知識、技能でもあります。自分を褒めれるポジテブは、自分と人を幸せにします。先ずは、そこから学んでみませんか?
 

過去の失敗

 何もかもが順調なのだと思います。色々なことが望む方に進んでいるし必要なことに対する学習時間も取れています。息抜きも取れているし気分転換も出来ている。周囲は応援してくれているし大きなトラブルもない。こういう時は要注意?

 過去には何故か頑張れていると思える時に限って落とし穴がありました。調子に乗っていたのでしょう、好ましいと思われていない人が陰で仕込んだ横やりが飛び出してくるのが常でした。あれは私のコミュニケーション能力の不足です。

 どの様なコミュニケーションを取ればよかったのでしょうか?会話の機会を作ることが必要でした。相手の思考や行動が正しいとは思えず自分の正しいを試してみたかった。いい訳ですが試してみたいことを説明する時間も惜しく逃げた。

 もしかしたら周囲からもそれほどの信頼は得て無かったのでしょう。私の行動は見えにくい。私自身が学びながら試しながら行動してきたのですから当たり前です。今は分かりやすい行動とPR活動に心がけています。PRもう少し考えよう。