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ご飯が美味しい

 体を鍛えております。筋トレではなく歩く距離を伸ばしています。以前にも一度やったのですが車での移動をやめ電車にし尚且つバス代をケチり2km程度歩くのです。前回は3年ほど続けて楽な車に戻ってしまいました。

 今回は、初めて3か月、最初の壁は超えましたが、まだ体は出来上がっていません。でも前回の経験から言うと腰が安定し足の筋肉がパンパンを迎えていますのでそろそろ峠超えです。そうそう体重も4kg落ちました。

 下半身を使うのは、運動の基本ですし運動によって心身の健康が改善されます。取ったエネルギーが循環し内臓や各筋肉やバランス感覚も高められ体力が付きます。それに歩くは、気分転換になるのでストレス軽減。

 健康は、自分で作ることができます。誰でも健康でいたいとは思うのですが運動をしない人も多くいます。医療で病気は防げます。でも、運動による健康とはチョット違うかな。さて、私の健康寿命は延びるでしょうか。
 

睡眠

 明日の事は明日考えればいいとの安ど感から脳の活動がユックリになり私は眠りに付く。今日の記憶は脳組織内に定着し昨日の記憶と混ざり私に夢を与える。それが終わるころから更に深い眠りに入り込む。一段、二段、三段、四段階目の深い深い深い眠り。

 5時間?今の季節は朝が早い。朝の光を浴び私は目覚め脳内時計がリセットされる。脳は、スッキリしているがエネルギー補給してやるまでは、動きたがらない。新しく作り替えられた私が新しい今日を始める時は何時もボンヤリから始まりエネルギーを欲しがる。

 鼻は敏感だ。今日も無理して起きたmomoさん(嫁)が作る目玉焼きの匂いが胃を刺激してきた。食卓に並べられた白、緑、赤、色とりどりが目から飛び込む。唾液が溢れ出す。私は幸福感の待つ席に付き笑顔を交わす。幸せ者なのだと思いながらつばを飲み込む。

 昨日と違う私は、今日また違う初めての経験をする。知らない人とすれ違い知らない景色を見る。新しい知識を得て満足する。その間、睡眠砂時計の砂はサラサラ落ち続け、体と頭の疲れに気付かしてくれる。疲労感もまた楽し、私は、今日のフッラッシュバックを味わう。
 

私からのメッセージ

 随分と前から私は皆が部屋に入れるよう鍵を開けています。誰よりも早く行き今日の点検をするからです。長い間そうなので昨日も部屋の鍵を開け、ホワイトボードにメッセージを書くことができました。

 私の思うこと
 私逹の目標は、皆でゴールに辿り着くことです。
 相性は、あるでしょう。
 でも、目標を違えないでください
 考え工夫をしましょう
 私達は何時も試されています。
               g-mon

 一人、二人と部屋に入ってきます。誰も何も言いません。
 
 
 
 そろそろそれぞれの役割につく時間、私は用を済ませて部屋に戻りました。
 「ホワイトボード消すね」
 Aさん「あ、g-monさん下の方の”逹”よく見てくださいよ」 「?なに」
 Aさん「棒が一本、抜けてますよ」 「え~!」
 Bさん「なんだー、間違い探しだったのかー」 皆さんの笑
 Bさん「だいたいもっと濃いペンで書いてよ、読み辛くって困るよ」 笑い
 Aさん「でも、良いこと書いてあると思いますよ」 
 「おおー、初めて褒められた?」 皆さんドっ!との笑

 ミニ社会の中で、その話は、2度と出ませんでした。
 でも、ミニ社会の中の雰囲気が変わったのは、私にも分かります。

 ホワイトボードにメッセージを書くのはとても勇気がいりました。書いてる途中に1名入ってきたので恥ずかしくもありました。でも、頑張って良かったと思います。
 

気付いて

 この世の中、判断の基準に相性が優先される時があります。意固地になってしまった人は変えられません。自分しか見れない人を変えることは出来ません。誰も他人の心は変えられないのです。

 それでも私は、気付いて欲しいと思うのです。目標があるのであれば、意固地になる必要はない。そんなに誰かを嫌いになる必要は無い、と。どこでも起こること、誰でも経験すること、虐め?

 私は、少し離れた所でその場面を見ています。私を含めた関係者たちの位置を見ています。小さな問題や軋轢が絡み合い積み重なっています。見えていますが介入はしません。外に出なくては。

 様々な小さなミニ社会、目的はそれぞれ違っていても共通の目標があるハズです。相性もあるでしょう。でも、目標を違えては、ゴールには辿り着けません。私達は、何時も試されているのです。
 

手抜き

 今年に入ってから上手に手を抜くことを覚えました。完璧でなくとも出来切らなくても、そこそこ形になっていれば、いいのです。やらなくてはならないことはやって、それでも自分を守れる範囲以上はやらない。その一線を自分で見極めることができるようになりました。

 やっとです。昨年までは、24時間フルで考え続け行動し続けても満足できる結果には辿り着けませんでした。限られた時間で伝える工夫を沢山しましたが伝わったかどうか、とても不安です。もしかしたら知らず知らずの内に完璧を目指していたのかも知れません。

 今は、私を待っていて下さる大勢の方がいることを知っています。そして私に求められるのは、心身共に健康な私が長い間、安定した状態で待っていて下さる方たちの側に寄り添うことです。でも、皆さんは気付いていないかもしれませんがそれは誰もに求められていることでもあります。

 一時的な無理は、必要な場合があります。でも、長い間の無理は、人を壊してしまいます。人間は人とのかかわりの中で生きていて誰かの何かしらの役に立つことで満足できるように出来ています。その基本は、心身の健康です。ですので、手抜き、覚えましょ。
 

災害について学ぶ

 ストレスは誰にもあります。生きていれば何かしらの圧力が心に掛かります。1つのストレスを乗り越えてもまた新しいストレスがやってきます。でも、人はストレスを乗り越えた時に心が成長することを知っています。ストレスを乗り越える術を知っています。

 トラウマは違います。トラウマは心にできた傷です。心の傷は、ほおっておいて治るものではなく、長期にわたるトラウマは、誰かの助けが必要なことが多いのです。例えば災害で家族、お子さん3人と奥さんを亡くした人は、後30cmで一緒に行けたと。。。

 災害はいつ起こるか分かりません。災害は、とても理不尽です。災害は、弱者に重くのしかかります。災害は、頼りにしていた病院も破壊してしまいます。災害は、医療に人の選別をさせます。そしてトラウマは、たった一人に襲い掛かります。逃げれません。

 今、妊婦の娘が家に来ています。この親子の命を災害時にも守りたいと思います。また、たった一人でトラウマのなかに閉じ込められてしまった人を守りたいと思います。そのために私は考えます。私は何が出来て何が出来ないか、そして何を学ぶべきか。
 

最近の観察

 正しいかどうかは別として、何かを観察し関連する情報を集め、これから何をすべきかの目標を見極め、到達までの仮説を立てることができます。間違っていたとしても仮説が立てられれば、比較するべき物差しが出来たと言うことなので、修正しながらも目標に向かって歩き出すことができます。

 人に教えてもらってでも良いし本から学んでも良いのですが、何のために何をすべきかが見えている人は幸せです。更に進んで、何のために何をするかを自分で考え見つけ出せる人は、更に幸せだと思います。最初から、それが出来る人は稀です。歳を、経験を重ねて手に入れるしかありません。

 それが分からない時は、がむしゃらに働くしかないのでしょうか?私は、そうでした。あっちにぶつかりこっちにぶつかり痛い思いを何度もしながら考える力を、論理的思考と科学的分析と自由な想像力を学んできました。もちろん凡人のそれでは、あります。それではありますが、未来は見えています。

 人は、知らないと言うことに恐怖を感じます。私と接触し何かを感じた人は自分のことを色々話してくれます。家族のこと自分が今思うこと仕事や環境、何を私から聞きたいのかも分からず話してくれます。私はただただ傾聴します。そして話されたことを整理し返します。不思議と未来が見えるようです。
 

認知症

 認知症の症状にも色々ありますが、その一つに物忘れがあります。私も、色々なことを忘れてしまうのですが、認知症の物忘れと単なる物忘れの違いは、その事実そのものをスッポリ忘れてしまうかどうかです。

 あなたは、昨夜の夕食を思い出せますか?実際に何かしらの夕食を食べたとして「何、食べたっけかなー。」と言うのは、単なる物忘れです。夕食を食べたのに「食べていません。」と言われる方が、認知症です。

 起こったことをスッポリ忘れてしまうのですが、酷いことをされたなどは、無意識の記憶に残され、その人を避けるようになるそうです。いずれにしても大切な思い出を忘れ去ってしまうのは、悲しい事だと思います。

 それでも周囲には、愛情があります。子供のころに手を引いてもらった思い出があります。スッポリ忘れられても優しく手を引けば微笑んでくれたりします。この世の中に自我より強いものがあるとすれば、愛情なんでしょうね。
 

チームワーク

 チームで動く。過去には、仲間たちと幾つものプロジェクトを成し遂げた。成功する秘訣は目標に対するメンバーの力量の見極めと信頼関係の構築だと思う。

 過去の経験では、メンバーの力量が目標を達成するレベルに無かったことが多い。何をどのように学習すべきかと、学習できる環境を用意し、何故学習すべきなのかを本人の気持ちになって考え、伝える。役割を明確にしリーダーを決めフォローし続ける。たった、それだけのことでチームは動き、プロジェクトは成功する。

 幾つかのプロジェクトでは、直接作業に加わる部分もあったり、リーダーとして動かなければならないこともあった。でも、何時も主役はメンバー達だった。あまり参加していないメンバーも含め、お陰でメンバー全員で達成感を味わうことができた。全員に大事な役割があった。それをそれぞれが達成した。

 それらの経験は、私の大きな糧に成っている。様々なミニ社会に参加しても、何時もの私でいられる。大切なのは目標ではない、「人を大切に」それだけでいい。
 

学習中

 ごく稀ですが悲惨すぎるので記憶に新しい事件に福祉関係の虐待、それが更に進んでしまって殺人にまで至ってしまったニュースが入ってくることがあります。障がいのある方や支援を必要としている方だけでなく一般の方もその行為には恐怖します。

 とても良い人に見えても人は陰で悪事を働きます。同じ悪事でも人に直接的危害を加えない内容と加えてしまう内容では大きく違います。また、集団心理でしょうか虐めと言う行為が無くならないことからも人は悪を持っているものなのかも知れません。

 人は、悪を持っているものだと仮定しても、その悪を表に、行動に繋げることがない人が大半です。それでは、悪を表に出してしまう人と出さない人の違いは、どこにあるのでしょう?それは人と人を比較し見下したり羨んだりする心にあると思います。

 誰でも比較はします。ただ、障がいのある方や支援を必要とする人と接触を持つ機会があった時に文句を言う人と手を差し伸べる人の違いは「同じなんだ」と言う相手に対する共感だと思います。障がいがあっても高齢でも違いの無い同じ生なのです。
 

私色々

 この世の中には、色々な人がいる。人それぞれでも、こちらは一人、相性の悪い人もいる。そこは気にしない。それなりの距離を持つか、とっとと別れればいい。気にするだけ損だと私は思う。

 ただ、とんでもなく相性の悪い人は別として、それ以外の人とは出来れば上手く付き合いたい。色々な人が居るのだから色々な面を持った自分を作れば良い。でも、それって激しく疲れそうだ。

 自分の性分は変えられない。特に私は変える気がないというか変える方法を思いつかない。それでも捻りだしたのが私の特性の中でもボーッと生きている部分を強化し広げ前面に押し出すこと。

 自分自身は変わらなくても周囲からは「ボーッと生きているやつ」に見えるハズ。と思い頑張ってきた。だけど周囲からはそう見えないようだ。そこには直ぐに熱くなる私が居る。ま、そんなもんだ。
 

 どんな結果が待っているかは誰にもわからないのですが、現在の行動から一般的な結果への予測を立てることは出来ます。「これをしなくては」と気付き何とか事に向かうことができ多少なりとも集中した時間を費やすことができれば、その量に応じて結果が変わることは誰でも知っています。

 誰でも幸せになりたいと思っています。ただ何をもって幸せとするかは一人一人みんな違います。「ズット遊んで暮らしたい」と思われる方は、どうすればズット遊んで暮らせるように成るか考えればいいのだし、人に認められたいとか自身の幸せが何かを知りたい人も考えて探せばいいだけ。

 ところが「自分にとっての幸せって何か」がなかなか見つからないのが人なのではないでしょうか?幸せは、頭の中に開いた何かが足りないと思う穴を埋め、満ち足りた時にホルモンのバランスが良くなり大安心と言う形で得ることができます。ですので「何が足りないか」を見極めることが肝心です。

 もちろん「何か」は時々によって変わります。時々によって変わりはしますが、順番に「何か」を埋めるために何をするべきかを考え、行動していれば穴は徐々に小さくなっていきます。結局のところ幸せづくりに他人は関係ありません、自分との格闘です。自分と如何に向き合うか、難しいですね。
 

学ぶ楽し

 知識があるとないとでは、この世の中の見方が大きく変わる。周囲の出来事に対する反応も未来に対する希望も変わる。知識が、生きる糧になることを改めて知る。

 知識は知識を呼ぶ、アンテナの立ち方が変わり今まで気にならなかったことが目に入るようになる。そして無理せずに頭に定着し整理し考え更に先を知りたくなる。

 知識を得ることで今まで怖かったことが怖くなくなる。恐怖は無知からくるものだと気付き、見え方、考え方が変わる。人は変わる。どんどんかわる。知ることにより変わる。

 このところテストが続いている。力試しやひっかけ問題、それらが分かるから面白い、知識の定着が次の知識の受け皿になり知識を使いたくなる。いい感じ。
 

ゴールは遠い

 結局のところ人間、正しく生きていればゴールにはたどり着けないのだと思う。満足する途中のゴールはあるだろう。だけど自分の可能性は、死ぬその時まで無くならない。何もできなくなったとしても後少し世の中を眺めていることは出来る。

 ゴールにたどり着けた人は、幸せだ。でも、本当の幸せは、ゴールに向かって歩いている時なんじゃないだろうか。その人に合ったその人らしいゴールに向かって直向きに歩いていれば、それだけで自分を認めることができる。それは幸せだと思う。

 世の中には自分の努力だけでは手に入らないものが沢山ある。そもそも努力事態がその人の目標に成ってしまっては本末転倒だ。スローライフを目指す人は、自然と素直に向き合うだけで満足かも知れない。手に入れないこと、それこそが幸せかも。

 私は、もっと人について知りたい。素晴らしい発明を未来を切り開いている人たちの話を聞きたい。ただ、直向きに生きている人の話を聞きたい。頑張れない人の話も聞きたい。失敗談も成功事例も知りたい。そして全てに感動したい。ゴールは遠い。
 

聞くこと

 私がなのかも知れませんが男の視野は狭く何か問題に対しては、真っ直ぐにしか見られないのかも知れません。これに対し女の方はアバウト、何となく大体で物事を捉えている様に思えてなりません。

 物事の決め方に論理性があるような無いような。細かなことを言うと怒られます、ある程度の役割分担をしておかないと先に進みません、それでもジャッジを任せれば一定の方向には進み完成します。

 私が今学んでいるのは、聞くことと決めないことです。多分これは男性に対しても必要なことなのだと思います。何故なら論理的な意見交換が好きな方は、男性でもそうそう多くはないと思うからです。

 傾聴。ただ聞くだけでいいのです。一生懸命聞いているは、相手に伝わるでしょう。その中から本当にして欲しいことがあれば、言ってくれるでしょう。私は自分でやり過ぎた、今はそうでなくていいハズ。
 

ここはどこ

 人は何かしらと比較して自分を見定めながら生きている。そこに、ライバルなどと呼べる相手が居たならば、随分とお互いに高め合え認め合い直向きに生きることができるのだと思う。ただ、聞くところによるとライバルが居る方は稀なようだ。

 最初から自分を律することができる人も稀であろう。自分自身を律することができると言うことは、自分と言う存在を既に認めていると言うことであろうから私は何だろう?などと思ったりしない。最初から自分の存在に気付き気用に使いこなす。

 では、多くの凡人たちは何と何をどのように比較しどのように生きていくのであろうか?多分これも統計してみれば正規分布を描くのであろうとは、予測できる。その中点は、親の判断が中心であった幼少期を過ぎ正義と悪を見出した頃では?

 この世の中には絶対の正義も悪も無いのだが生命が存在するにおいて都合の良い正しいはある。自分にとっての生きる正しさを、ある程度見付け出したところで正規分布のある地点で止まり、歳をとると比較しなくなる。私は今どの辺だろう?
 

目標は何?

 何でも言い合える仲と言うのは大切だと思う。それが会社だったり学校っ立ったりするならば、何でも言い合える仲間達に囲まれているのが理想だと思う。冗談も言う、雑談もする、お互いに注意もしあう、そして何より同じ目標に皆で真剣に取り組む。

 個性はある。一人一人が違う性質を持ち違う環境で育ってきているのだから、当然大切にしているものが違う、譲れない一線だってある。それでも自分中心ではなく仲間中心に相手の話を聞き意見できるのは、互いの目標に向かう姿勢を見ているから。

 同じ目標に向かって、その人も走っている、私も走っている、仲間達も走っている。その環境が作れれば、何か集中する目標と気が抜ける時間が作れれば、周囲と自分の見直しが出来、より集中することができる。集中すれば理解も進みより楽しくなる。

 何かを楽しんでいる時は不安が減少します。お互いの言葉に対する免疫も高まります。会話があれば、、お互いの理解が進みそれぞれの距離感が形成さえrます。なかなか難しいのですが目標さえあれば何とかなります。今、目標、見えていますか?
 

アセスメント

 困ったことに自分が何かに夢中になると家族に負担がかかりジャンル違いの友達と疎遠になってしまいます。昔は、そんなことも考えずに何かに没頭し自分だけの世界にのめり込んでいましたが、今はそれだけでは寂しい気がするのです。

 昔から欲張りな私ですが何もかもは相手の都合、その時の状況があって、なかなか難しい時が多いのです。ですので一つ一つのことは薄くして、できるだけ滑らかな生活が送れたらと思います。その為に計画性をもっと学ばなきゃいけません。

 計画の基本はアセスメントです。あの人は、どんな状況なんだろうかを健康状態、活動状況、周囲との付き合い、環境側面、趣味、そんなことを考えてみて気になったことを合った時にモニタリングします。話しかけて表情の変化を見てみます。

 周囲の色々な人の状況が見えてくれば、その中で自分の時間を少し持ちながら多くの人とユルク生きる方法が幾つか見つかります。ちょっとした会話、メールのやり取りだけで満足できたりします。家族への負担、減らせるかな?私しだいです。
 

ボーッとしている私

 問題は必ず起きる。小さな問題は頻繁に起きているのにもかかわらず流される。大きな問題を引き起こしてしまう前に気付きが必要なのだと思います。そのために頭をはっきりさせなくては、ボーット生きているわけにはいかない。

 間違いを反省する必要は無い、恥ずかしがる必要も無い、そうではなくて間違いをシッカリ受け止めるべきだと思う。冷静に周りで起きたことを時間軸で記録に残そう。事実だけを書き出し思いや勘違いを締め出せば記録になる。

 その時点で分かっていたこと、分からなかったこと、手を抜いたことと正しい工程、周囲の反応と全体の流れ、そして自分の位置づけと目標地点。それら客観的事実の積み重ねと科学的分析によって真の事実は、やっと見えてくる。

 次に問題が起きないようにする計画案は、幾つも出てくるでしょう。その内の足元を固める、自分と周囲の環境を変えられる項目(目標)なんだろう?計画は何層にもなり時間をずらして始めることになる。ボーット生きてはいられない。
 

人を大切に

 基本的に人は人を大事にする。そういうものなんだと思う。ただ全ての人を気にして等生きてはいけないから、そこは素行と言うか人によっての差が出てくる。噛みつきたくてしょうがない人もいる。

 そんな人は、たいがい自分を不幸だと思っている。自分の不幸は他人のせいだと思っている。そして人から学ばないから自分をどう扱ってよいのかが分からない。いつも同じところをグルグル回る。

 結局のところ人が人らしく生きるには学びが必要で、それは誰か自分ではない人から学ぶしかない。親とは限らない、先生とも限らない、級友でもない、今は知らない誰かから学のかも知れない。

 人の縁は深い。自分の人生を助けてくれる幾人の人に出会えるかで人生が変わる。それは、お金持ちとか何かを持っているではなく、自分自身を持っているに繋がる。だから人は人を大切にする。
 

健康寿命

 ある程度の年齢を超えその後にあるのは喪失感だそうです。体力の衰え記憶力・注意力の衰え、そして仕事を失い大切な家族を失う。他に何もなければ楽しいとは思えません。

 2016年の平均寿命と健康寿命の差は男性8.84年、女性12.35年。失うことばかりで得るものが少ない約10年だとしたら引き籠りにもなるでしょう。更に体力と知力が落ち込みます。

 この世の中のことは、学びきれるものでは無いし見切れるものでもありません。興味を持つものが何かしらあるのであれば失う物ばかりでは無く得るものも豊富な人生に成ります。

 仕事は大切です。生きる糧です。自営であれば長らく続けることもできるでしょうし定年70歳などと言う話もあります。でも楽しいがそれだけは変です。幸せの糧、何かありますか?
 

福祉をかじる

 人の歴史は面白い。いえですね、最近福祉を少しかじって例えば障がい者の親たちがどんな苦労をして環境を整えてきたか、とか、国連が考えていた以上に頑張っていたり、とかを今更ながら知ったのです。ただその歴史は浅く、尊厳とか言い出したのには100年も立たないようです。

 世の中には、めっちゃ賢い人が居ます。現場を見て「これではいかん」と考え、概念を構築し、どうあるべきかを文字にし、人を動かし政治を動かし社会を変えます。頭がいいからその話は論理的で科学的な根拠があります。そして、自分の利益ではなく社会の利益を中心に考えます。

 正直なところ私は、福祉についての考えがありませんでした。多分ですが学校でも教わったのでしょう。でも、頭の上を軽く通り過ぎ意識に残らず、どちらかと言うともっと戦闘的な方向の知識、例えば経済学的な知識が面白かったのです。で、撃たれ過ぎて変わったか?徐々にですね。

 日記のどこかで書きましたが「人間はどこかで宗教的に目覚める」そうではあります。ある意味、障がいは人間の負の部分に見えないこともありませんから、目を閉じてしまう人も多い、とも思います。人にもよるのです。同じはありません。障がいも含め色々な人がいるのが普通なのです。
 

リーダー像

 今、私が一番気を付けているのは引き際です。不思議なことにどこに行っても何をしていてもマネージメント的な役につけられてしまいます。積極的に動くは確かにありますが、成りたくてなるのではなく「やりなよ」とか「やってよ」と言う感じ。

 と言っても誰が考えてもそうなる大きな道筋を述べれば後は皆さん勝手に進みます。どちらかと言うと私は構われ役、意見はどうどうと却下されるし役割さえ明確に決めれば、それなりに事は進みます。長い間こんな感じで生きてきました。

 余計なことは言わない、不安でも止まっていなければ任せる、相談があれば直ぐに乗り雑用は全てやる。そして出来るだけメンバーには、新しいことにチャレンジしてもらう、説得も必要です。私は少し離れた所から見ていれば、良いのです。

 お陰様で今まで手掛けてきたプロジェクトは、大きなものも小さなものも成功したと言えるレベルにまで到達してきました。中には当初想像していた形とは随分と違ってたりもしましたが目標は達成していました。私は感謝する、その役割です。
 

プライイベート

 以前にも書きましたが私は、例え酔っていても人の秘密はしゃべりません。逆に体育会系なので先輩や上司、そして友人に対してはプライベートについては隠しません。それが今まででした。

 ただ、新しい環境では、公然と根掘り葉掘りプライベートについて聞いてくる人が居て、それは皆にとってもプラスになるわけではなく、逆に不愉快な気分にさせるのであろうと想像しました。

 プライベートのことは私の世界です。新しい環境では新しい環境に合ったことを真面目にやればいいのです。世の中まったくもって色々なことを教えてくれるものだと感心せざるを得ません。

 今は何かと学ぶ時期です。上司や先輩、友達との上手い付き合い方もその一つでしょう。私がどの様な生き方をしていようがそれが犯罪でない限り仕事には関係ありません。どこでも同じ。
 

風邪気味

 今年は、花粉症が出てしまい鼻水に苦慮したり、このところは風邪で咳が少々辛かったりしていますが、何だかやで健康です。体重は落ちてきたし色々な数値も改善、運動と勉強、お酒少々控えめ、思いつく理由は色々あります。

 毎日忙しいのは何年も変わりません。変わりませんし何時までにの期限も相変わらずタイトです。それでも余裕なのは、周囲にではなく自分に気を配れば何とかなると思えるからです。他人を何とかするは、本当に大変ですから。

 自分が頑張っていれば上手く行く世界があります。環境がいいのです。周囲には、それなりの認識を持った人が幾人かいて、そうでない人も一部の頑張りに引っ張られ付いてきてくれます。少々辛くともその方が皆、楽しいのです。

 私は、何時も幸せでした。傍から見れば辛そうな時期も沢山あったでしょう。実際とても大変でした。でも、それが私の糧でした。私にとっては、何をやるべきかが見えていて行動できていることが幸せです。お金だけでは無いのです。
 

時間が無かった

 あなたは、信頼を得ていますか?私は、得られた時もありましたし、不信感だけの時もありました。信頼には程度があります。シチュエーションによっても異なってきます。信頼を得ることが簡単な時もあれば非常に難しい時もあります。

 制服や名刺に書かれた資格などを見て、あなたはその人に必要とする能力があると判断するかもしれません。でも、まれですが制服が偽りであったりもします、よくあることですが資格が期待する能力に及ばなかったりもします。

 仕事上の信頼関係でしたら相手の言うことを鵜呑みにして行動すれば信頼を得ることが出来ます。盲目の追従は、理解されているとの勘違いを相手に与え、信頼に対し信頼を返そうと相手に思わせます。お互いに勘違いしているのです。

 問題は、上の立場の人と違う行動、思考を理解してもらうという信頼関係の築き方です。深い論理的思考が出来ない相手なら諦めるしかありません。感情が先行する方も思考が停止しますからダメです。余程の時間がない限りは諦めましょ。
 

長い旅

 人間は人間に育てられて初めて人間になれます。もし、赤ん坊に何も教えなければ赤ん坊は話せるようにはなりません、本を読めるようにもなりません。その後の人との出会いで学ぶ多くのことを学ぶことができません。

 もちろん持って生まれた才能と言うものはあります。個性の原型です。個体としての個性は持っているけれども過去の人間逹が積み上げた知識あってこその人間です。どんな人間に出会うかで人は、変わっていきます。

 1つのコミュニティに止まってしまうとなかなか新しい出会いに恵まれません。出来るだけ少ないチャンスを、外部研修に積極的に加わるとか趣味を持ちその世界の人との交流を楽しむとかすると多くの人の話が聞けます。

 会社と言うコミュニティに染まってしまうと離れた時に何をしたら良いか分からなくなってしまったりします。人間の成長は死ぬまで続きます。少なくとも心の成長はそうあるべき、多くの人に出会い学ぶべきだと思うのです。
 

木の芽時を過ぎ

 何故なのか同じように生きているつもりでも、1年の内には波があります。落ち込んでみたり調子に乗ったり、幸せだったり不幸だったり。もちろん、そう言うことをあまり意識しない時もあります。

 一つには、四季の変化が影響するのでしょう、春には芽吹いて冬には枯れていく。この時期、五月六月は少しばかり眠いかもしれせん。調子に乗ったり落ち込んだりの感情起伏があったから?

 夏を超え秋に実のらせるためなのでしょう。そう思えば少々の眠気は我慢できます。落ち着いて周りを見ることもできます。先が見えているのですから今の感情に引きずられる事も少ないのです。

 気付かないほどの毎日の変化は毎日の経験から生まれます。生きている内は、同じ時などありませんし過ぎ去った過去は変えられません。ですけど未来は変えられます。今から先が楽しみです。
 

思考停止

 どうも思考が停止しているようです。うーん、動いているのですが、同じ所をグルグル回っているような感じがします。もう一つの外界に出たくて、もしかしたらイライラしているかも知れません。私はだれ?わたしはわたし、私は昨日の私でもなければ明日の私でもない、今の、ワ・タ・シ。

 人は変わります。何時も変わります。毎秒とまではいわなくても分よりも短い時間で変わります。でも、あまりにも多くの事が連続して起こると、どのように変わるべきかの判断ができなくなります。今の私が、それなのかな?とても面白いです。戸惑っている私が、困っている私が面白い。

 新しい知識を学ぶために9種類のテキストと1冊の関連図書を購入しました。今は、テキストの7冊目まで手を付けていますが、各テキストの繋がりが理解出来た所です。何の勉強を始めてもそうであるように学べば学ぶほどに広さと深さが 見えくるものなのです。私はそれを眺めてる。

 さて、今日もしっかり歩もうと思います。私以外の人も世界も毎秒変わっています。普通に生きていれば、その変化に気付きます。既にこのブログを書きだした時の私ではありません。考え方、見方が変わっています。今は先に進んだ感が無いのも先が分かっていれば楽しいもです。
 

ミニ社会

 私は、腹が立つようなことがあると悲しくなるようになりました。腹が立つような行為をする方に、疲れていたり辛い事が有ったりすることが見て取れたり、分からなくとも何かしらの理由があると考えてしまうからです。

 もちろん相手のルールに反する私の落ち度があるのでしょう。相性だってあります。でも人が幸せな時には、大概の事を許容してしまうものなのです。腹を立てると言うことは日々ありますが大人は態度にだしません。

 悲しくなった私は考えます。尊重すべき相手のルールは何だろうか、態度に出すべきこと行動を控えるべきこと普段と変えてないようにすべきこと、それぞれに何故を付け真の理由が正しいものかを確認するのです。

 難しく考えると人間関係は難しいものです。それは距離を上手く保てない時に起こります。様々なミニ社会においては丁度よい距離が必要です。それは、相手の全体が十分に見える距離、もう少し離れて見てください。