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伝え損ない

 今までの仕事から手を引くとなった数か月の間、色々な方がこれから先の相談に訪れてくれました。お聞きになりたいのは皆さん揃って「これから先どうすればよいか?」でした。安心して頂くために精一杯答えさせて頂きました。

 ただ、それは本当に示すべき「これから先」のこととは違うのです。目の前の、数か月や一年ぐらい先のことをお話ししただけのこと、皆さん安心なされていたようですが一年先のその先では、また同じ不安に掴まってしまうハズです。

 意地悪をしたい訳ではありません。数年、数十年先の話をすると皆さんポカーンとするか、笑い出すか、今聞きたいのはそんなことではないと怒り出すので、しかたなく少し先のお話をさせて頂くのです。ビジョンを探すお話と一緒に。

 私には何時も小さな私の夢があります。人の役に立ちたいと言う志があります。そして今を見つめる目があります。本当は、そんなことを答えたかったのです。あなたにもあなたの小さな夢が必要だと。あなただけの志が必要なのだと。
 

やっとのこと

 過去において出来ないことを部下にやらせてしまったことがあります。当然できないのに何故出来ないのかと叱ってしまいました。今考えれば、部下に出来て私に出来ないことも沢山あったろうに、と思います。恥ずかしい。

 大変だからと頑張れば出来るのにやらない部下が居ました。何度も考え方を教え時間はかかりましたが出来るようになりました。今は、それを得意と出来る仕事に移り真面目に頑張っています。やりがいも感じてくれています。

 人には個性が、得手不得手があります。それを知るには、その人を随分とシッカリ観察しなくてはなりません。出来ることと出来ないこと、頑張れば出来ることを伸ばし、出来ないことはやらせず、出来ることで頑張って貰います。

 私も昔に比べコミュニケーションが上手くなったと思います。人の話をよく聞けるようになりました。思い付いた考えを押し付けなくなりました。私に出来ないことも沢山あります。素直に認め助けて貰うように成りました。長かった。
 

特殊能力

 私は、昔から誰かの動作を事細かに説明するのが得意です。二三日の間であれば細かくと言われればその時の指の震えや声の特徴まで思い出すことができます。印象に残ったことであれば数か月、ときには数年後でも思い出し、確かこんな感じと再現することができます。

 半面、漢字や単語(特にカタカナ)を覚えるのは大の苦手です。そう言う単語があったと言うことは思い出せ、それが何を意味するかは大概説明出来るのに単語名が出てきません。本を読むのが好きで色々興味を持ち概要は覚えますが題名や作者名はサッパリ、アホなんです。

 昔優秀なドアマンの話を聞いたことがあります。ある紳士が数年ぶり二度目にそのホテルを利用した折にそのドアマンは「お久しぶりです、ご機嫌麗しゅう」とか声を掛けながらホテル正面ドアを開けたそうです。紳士が驚き尋ねたところ宿泊した日時と宿泊数を言い当てたとか。

 私の場合は、行動を覚えるですからそう言った場面の必要性と共に体に覚え込ませる練習が必要なのですが今までのところ役にも立たずあまり気にしていませんでした。が最近少し風向きが変わりました。何か体を動かす仕事の場合ならこの能力結構便利です。後は単語だorz
 

吸収中

 以前は複数の人の話を聞きながら何かの作業を進めることができました。過去形です。今は、作業と別にでしたら1名がやっと、それさえも作業の手を止めるようです。手を止めるのは、相手に失礼になるからです。複数の話を理解できなくなったのは、もう少し広い範囲に気を配る練習をしてるからです。

 以前は、許されたと言うより勝手にそうだったのですが忙しい時には、作業の手を止めない、例え相対していても頭の中ではプログラムの続きを整理しているなどはザラでした。何時だって私は時間が足りないのですから、その程度のことをしなければ土日を使っても目標達成が不可能になるからです。

 人よりプログラムを大事にしていたと言うことです。自分が興味が持てる新しいことに夢中になってしまう。結果として会社に役立つそれらは時間を掛けて浸透していくのですが作っただけでは、理解さえされない。たまたま理解力の素晴らしい友がいたから良かったものの、人への対応が重要なのです。

 今は、徐々にですけれど私の思考方法を変えています。たった一つの答えを導き出しシステム化するのではなく、無数の答えを受け入れて何を理解して行くかです。体は、やるべきことを安全安定でシッカリできるように訓練出来るでしょう。思考は違います、答えのない問題から確率で答えをださねば。
 

良い出会い?

 今、前向きに頑張っている人が居ます。出来ないことに立ち向かい挫折し落ち込みながらも諦めてはいません。「明日も頑張りましょ」と言えば笑顔を返してくれます。彼女は、今輝いて見えます。凄いな。

 数か月前は、少し違いました。休みがちで聞けば当時は面白くなかったそうです。「今は面白いの?」と聞けば「はい」と直ぐに返事と笑顔が返ってきます。私の仕上げる書類を見ながら自分もと頑張ります。

 右も左も分からないところから始め周囲の人たちの頑張りに影響され勉強に力が入りだしています。彼女は二十歳です。今から頑張りだせば何でもできます。頑張り方さえ覚えてしまえば何にでもなれます。

 彼女は何故変わったのでしょう?何故変わったか私にはわかりませんが成長していく、変わっていく彼女を見ているのはとても楽しいです。彼女が「g-monさんは大人です」と言ってました。私も変わります。
 

学校に行こう

 どうしたら資格が取れるか相談を受けました。色々な道があるので幾つかお教えしたのですが「私には無理そう」と言うお返事でした。それは、過去に何度も体験した見慣れた光景です。

 私は、必要な資格や知識がある場合には、通信教育を含めた学校をよく利用しました。調べれば夜間に受業をしてくれる環境は沢山あります。日中なら工夫をし短期に学ぶこともできます。

 残念ながら自分の力だけで勉強するのは効率が悪く目標達成が随分と後のことになってしまいます。まして学ばず何かを成し遂げるなんて不可能に近いと私は思っています。学ばなきゃ。

 不平不満は言うけど何故だか学ぼうとしない人を幾人も見てきました。夢を語るのに学ばない人達が沢山います。何故なんでしょう?学ぶ入り口の敷居は低く、学ぶは難しく無いのに。
 

無限の可能性

 多数の人と触れ合う機会を頂きました。スタッフの方を含め面識がなく段取りなども分からなかったのですが一日を一緒に楽しく過ごせました。触れ合った方がたからは「楽しかったよ、頑張ってね」と声を掛けて頂けました。スタッフさんからも「助かりました。初めてでは無いですね」と言って頂けました。嬉しかったです。

 夢中でした。初見の方々にどの様に語りかけ仲間と思っていただき幾つものサービスをスタッフの方々と一緒にどのように提供させて頂くか、頭がグルングルン回りました。違和感を持たれたら終わりです。なれなれしいのもダメ、禁止用語も多数あり、他のスタッフの方にも気を配り個の対応をしつつ全体の対応をする。

 私が参加したのは、年配者に一日楽しんでいただけるイベント、その準備で昨日は忙しく久々にブログの更新が出来ませんでした。イメージとしては、多分幼稚園の先生は、こんなイベントを毎日行っているんじゃないかな、と思います。大変だけど、あっと言う間に一日が過ぎました。このお手伝い、私に合っていると思います。

 多数の方から誉めていただき、改めて私の可能性を感じました。私がチャレンジしたいと思うことがあれば、どんなことにでもチャレンジできます。チャレンジしたならば、私はそれを成し遂げることができます。わたしはわたしの幸せのために好きなことをする能力があるのです。でも。それは誰もが持っている能力だと思います。
 

近未来

 システムの世界では、プログラムを組めるだけではシステムは組めません。プログラムは一つの手段でしかないからです。でも、プログラムが組めなくてはシステムは作れません。プログラムの先のセンサーを始めとする、それぞれの機器の動きや感じ方を知ったうえで、どの様に行動するべきかを推測し正しい処理を論理的に組み立てます。

 少し大きなシステムは私一人では組めません。一人の人間が行うには、手が足りないのです。それでもシステム全体に付いては知っていなくてはなりません。何を学び何をすべきかを指示し結果が期待されるものであるかチェックしながら少しづつ全体を構築していきます。結局のところシステムを使うのもシステムを作るのも人のハズなのです。

 今までは、そうでしたが今後はどうかと言うと違うでしょう。私は、その時点までに得た知識と経験をフルに活用し、ありったけの想像力をプラスして正しいを推測します。徐々に私にとっての理想が形作くられ、不足してる知識が明らかになるので新たにかき集め自分を強化し、結果を出すのに必要な手立てを考え仲間を集めひっしに走ります。

 多分同じように70億を超える頭脳は推測しどれかが正解を導き出しています。これからは違います。AIが人には無理な膨大の量のデータから正しいを推測します。そしてAIどうしの役割分担が生まれ協力し作業を進めます。それが安定した時、その頭脳は私達の手に届きます。70億の脳と無数のAIが地球規模の1つの脳になる。近未来話です。
 

こだわり

 「こだわりが多い方か?」と聞かれれば「こだわりの塊です!」と答えると思います。先日ちょっとした小テストがあり、正しい答えが分かっていたにもかかわらず、こうあって欲しいの気持ちが強すぎて間違った答えを書き込み100点を逃してしまいました。

 私のこだわりは、そこかしこで現れます。思い起こせば友達は何時も苦笑いをしていたようにも思います。もしかしたら多くの人に迷惑をかけているかも知れません。そしてまた、私はこだわりのために大笑いも沢山されてきました。何時でも私なのです。

 私のこだわりって何でしょう?皆に、全ての人が幸せであって欲しい、そんな感じでしょうか?では、何度も自分に問い直してきている人の幸せって何でしょうか?その人らしい生き方を認めてもらえることでは?と思ってます。らしさは、こだわりですよね。

 私には、私のこだわりあります。そしてそれは、誰かのこだわりを議論することはあっても否定しないこだわりです。最近は少し進んで議論に関しても細心の注意を払い否定をせず質問をするようになりました。でもまだまだ他人に厳しく自分に甘いです。
 

裏表

 何時からか私に裏と表が無くなりました。うーん、嘘だな。裏表どころか色々な私が居ます。言いたいのは、「覚醒している時間帯に表に出ている私が大体同じになってきている、固定されてきている。」と言うことです。

 人は核となる自分の上に幾つもの自分を作り上げます。細かく分類すればその数は自分でも分からないくらいにです。それは大概新しい対人関係によって生まれます。自分の我を通しながらも受け入れられる自分。

 家でも遊んでいる時でも仕事中でも多くの人と触れ合う中で一番楽な自分がそこに居ます。ある意味作られたものだと言ってもいいでしょう。また、自然に選んだ生き方と言ってもいいかもしれません。それが私です。

 表に出る自分を作ると言うのは変でしょうか?あなたは、対人関係が上手く行く自分を作りますか?今作られている自分は、どんなシチュエーションでも同じですか?私は、裏表のない自分が一番楽だと感じてます。
 

心配な時

 人それぞれに悩みがあります。そう考えると私は悩みが少ない方だと思います。悩む前に何かしらを思いつき出来ることを出来る範囲でして、それで満足してしまうからだと思います。結果は二の次なのです、その時何かの行動を取れればいい。

 そうは言ってもなのです。結果が伴わなければ意味がないと言うのが大方の意見ではないでしょうか?試験に合格しなければ、面接に受からなければ、次に進めない問題や悩みは幾らでもあります。それらが何となく上手く行っているだけが事実。

 私の父やジュニア(息子)を見ていても、それなりの努力はしていますが、付いてくる結果の方が大きいように思われます。不思議なこの件については、父とよく話しました。結論から言えば「私達は何となくできてしまう」と言うことで落ち着きました。

 父も私もジュニアも多分心配性だと思います。そして心配していてもどうにもならないと言うことを知っています。ですので心配事の出口を探します。それなりですが一生懸命考えます。周囲を見回すと心配な時、出口を考える人は少ないようです。
 

過去を変える

 私の昨日までの考え方は「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分自身の今この時の行動と未来だけ。」でした。有名なアドラーさんの本から教わりました。チャンスから出会いがあり新たに教わりました。「過去は変えられる」

 その人は言います「過去に起こった事実は変えられません。でも、過去に起こった事実の捉え方は変えられるのです」と。その通りです。思い起こしてみれば私も過去に合った失敗に蓋をするではなく何が問題だったかを分析してきました。

 人はとかく過去の失敗に引っ張られネガティブになります。自分がダメな人間なのではと考えてしまいます。そのとき何が起こったのか、自分はどう対応すべきだったのか、少し離れたとこから事実を客観的に捉え今後の行動に役立てる。

 私が引っ張られるべきものは、暗い過去ではなく、これから実現するであろう明るい未来です。それは私だけの未来ではなく家族や友人たちの未来でもあるのです。失敗や辛い過去に蓋をしなければ、それは生きる糧になると教わりました。
 

欠点

 「やりたいことをしたい。」と言ったら嫌な顔ををされました。働くと言うことは、それほど甘くないとは知っています。やりたいではなく生活のために働く人、働く場が得れない人がいることも知っています。でも楽しく働いている人も大勢います。

 楽しいとまで言わなくとも自分の仕事に誇りを持っている人は大勢います。歯車の一つとしてしっかり自分の役割を達成しようと努力している人が沢山います。やりたいことを見付けてやるのは勝手です。苦労しようが失敗しようが勝手なのです。

 不思議なことに人は欠けた部分に目が行きやすいのです。沢山のリンゴの絵からたったひとつの欠けたリンゴを発見します。良いところが沢山ある人から欠点を探し出し「いい人なんだけどあの人は」と続けます。それで、やっと安心するのです。

 しかたがありません、人はネガティブ思考が基本なのですから。自分に全く関係のない他人の欠けた部分に過剰に反応してしまうのも人、なのです。ポジティブは時に欠けた部分に映るのかも知れません。私は、欠けたポジティブ思考の人です。
 

証人たち

 都市は生きていると感じます。数えきれないほどの人と人とが行き交い情報交換し作業を行うことで都市の様々なものが目まぐるしく変わって行きます。そしてそれらは正確な時間や計画によって刻まれていきます。凄いと思います。

 田舎も生きていると感じます。でも変化はゆっくりです。そこには、都市では気付きにくい季節の変化に伴う植物や昆虫、動物たちの活動があり長きにわたるゆっくりとした変化が自然によって刻まれていきます。それも凄いと思います。

 あなたならどちらで生きたいと思いますか?人それぞれだろうし理由も様々だと思います。中には定期的に行き来したいと思われる人もいると思います。どちらの生き方も大切だし新しい生き方も先駆者たちが始め徐々に広がります。

 私達は先駆者たちの気付いた土台の上に生きています。そして私達も何時の日にか朽ち知恵と言う名の地層の一部になって行きます。世の中に何が正しいかは、ありません。どう生きるかもありません。その人らしいだけが残ります。
 

エビデンス

 あまり考えずに過去の経験から判断し行動を起こし失敗したことはありませんか?私は幾つかあります。でも友達同士の間などでは笑い話でことが済むかも知れません。問題は生業として行っていることで起きる変化球に対する判断です。

 生業では一人一人がプロでなくてはなりません。プロは起こった出来事に対しプロの目で観察しなくてはなりません。観察したら事の起こった真の原因を探しその根拠を示さなくてはないりません。それは文学ではなく科学で示されるものです。

 私は過去において数々の課題を発見し(気付き)観察し分析し(アセスメント)推測し実験し(計画と実行)何度も失敗を繰り返しながら真の要因に辿り着き(チッェクかな?)対策を立案し実行してきました。でも何時も一人だったように思います。

 生業において一人で何とかするは犯罪です。せめてエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)を記録として残さなくてはなりません。これが私は癖になっていませんでした。利用されるかどうかは相手の問題です。エビデンスは私の生きた証です。
 

今日も

 寝付きの悪い日は音楽を聴きます。何時の間にか眠りに落ちます。その間数分でしょうか?気付けば朝です。目覚めは良い方だと思います。休日の朝でも直ぐに何かを始めます。そして一日が、あっと言う間に終わります。

 毎日色々な人に会います。同じ人でも昨日とは違っているので毎日新鮮な気持ちでお会いします。どなたもとても素晴らしく生きておられるのでチャンスが有れば褒めます。上目線ではなく本心からの素晴らしいを伝えます。

 人を褒めている時、自然と自分も優しい顔になります。笑顔になります。素晴らしい人を素晴らしいと感じれる自分が誇らしいのかも知れません。もしかしたら素晴らしい人に会えたことを神様に感謝しているのかも知れません。

 神を信じているわけではありません。でも、この世の中は不思議過ぎます。数多の不思議を少しづつですが人は明らかにし、その都度驚いています。常識は毎日覆され、知らないことだらけの毎日は面白しろ過ぎで終わります。
 

昔々

 あるところに長く連れ添った一組の夫婦が暮らしていました。長く連れ添っていますから二人だけの暮らしはとても穏やかで、そこには安心がありました。

 でもこの夫婦、山奥で暮らしているわけでは無いので時として何かの負荷を背負いこみます。真面目な夫婦の負荷は、どんどん増え重くなって行きます。

 大丈夫。負荷が溜まり過ぎて「疲れてしまったなー」と感じた時には、夫婦そろって少しその場から逃げ出します。愚痴を言ったり、時には涙を見せたり。

 少しの夫婦の時間が二人に元気をくれます。そして未来の幸せのためにもう一度負荷を背負いに戻ります。よっこらしょ。少し軽くなったような気がします。
 

私なり

 この体を鍛えるのは大変です。節制をしなくてはならないし運動もしなくてはなりません。私は努力家ではないので無理は続かないし、それでも忘れず続けられる工夫を考えるようにしています。

 そう言えば、友人は歩いて通勤していました。私は歩いて通勤できる距離ではなく電車を使うと2時間かかってしまうので1時間以内で通える車でした。この場合は昼休みや休日の工夫をします。

 私は、もう少し健康でいたいのです。この世の中は面白すぎます。見たいこと学びたいことが沢山あるのです。そしてそれは無理をしなくとも生きて入れさえすれば毎日私の所までやってきます。

 生きていれば。私にもそのうち修了の日が来ます。出来れば毎日が面白いと感じながら迎えたいと思うのです。そのためには心身ともに、それなりの健康が必要です。だから少しだけ鍛えます。
 

静観

 何時も笑顔でいるように心がけているのですが、それさえも良いという人と悪いという人が居ます。良いという人は思い出したようにポツリと言います。悪いという人は気分に任せて言います。何も言わずに何時も笑顔を返してくれる人もいます。

 その時の状況に対する感情の変化が一番読み取りやすいのは悪く言う人です。何かしらの物事に直面し処理が上手く行かずに混乱し周りが見えなくなってしまうようです。こういう場面に直面した場合には主義に反し笑顔を止めようと思います。

 逆にポツリとよく言ってくれる方は、どの時点の何を見てそう思われたのかが、よく分かりません。普段感情を表に出されない方が多いため取り乱す姿も見かけませんし話しかけなければ良い感じの人だななどと言うことも分からなかったりします。

 私は人との接触が苦手です。人の感情に触れると勝手に心が痛かったりするからです。でも私は人が好きです。良いと言ってくれる人も悪いと言ってくれる人も好きです。何かの折に見え隠れするその人らしさを感じると、人っていいなと思います。
 

笑顔と泣き顔

 辛い事を辛いと言いシッカリ涙を流すことは良いことだそうです。大泣きするとグッスリと睡眠をとったと同じ、それ以上に気力を回復してくれるそうです。残念ながら私は男ですから出来ません。でも少しばかり憧れます。

 涙もろくは成りました。色々な経験をし以前より強く色々なことが嬉しかったり悲しかったり。映画やドラマ、本などにも感情移入しやすく成り直ぐに泣いてしまったりします。困ったことに周囲の人の辛さが身に沁みます。

 そんな一日一日を経験し深い眠りに付き朝、新しい私として生まれ変わります。今日の私は昨日より弱くなっているかも知れないし少しばかり強くなっているかも知れません。そして新しい経験に立ち向かうため生きる。

 笑いはどうなんでしょう?大笑いは人を癒してはくれないのでしょうか?わざとではない私のドジは人と私を笑わせます。その数は多い、笑。今日も真面目に熱く生きたいと思います。その中に笑いが有ったらいいな。
 

知る楽しさ

 興味があり宇宙や分子や人体を勉強しているのですけれども、大きさの大小こそあれその構造は似ていて、何故だか同じものを調べているような気がします。

 新しい宇宙はどんどん出来て終わっているようだし量子の世界では別の次元と行き来し人間の記憶方法や免疫のつくりかたは随分とシステマチックなのです。

 卵子と精子の結合により始まる分裂と成長は宇宙の始まりのビックバーンのように強烈で分裂していく37兆個とも言われる細胞一つ一つに宇宙があります。

 まったくもってこの世の中はチッポケでもあり想像できないくらいに巨大でもあります。悩むなんてバカらしくもあり当然でもあるのです。それにしても不思議。
 

キャラ

 理由は分かりませんが、どこのミニ社会にに参加しても何時の間にか、いじられキャラになってしまいます。若い方に呼び捨てにされたり、年配の異性にからかわれたり、色々です。

 特にオドオドしていたり面白いことばかりしているわけではありません。真面目に、チョットばかし熱く生きているだけです。それが滑稽に映る人もいれば、何だか面白いと感じる人もいるようです。

 そういう方逹が何時の間にか増え、重要視はされているわけでもないのですが、何かの切欠で何かの笑いのタネにされています。最近は一部の講師までもです。都度私は赤くなります。

 いじられキャラではありますが何故か大事にされているのが分かります。何かの折に褒めてくれたり認めてくれたりしてくれている声が届きます。ちょっと恥ずかしいけど嬉しかったりします。
 

新たに学習中

 今年になって学びだしたことは、私にとっては経験のない事であり、新鮮であるとともに私自身の性質に合ったものだと感じているので、日々がとても楽しく嬉しく面白いとは、感じています。

 歴史、基礎、コミュニケーション、基本技術、チームワーク、応用技術、人、事例研究、特殊技術と課題ごとに分類された各テキストは、学習が進むにつれ体系化されて行き、感動的でさえあります。

 正直なところ、私は学ぶことだけで十分満足であり、テキストと講師から学ぶことにもっと集中したいと思っています。が、たまたま一緒に学ぶことになった方達との連携も学ぶべき課題になっています。

 周囲から苦手と見られることは無いのですが私は人付き合いが大の苦手です。勝手に個人の痛みを感じてしまったり、集団のエゴを感じてしまったりするからです。それをどうするのか学ぶしかないようです。
 

身勝手

 以前は、自分勝手で人のことを考えない自分がとても嫌いでした。このところは相手を認めるようになり自分のことも気にならなくなってきています。そんな自分の変化が面白いなって思っています。

 私にとって、この世の中の絶対は私です。私にとって、私の死がこの世の終わりを意味します。ですので、そもそも人を気にする必要はないハズなのですが、人は人に大きく影響され生きて行きます。

 私も人、その中の一人ですから周囲の影響を受けながら、周囲に影響を与えながら生きて行きます。それが人のごくごく自然な姿なのでしょう。相手を気にして自分がどう見られているか気にしてる。

 今は、自分のことが気に成らなくなった代わりに誰かの苦しさに対し何もできない自分に苦しがっていたりします。バカなんです。私が何をしても、どう生きたとしても人の気持ちは変えられないのにね。
 

自分観察

 お陰様で私には、こうしてほぼ毎日自分を振り返り、起こったこと感じたことを整理し考えどんな一日だったか、まとめる時間があります。最優先事項ではないので時々さぼりますが幾つかのメリットがあって続いています。

 そう言えば、「日記を書くことでストレスが発散される」と言う話を聞いたことがあります。失敗の分析、嬉しかったことの確認、人とのかかわりや自分自身の在り方について整理しているのですから、心が安定するのでしょう。

 整理された思考に沿って私は行動します。ですので自然と行動も相手や周囲の環境中心ではなく私が整理した私の考えに沿ったのものに成ります。正しいとは言いませんが自分の行動に対し納得がいっているわけです。

 一日を振り返ると言うことは、自分を観察していると言うことに他なりません。様々な場面が思い出され些細な周囲の動きや言動、その時の風や雲の流れ部屋の明かりの具合まで思い出されます。そして面白いと感じます。
 

新しい悩み

 研修先で、基本的知識を学んだあとに新たな課題が与えられ、資料が渡され読み取り分析が始まります。グループ学習では、自然と役割が決まり、時間制限があるため私が分析内容の要約を話し、書記が書き止めメンバーからの意見を求めます。

 出来上がった分析は良い評価を得ましたが私は悩みます。時間内には終わらないかも知れません、良い評価ではないかも知れません、でも各自にフラストレーションが溜まるのでは?もっと自分で考えた方が各自の身に付くのは明らかなのです。

 休憩時間に今一度分析内容を整理し次の授業前に声を掛けメンバーと小さな討議をしました。何とか付いてきてくれる人、細かい点を指摘してくれる人、そしてやはり思考が進まない人。今の私に出来るのは、ここまでです。善し悪しは分かりません。

 人は、自分で考え自分で判断します。思考の仕方はそれぞれで考えがまとまらない方もいるかも知れませんが、その中で考え判断し行動します。私には、それが正解に思えて仕方がありません。ですのでグループ学習で意見を求められるのが苦痛。
 

自分分析

 新たに人の観察の仕方を学んでいます。今まで学んできていたのは、ビジネスニーズを中心とした論理的思考と科学的分析に仮説を軸にした実験と検証でした。あるニーズに対する集団のマネジメント技術、思考のしかたと言って良いと思います。

 今学んでいるのは、尊厳を核とした一人の人の自立を目標としたニーズの理解です。その人個人の心身状態と人間としての特徴、環境因子に個人因子、生活と家族・友人などとのコミュニケーション、一人一人違う個性のニーズの理解と提供です。

 観察と言っても相手は人です。プライバシーを無視しての観察は出来ません。会話の中から、わずかな触れ合いの中からその人個人とその人を取り巻く環境と行動の変化に気付き考える。仮説を立てるためには、人に対する知識が足らないようです。

 何かを学ぼうとする時には、何時もそうであるように、今回も何を学ぶべきか手探りで知識の構築を行っています。何時もと違うのは、他の人の深層心理に触れるような罪悪感的な奇妙な感覚です。その人に気付いてもらうため行為に対する罪悪感。