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失敗

 以前、営業システムの導入手伝いを依頼されたことがあるのですが見事に失敗しました。経過はこんな感じです。

 縁あって私の作った社内システムを紹介しに行った。技術職、営業職、製造に購買、会社のKeyマンであろう方々の前で何ができるかを説明し興味を持っていただけた。
 しばらくして新しくシステムを担当する人を雇ったので教えてやってほしいとの連絡があった。お節介の性格なので出来る範囲でとお受けし担当のSEさんを紹介された。その場ではSE]さんもにこやかだった。
 SEさんと二人になると態度が少し変化し「話を聞きたくない」「口を出さないでくれ」と言われた。それまでの経験から相手の気持ちは相手次第と判断し残念だったが手を引かせてもらった。

 振り返ってみて、時間的制約だったり自分のものにしなくてはならないという直感があったりと理由は様々ですが私にも協力を断った経験はあります。それでも結果的に成功してきましたましたが。

 逆にお金で買える知識と経験や自分の能力では先が見えない時には、協力者を求めました。自分より上の才能を持つ人に会った時には、協力に回らせてもらいました。脇役と言うのも結構楽しいのです。

 それが定めと言うものなのだと思いますが失敗することが分かっていて手が出せないというのは、歯がゆいものです。
 

優しい人

 優しさとは何だろう?私にも欲求や欲望、腹が立つこと悲しく思うことはあります。それらを抑えて人の気持ちを重んじることは出来る時と出来ない時があり”優しくないな”と思ってしまう時もあります。

 逆に周囲の人の感情を鑑みず自分の思い通りに邁進している時には”優しさ”を一瞬たりとも考えたりしません。そんな時にはあたりまえですが自分のことを”優しくない”などとも思ってもみません。

 誰かを傷つけるのは簡単です。頑張れない人に頑張れと言えば相手は傷付きます。心弱い人に手助けをして結果挫折を味合わせてしまえば傷付けたことになります。誰だって運の悪い時はあります。

 でも生きている以上は人に接することは逃れられず傷付け傷付けられることだらけです。ですので優しさとは”気にしないこと”なのかなと思います。細かいことは気にせず笑顔でいる。それで十分です。
 

接客力

 接客力と言うのがあると思う。最近よく耳にする「おもてなし」も接客力の表れだと思う。工場でも次工程はお客様などと言う言葉があるくらいだから接客力は商売人だけに必要な能力では無いと思う。それこそ人であれば全員が欲する能力ではないかと思う。

 最近何度か経験したのだけれど”頼りないな”とか”伝わっているだろうか”とか思わせる人は接客力不足だと思う。相手の要求していることに対する理解力と仕事の守備範囲に対する学習不足が要因と思われる。それらは組織の教育で補える項目だと思う。

 お役所仕事などと言う言葉もある。最近はともかく「形式的で、時間がかかり、実効のあがらない仕事ぶり。」のことを言う。そういう仕事の仕方をする人を見ると無能に思え可哀そうになる。逆に良い接客を受けると話が早く気分もいいので互いに得だと思う。

 接客力を上げるには、仕事の何を価値としているのかを明確にすることが基本だと思う。その上で知識と経験を組織的に形付け技術・技能と心がけを教育する仕組みが必要だと思う。そして何よりもは、自身の仕事に対しての誇りを持つことが重要だと思う。
 

それもいいけど

 面白いぐらいに毎日色々なことが起こりますが、それを熟すのに慣れてしまった人が居ます。「まただ」と関係者に注意を促し処理をしますが良くて継続できない改善を指示しそのことを忘れてしまいます。それで終わりですか?

 上司や周囲からの指示はで「もっと頑張れ」があれば良いほうで普通は気にも留めてもらえません。自分の仕事に対しても何を変えてよいかわからない人達の中では、それが普通です。毎日頑張っているようで実は何となく流しているんです。

 自分自身を含め仕事を第三者的の目で見る工夫が必要ですよ、そういった行動が気になるようにしましょう。同じ行動からは同じ結果しか生まれず周囲の変化があれば取り残されるのに毎日が同じということに気付いてください。

 余裕が無い?考えが及ばない?わざわざ苦労をする必要はない?それでも運が良ければ出世も出来るかも知れません。でもその仕事、自分の仕事と言えますか?誰でも出来るのではないでしょうか?それってなんかつまんないの。
 

助け合い

 人間何かしらの問題(本人気付かなくとも)を持っています。だから結果として誰もが何時も誰かに助けられてい生きています。でも助けるも助けられるも日々普通に起きている事なので意識するのはチョット特別なことかな。

 新しいことにチャレンジするため何かを考える都度、過去に助けられた経験を思い出します。先輩から声を掛けてくれ勉強会を開いてくれたり、同僚が仕事の説明に対し「分からない」「変だ」と言ってくれて深く考えが進んだり。

 分かるまで付き合ってくれる先輩や同僚がいて形になったものを更に工夫し標準化が進み達成感を味わいました。そんな仲間がいるのは特別なことです。何時も仲間達のお陰で私の心身の健康は守られていたと思います。

 健康の基準は人それぞれに違うと思いますが私が思う心身の健康は、そう言う人達との関係で作られた部分もある。そう思うのです。そして「何時も誰かに助けられている」と気付けるかどうかも自分次第なのだと思うのです。
 

余裕の計測

 まだ上手く言っているとまでは言えませんが自由に生きています。自由に生きるというのは自分勝手に生きるというのとは違うようです。自分勝手に生きようとするとあちこちに軋轢が生まれて自由に生きられなくなるからです。

 ああ、自由に生きようとしても軋轢は出来ました。ただ、自分勝手に生きて出来た軋轢は許せないのに自由に生きた結果出来た軋轢は気にならないのです。心に余裕が生まれ私は自由に生きられているんだと感じれます。

 自由に生きるていると感じるには心に余裕が必要です。そのためには自分が生きたいように生きるための行動をする。簡単に言えばやりたいことをやるための準備で今日できる部分を今日行動するんです。量は少しで大丈夫。

 そう、今注意しているのは沢山行動し過ぎないこと。行動の量が多過ぎると失敗の数も増え反対に思考の量が減り自分を見失います。若い時はそれが普通なんですが今はもう心痛める失敗は十分。大切なのは余裕の計測です。
 

遠回しに

 私の好きなビジネス書は、仕事の仕方の説明が詰まっている物よりビジネスの事例や至った経過が詰まっている歴史書のような物が好きです。数学の公式や漢字をただ覚えるより公式が作り出された理由や漢字の構成に興味があるのと同じ理由です。

 逆にただ「覚えなさい」と言われると反発を覚える性格です。何故なんでしょう?そういう風に育った?性分?少なからず幼少期から本を読み聞かせされ本が好きになっていたことが影響しているのでは、と思っています。読んで理解し始めて楽しいのです。

 何かを思いつく能力と何かを始める能力、そして何かを形作る能力は別のものだと思っています。それらの能力を併せ持っている人もいれば何かに特化している人、何でも受け入れられる人、安全を守る人、それぞれに自分を認められれば十分幸せです。

 ですので「変なの」なんて思うことはありますが違いの修正を強く求めたりしません。そもそも絶対に正しいなんてのはこの世に存在しません。そう分かっているんですけどついついお節介も焼きます。相手が嫌がっていれば遠回しにです。私の書き方です。
 

良い知らせ

 昨日、どうかな?と思っていた扉が一つ開きました。そんな凄い扉とかではないのですが少しばかり新しい知識と経験を学ぶチャンスが増えます。ダメもとと考えていましたが、自分の考えた方向に進めると言うのは、やっぱり嬉しいものです。

 そうそう、時間を作り暮れに脳卒中で倒れてしまった友達にも会いに行きました。後遺症で言葉の一部、数字の扱いが苦手になったそうです。言いたいことが直ぐに口に出せず、もどかしそうでしたが冗談を言えば以前通りに笑ってくれました。

 彼には彼の私には私の新しい経験が待っています。良し悪しきではなく誰でもそうなんです。意識してそうしているつもりでも偶然に起こってしまったと思っていても誰にでも同じように変化は起きています。まあ、たいがい気付かないのですが。

 新しい扉の先に進むのに準備が幾つか必要になりました。それら準備のことを以前は面倒だと思っていたのですが何時の間にか楽しみの一つになりました。調べて行動して人の知恵や力を借りて少しばかり前に進む。悪くないと思っています。
 

夢とか目的とかあります?

 考えが及ばないとか、そもそも考えていないと言うのは普通のことです。と言うのも多くの人が将来の夢とか自分らしい目的とか言うものを持っていないからです。先の考えがなければ、今何をするべきか(何をしたらまずいか)は分かりません。
 
 でも、やはり多くの人が将来の夢や自分らしい目的を持っていたりします。先のことを考えることが出来るので当然のこととして今日何をすれば良いかが分かっているます。それに向かっている自分の日々を楽しんでいます。当然大きな差が生まれます。

 どちらが普通なのでしょう?個人的には日々流されているうちに何となく将来の夢や目的が出来ました。比較的最近のことです。人それぞれですから早い人も生きるが終わるまで気付かない人もいるのだと思います。どちらが幸せなんでしょうか?

 何時もの言い草ですが、それも人それぞれなんだと思います。ただ自分なりに生きて歳をとって死んで行ったとしても不幸だとは思わないのでは?と思います。たまたま私は、何をすべきかを考える方の自分を認めているだけなんです。
 

考えをまとめる

 15秒。何かを思いついて記憶に留めて置ける基本的な時間だそうです。海馬ってやつは総動員で情報を形作り知性の欠片に作り上げ様とするのですが、情報は次々と入ってくるものだから多くは留める前に次に移ってしまい折角のアイデアも泡と消えてしまいます。

 昔からこの思い付きを必要としている人はメモ帳を手元に置いたり何かに関連付け記憶時間を延ばしたりと工夫をしています。私の場合は前者、何かを思い付いた時には出来るだけ早くメモなどに書き止め、ブログもその一部なのですが整理し残すようにしています。

 ただこの思い付きの山を必要な時に使えるよう整頓されているかと言うと残念ながら否です。断片を引きずり出して本から不足分を確認する。この作業の繰り返しで思い付きをアイデアまで形付け考えを何とか人に伝わるかどうかの形にまで整えます。苦手な作業です。

 ならば考えを整頓するためのデーターベースを作ろうと思います。以前それらしきものは作ったのですが自分では使わなかったため改良もなく成果も出ませんでした。大手のSNSなど既にAIで思い付きを整理整頓しているのでしょう。私も企画し試してみたいと思います。
 

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身勝手な私

 同じ立場の人や自分の考えを言える人に対する意見や教えるはパワハラにはならないと思っています。もちろん危険を伴わない限りやらないや出来ないを認めます。

 経験が不足していたり組織的に私の方が指示する側の場合には理由を説明しない意見や教えるがパワハラになる場合があると思っています。もちろん相手次第です。

 最近経験したのは理由を聞きたくない、または理解できない人をフォローせずに自分の正しいを進めるとこちらから見て勝手に相手が傷つくと言うことです。思いがけずのパワハラ。

 相手の立場や経験は関係ありません。歴史的に見ての正しいも関係なく逆にパワハラ的運営を好んだりします。パワハラは、対象が人だけに難しい、手はあるのか?
 

私に出来ること

 二十歳の青年と一緒に仕事が出来るかと聞かれました。そう、新しい環境や新しい仕事では新しい知識が必要となり過去の経験や知識の多くが利用できない場合があります。その時には新しい知識と共に働く必要があります。私は出来ると答えます。

 そもそも仕事において年齢は関係ないのです。もちろん年齢に適した仕事と言うものはあります。ありますが人それぞれの特性の方が仕事の成果に影響する確率は大です。であるのであれば、考えが固まってしまった人より新しい知識と自由度がある青年の方が新しい仕事で成果を出す可能性は高いのでは?

 実のところそれもどうかと思います。と言うのは今の仕事は一人だけで行える作業はあっても一人だけで達成できるほど仕事の内容が単純ではないからです。新しい価値は新しい知識の発見とそれを実現する新しい実験方法の山と新たな経験の伝達方法によって既存の技術技能につながって初めて社会の中に落されて行きます。

 新しい仕事に臨む時には、以前の公式を覚え試験に臨む仕組みはだけでは通用しません。私の最初の仕事は新しい仕事の概念を理解し生かしやすい環境を作り私が寄るべきことがあれば参加し形作り誰かに引き継ぐ。青年に対し私の出来るはそれです。
 

世の変化

 人によってスピード感は違いますがこの世と言うものは何時も変化しています。それを最も分かりやすく感じるのは最先端の情報技術がもたらす環境の変化です。そしてその変化が次々と当たり前のこととして社会に受け入れられていきます。

 そうなんです。十年前には影も形もなかったものが今は当たり前のようにそこにある。あなたは「十年前にテレビに向かいリモコンで投票する」なんてこと考えつけましたか?今の子は、それがあたりまえであり次の世代は「そんな面倒なことをしたのだ」と驚くのではないでしょうか?

 もう少しスピードは遅いのですが起業活動環境も変化しています。安定していると思われる企業も十年単位では大きな変化に直面し対応出来なければ企業の優劣が変わったり淘汰されたりします。トップが変化に気付かない場合もあるだろうし組織が追従できない場合もあります。

 時は進みます。富む者、保守的な者、そして取り残されてしまった者が争ったとしても変化は止まりません。それが自然なことだからです。ですので気にしないことです。周囲が騒がしくとも自分にとっての変化は自分のペースでしか進みません。
 

一区切り

 積み重ねてきた歳のおかげ。ブログ更新に目を向けられないほどの忙しさにも慌てず、一区切りが付きました。それでも環境が変わっての慌ただしさは相変わらずですが、それにも少しづつ慣れて行くでしょう。適応力が高いのです。自慢です。

 定期的に新しいことを始めています。新しいことを始めるには前のことを終わらせ無くてはならないようにも見えます。ですが今まで行っていたことの完成度を上げる作業も含めて全てのことは、それまでの経験の上に積み重されて行くものです。

 新しいことに必要なのは、新しい知識と新しい経験、それに向かう自分自身だけです。もちろん今までの様には行かないことも多々あります。新しい仲間が必要だったりします。が何とかなるものなのです。そして最初の一歩は既に踏み出しました。

 さて、次の区切りがどんなものになるかは分かりませんが、気持ちに余裕があります。時間も少々作れそうです。ですので普段できないこと、周囲の様子を確認し知識のありかを確認、下調べをします。新しい事への準備は何時だって楽しいです。
 

肉体労働の価値

 今更ですが中学高校の数学を再確認しています。ちょっと面白そうな問題集(高卒程度)があって遊びがてらに解き始めたのですが、忘れているところが多く時には中学にまで戻って確認しなくてはならないんです。当たり前ですがズット繋がって教わってきたんですねー。

 なかなか時間が取れない中、始めるとどうにも抜け出せなくなる性格が災いしています。クイズとかパズルとかはしませんが始めれば同じように楽しいんでしょうねぇ。ですので近づかないようにしなくては、絶対に。

 以前読んだ本に「価値の生産は、栽培から製造に移り今は思考・知識・実験に基づき生まれる」とありました。私自身は、あまり評価されませんでしたが転職を考えた場合には、確かに肉体労働を対価とする職に就くのと思考・知識・実験にて生み出されるシステムを対価とする職に就くのでは、初任給で2~4倍の差が付きます。

 で、数学は論理的思考だと思っている私は、数学を肉体労働に生かして価値を高められないかと考えたりします。肉体労働しながら思考を行うには体力に余裕がなくては成りません。なーんとなく今の私なら新しい価値を作れるような気がしての準備、頭の体操中なのです。
 

ロタウイルス

 今だけ家にいる孫がロタウイルスに感染し家族にうつり汚した衣類寝具の洗濯や何時も以上に甘える孫の相手、それで土日が終わってしまいました。

 こういう時って男は不器用だと思います。1つ1つを終わらせないと次に移れないのです。一度に孫の着替えと汚した布団の処理に泣き出す新生児の対応、本人も嘔吐など苦しんでいるのに、ぽぽさん(娘)はよく対応しています。女です。

 今回思ったのは感染する病気の恐ろしさ。院内感染など聞きますが除菌その他の注意を払ったつもりでも家族にうつってしまいました。幸い、私は大きな症状がでず動けましたが、私まで寝込んだらと思うとぞっとします。

 ちまたではインフルエンザが大流行、人によっては2度かかることもあるそうです。人に出会うことは避けられません。とにかくコマめの手洗い、口濯ぎに心がけ乗り越えたいと思います。週明けには、家族も徐々に良くなっていくでしょう。
 

幸せの基準

 人は、波風が無いと幸せになれないの?「若い時の苦労は買ってでもせよ」とは聞きますが楽して生きてはいけないの?もっと言えば普通に生きていても苦労は付いてくるのに買うなんてバカじゃん。

 多分苦労は誰にでも付いてくる。何故って幸せの価値観は人それぞれ違って特に若い頃は、これで満足というものを知らないから?じゃあ歳を重ねれば満足するんですか?それも違うように思います。

 自分が幸せかどうかは自分が決めること。つまり自分で自分の幸せを決められる人だけが幸せになれると言うこと。他人から見ての良いか悪いかを別に置いて自分はこう生きると決められますか?

 悩み多き人にとって、それは結構大変ことなんです。正直に言うと、ボーッと生きてきた頃が懐かしい。屋根に上って布団を引いて暖かい日の中で好きな本を読む。屋根の上にズット居れば良かった?

うーん、屋根の上からは下りてしまったけど今私はそれなりに幸せだと感じています。