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知識と結果の関係

 もちろんバラツキや特例は、あります。ありますが、先日能力の高さは知識の質と量で決まると言う表現方法を教わりました。知識の量を球で表したとすれば能力の高さは円周から円の中点までの距離で表すことが出来る。と言う話でした。面白い表現方法だと思いました。であるのであれば、とも思いました。

 知識には2種類あります。担当する業務を熟すために必要な専門的知識と、その知識(少なくとも概要)を理解した上での管理的知識(マネージメント)です。能力を高めようと思うのであれば、まずこの知識量を増やす必要があります。増やし方ですが、それぞれの業務目標に関連付け増やすのが良いでしょう。

 知識の量で能力が決まるという事実を正と仮定した場合、相手に知識量以上の情報を伝えると言う謝った手順を取るならば知識の無い人には伝えても理解する事が出来ないと言うことになります。当たり前なことなのですが、これを面と向かって「あなたには知識が無いから理解できない。」と言ったとすれば相手が良い気持ちになるとは、思えません。

 私の無知に気付きました。部下や同僚に対して知識を教えることは出来るが、現時点で知識はないが影響力のある立場の人に知識の概要を伝え必要性を理解してもらい支援を受ける環境作りが出来ていません。知識は、自慢するためにあるのでは無いのです。共有し一緒に喜び合うためにある。

 仕事を進める上で支援(課題の共有)を受けるための知恵・知識が私に不足しているため支援を受ける能力がない。かなりスッキリしました。バカはバカなりに自分を楽しむのです。  ♪
 

今日一日

 不思議なことに客観的に見渡せば十分満足できるレベルまでに仕事を成し遂げたと思うのですが、何時も枯渇感と言いますか、満足できない状態にいます。それは、見据えている先は、まだ程遠く辿り着くまでの道のりが仕事を熟せば熟すほど険しいものであることが実感できるからに他なりません。

 現実が見えてくると言うのは、そう言ったものだと思います。ただ、見えないままに突き進むのとは訳が違います。何をすればよいのかは、シッカリ考えさえすれば明らかになりますし、必要とする時間も見えてきます。であるのであれば、何を人に任せ何を自分自身がすべきかも明らかになるのです。

 それらのことを、焦らず愚直に進めることで、目標とする場所まで自分自身が到達できなかったとしても、それを受け継ぎ成し遂げようとする仲間が生まれます。そう思うことで枯渇感を埋め自分自身に少しではあるのですが満足することが出来ます。結局のところ助けてくれるのは自分と仲間です。
 

心の準備

 多くは、心の問題なのですが新しいことを始める準備をしています。物事を数値で捉える練習です。多くの数値は、真実であっても、真因が見えないことが殆どです。切り口を変えたり時間を追ったり、細分化したり組み合わせたり、仮説を幾つも作り、それぞれの真実を探ります。

 多少当たりの見えた仮説を定点観測できる仕組みを作る予定です。仕組みを作るのは、比較的容易だと思っています。が、そこに流し込むデータの正確性を上げるのは、なかなか難しいです。何故なら、データは現場から集めることになり、その現場で働く方々がデータに価値があると認識していないからです。(追記:この書き方は断定的であり間違いです。私の悪い所です。現場の方達は、データに価値があるとは認識しているのだけれども、自分には直接関係ない、などと思わせる、環境を変える努力が私に足りない。自分の行動がどれほど人の役に立つかを伝える工夫が私に足りないのです。あなたの頑張りがどれほど社会の役に立ってるのかを伝える工夫が必要です。)

 人間です。価値が認識できない仕事は適当な処理になるのが当たり前。でも、現時点では仮説でしかなく現場を納得させるまでの数値を使ってのグラフがありません。 ・・ と言うことは、仮説をもっと現実化し、仮のデータを簡単に作る方法を編み出し未来も含めた分かりやすいグラフを作る。それ、良いかも知れません。私自身も仮説の裏が取れます。

 何かを新しく始める時、私の良くやる心の準備は、こんな感じで進みます。何となく感じているから、ボンヤリ見えるに変わって、押さえるべきポイントまで進化した時には、概ね始める環境も何故か整いだします。多分始めるころには、走り出す体勢に成っているでしょう。
 

部下を持つ

 部下が残業をしていたので声を掛けました。
「どうした?」
「○△の処理が分からないのです。」
「明日教えてあげるから帰りなさい。」
「午後一番からサーバーの入れ替えがあるのですが」
「それでは、朝一番に教えてあげるよ。それでいい?」
 了解してくれたようです。

 何時ものように1時間半早めの出社、サーバーの点検を終えて席に付き、約束を守るために下調べを行います。 ・・ ?

 学生の頃に予習と言うものをやったことがありません。学校の先生方は、多分授業の前に準備を成されていたのだと思います。下調べをしていると「ここが分からなかったのかな?」とか「ここは図で教えよう」などと教える側の準備が出来ることに改めて気付きました。

 慣れた仕事なので下調べに掛けた時間は15分。自分で考える、自分で調べるの部分を残さなくてはならないので、資料はこの程度で良いでしょう。この資料があれば5分程度で教えられ部下と私の貴重な時間を浪費することは無いでしょう。

 何時もの下調べ。少し前の自分なら、あたり前とは気付かなかった。部下とは、ありがたい存在です。
 

少し詩人

 帰宅後、暖かさに誘われ夜桜を見に出かけました。美しいと思います。

 強そうには見えません。可憐です。でも、ゴージャスでもあります。一本でも美しいです。並んでも桜の園でも、近くでも遠くからでも、それぞれに別な美しさがあります。短い期間で散ると知っているから、儚さも感じます。思わず息をのんでいます。

 桜の花の時期に比較すれば人の花開く期間は長い?長いのですが、もっと大きな単位から比較すれば、とても儚くもあります。人の美しさはどこで見るのでしょうか?内面にある心のオーラーでしょうか?何かしらの発信を見なければ分からない?

 明日も色々な人と接することでしょう。その一つ一つが美しいと思います。
 

もうすぐ新入生

 人に何かを教えられるとしたならば教えるモノを持っていることが大前提になります。人生は一生勉強だと言われる方がいますが、であるのであれば一生学ぶ訳ですので教えるモノが尽きることは無いと言うことになります。でもね、教えるモノを持っていると言っても相手が必要とするかは、別の話ですし、そもそも伝えられるレベルまで教えるモノを理解しているかも問題となりますよね。

 子供のころから誰かに何かを上げたくなる性分です。ですので形のあるなしに関わらず何か持っていれば上げたくなります。形のあるモノに関しては無理をしてしまいますから困った性分です。形の無いモノに関しても押し付けに成れば、それはそれで困ったモノに成ってしまいます。良いタイミングで咀嚼でき役立に足りる量を見極め提供する。それを成すには、こちらに余裕が必要です。

 振り返り、落ち着いて自分を鏡で見てみれば ・・ 余裕、ないなぁ ・・。でも、仲間達に段々と引き継いで貰っているし、部下も育っているし、私がこれから新しく学ぶべきことも大体は見えているので前途がまるで暗いと言うわけでもありません。マインドセット、もう少しやるべきことと任せるべきことを整理して、自分自身にネジを巻きなおす。4月も間近、いまはそんな時期なのです。
 

考える

 官僚ほどでは無いにしても中小企業においても、ちょとしたことを正しく伝える仕組みが無かったりします。若い会社であれば、新しいルールを作るのも難しくは無いのですが、長く商売を続けていると硬直的になり暫定対策も恒久対策も出来なくなったりします。

 考えが及ばないのは何故なのでしょう?私自身、今まであったAと言うルールに乗せると得られるBと言う結果に対しBに似通ったCと言う結果が欲しいためにAと言うルールに乗せようとしていました。それが間違いであると気付いたのは、Aと言うルールを図式化した数日後であり課題に対する対応策を考え出した時点では、考えが及ばず間違いに気付けませんでした。

 1つには、暫定対策と恒久対策の切り分けが下手なのでしょう。暫定的には、事が足りれば良いのですから大騒ぎしてでも何とか事を成せば良いのです。この時点で恒久対策について深く考える必要はありません。ただその課題を処理するために標準化が必要かどうかを暫定対策を終えた後に落ち着いてじっくり考える必要はあるのです。そのために余裕は必要です。

 2つめには、今まであった事象に引きずられることなく事の深さと幅を最初に考えるべきなのでしょう。考えが及ばない理由の多くは必要な情報を持っていないためなのですが、そもそも何が分からないかを知る必要があり、そのために事の深さと幅をしっかり見極める必要があります。分からないことが分かったら書き出してみるのです。まず何から始めるかが分かります。

 考えるのは大変です。1つの点が平面に見えてきたあたりで嫌になってしまうものです。でも、その平面には奥行きがあり時間軸と言う深みがあります。人でなければ、ある程度以上に考えを深めようとしないでしょう。私達は人です。であるならば考えるを学ばなきゃ。
 

先行投資

 「時代が早すぎた」と言う表現がありますが「周囲が付いてこれない」ために結果として受け入れられない場合を指します。AIなどもその一つで人工知能自体は過去にも何度かビジネスにしようとする動きがありましたが技術的だったり費用的だったりの理由から一般に利用されることはありませんでした。でも、今は環境が揃いつつある。AIをビジネスにしようとする考えに「時代が追いついた」のでしょう。

 同じように何かを始めようとしたい時、何かを伝えたいと思う時に「時代を待つ」必要があるのが普通です。待たずに始めたところで苦労ばかりが多く成果が出ることはありません。もちろん成果を出すための仕込みやビジネスに繋がるタイミングを見極めるなどを疎かにしてはいけません。せっかくのアイデア、人に先を越されるのも面白くはありません。タイミングを掴むには、ある程度の先行投資を惜しまないことでしょう。

 同僚や後輩たちは優秀です。それでも後何年か先に必要なスキルを急に身に着けることはできません。であるのであれば数年先のビジョンを示し、そこに繋がる目先の課題を一緒に明らかにすべきだと思います。同僚や後輩達が今後自身の価値を見出すために必要な目標を設定し目の前にある仕事と結び付けマインドセットをしてもらう。その結果、数十年後に後輩達は自力でビジョンの構築が出来るようになります。

 今やっていることは、そういうことなのだと思います。私自身がその成果を目の当たりにすることは無いでしょう。場合によっては時代の変化で同僚や後輩たちの気持ちも離れてしまうかもしれません。ですが、自分の価値を自分で作り出すスキルを伝えることが出来れば、後は何とかしてくれるでしょう。少なくとも変化していく過程は、私も見ることが出来るのですから、それ以上のことを望んだら、バチが当たります。
 

何で稼ぐ?

 同僚がテレビを見ていて「やりたいことでは無く得意なことで稼ぐ、と言う考え方を教わった」と話してくれました。私にとっての、やりたいことは「誰かの役に立ちたい」ですが何かが得意と言うわけでは、ありません。が、やりたいことを追いかけていたら何となく多くのことがそれなりに出来るようになってはいました。それで稼げている?どうも道を誤ったような気はします。

 やりたいことが得意なことになって、それで稼げれば一番良いとも思います。ただ、私はやりたいことをどうやって見つければよいのかが今一つ分かっていません。やりたいことと言うのはその人にとって価値があると思えることで尚且つモチベーションを高められる何かだと思います。それは自身の資質やカルチャー、価値観と言ったものを認識することで見つけられる?

 多分、やりたいことは自身の認識外にあるのだと思います。ですから、外からの刺激を受ける必要があります。自身の資質に付いても外部から気付かされることで自信を持つことは多いでしょう。自分探しは自分の中に留まっていては出来ないような気がします。そしてもしかしたら絶えず刺激し合える仲間が必要なのかも知れません。何となく、そんな気がします。

 幸いなことに、私は、刺激し合える環境を作ることが得意と言うわけではないですが比較的容易に作り出すことができます。作り出した環境と会社にとっての利益を結びつけることもできます。更に幸いなことに刺激し合うに見合った仲間も幾人か思い付きます。同じ方向性を持てるのか相談してみたいと思います。私にとっては、やはり「やりたいこと」が優先するようです。
 

A≠B=B A≠B=C

 今朝ラジオで参考になる話を聞きました。学校教育としてアメリカでディベート「AとBの意見を戦わせて相手に勝つ」方法を教えているのは有名ですが、デンマークでは「Aの意見とBの意見を話し合わせCの意見を見つけ出す」方法を教えているそうです。私が身に着けようとしているスキルが、これです。

 また、同じくデンマークの学校教育では「課題を解決する」能力ではなく「課題を発見する能力」に力を入れているそうです。「課題は発見してしまえば解決できるものだ」と言う考えが根底にあるようです。確かにそうではあるのですが、これに付いて私は、少し疑問を感じました。

 それは、目の前の課題では無く、その奥に潜む課題を見つける教育をしているのか?です。限られた番組の中でのお話ですから多分私の疑問は杞憂なのだと思います。日本では「品質管理で教わる真因を探す」と言う手法が、この教育に当たるとも思いました。実践で学べるのですから素晴らしいとも。

 朝の話から品質管理手法を違う角度から見ることが出来、また一つ課題が整理できました。「表面の現象(一見課題に見えるもの)に気付いた時に、どのようなプロセスを経て真因に辿り着くかの方法を如何にして伝えるか」です。答えは「A+B=Cの環境を上手に作る」だと思います。モヤモヤが少しスッキリしました。
 

マネージメント能力

 技術進歩があまりに早いのでIT技術者に求められる能力を調べたところ流行の言語の他にリーダーやマネージャー、更には「マネージメントが出来る人材が求められている」とありました。会社は、バランスだと思います。違う言い方をすればスループット(会社全体としてこなせる量→ボトルネックで決まる)だと思います。

 会社のバランス・スループットを改善し維持管理し飛躍させるのがマネージメント能力であり「一芸を深く探究した上での一芸を基本としたビジネスを誰と協力しどのような仕組みを作り効率よく価値を生み出すかを考え行動する能力がIT技術者にも求められている」と言うことなのでしょう。全ての役割においても同じですね。

 先日のダメ社員(私のこと)ですが、役割が見えていないのだと思います。1つは、システムを担当しているので横の繋がり方が見えていても、それを分かりやすく誰かに伝えているか?整理されたものはあるか?と問われれば「確かあそこにあるハズ、ほらあった」と探し出すのがやっとで標準化までは程遠いのです。

 もう1つは伝え方です。何か部署をまたぐ問題が起きた時、担当するマネージャーに解決策を理解して頂くには内容が複雑ですし全体を見渡しながら仕事を改善する仕組みが上手く機能していないとすればマネージャーが解決できないことは予測されます。ならば一段上の仕組みで問題を解決するのが正しいでしょう。
  

 組織をまたぐ仕組みが必要となった時には、それを検討するのにふさわしい場を用意し課題を明確にし解決策を捻り出し目標計画に落とし込み実行し成果を出し更には同じように組織をまたぐ仕組みが必要になった時の処理手順を明文化し会社のルールとする仕組みを構築する。それがマネージメント能力なのでしょう。
 

幸せの秘訣?

 嬉しい話1!後輩がx月に結婚します♪嬉しい話2!彼に任せた会合が3年の月日を経て本日で終了します♪区切りは、終わりでもありますが試みの始まりでもあります。それぞれが後輩の成果であり今後の期待に繋がりました。何でこんなに嬉しいのでしょう?

 人の幸せや成功は、素直に嬉しいです。苦労されていれば手助けしたくなります。ですが、頑固者なので筋が通っていないことには、可哀想ではあっても自立を求めてしまいます。そして心を痛めます。できれば誰もが幸せになり成功して欲しいと思っています。

 人の数だけ幸せってあるんでしょうね。成功も同じで人の数だけあってその集約が人類の成長?そして不幸も失敗もその下地であり人類を支えている一部である。何てことは言えるのでしょうか?それって不幸だと感じている方にとっては、嫌になる理論かな?

 昨日の会合で課題として「全体最適化を理解していない」を挙げたところ一部より「そう言われると分かっていても腹が立つ」と反発を受けました。そこで後輩が「課題ですから『全体最適化を理解すべき』に直したら?」と意見をくれました。それって幸せの秘訣?
  

ダメ社員

 小さな会社のハズなのにチョットしたことが随分と大変です。例えばなのですが「修理対応用の部品を用意する手順が分からない」と相談されたりします。

 設計は、技術がします。工程は、製造が作ります。業者に出すなら見積は購買が取ります。最終検査は修理担当部署が行うでしょうし価格は営業で決める。これのどこが分からない?

 最近ダメな会社と言う記事を読みました。変化の無い会社だそうです。何か困ったことが起こった時にどのように対応してよいか分からないと言うのは硬直した会社、変化の無い会社、ダメな会社と言うことになるんでしょうねぇ。

 技術の若い担当者が「修理対応部品の設計は内じゃないんではないですか?」と上司に問うたそうです。「内の仕事だよ」と言ってくれたそうで、安どしましたが聞けば先の方は、技術への根回しをしなかったようです。

 長く続いいる会社ならば、大概のことに役割は決まっています。それを繋ぐことに対する拒否反応や相手の都合を考え無い思考は、いったいどこで生まれているのでしょうか?役割外のことはしたがるのに。

 全体を見渡すって、そんなに面倒でしょうか?まあ、私もでしゃばって采配を振るうなどと言うのは、また軋轢がかかるので避けたいと思っています。 ・・ はー、ダメな会しゃねぇ、じゃ私はダメな社員だ。それも、やだなー。
 

「気付き」から「成長」へのプロセス

 以前は、それが当たり前だったと思うのですが、入社したばかりの新人は怯えています。何がこれから起こるのかと緊張しているのです。その時期が過ぎ恐れが薄れると今度は口を開けて待っています。何かおいしいものをくださいとこちらをジッと見て待っています。ある程度お腹が満たされると、もう十分とばかりに辺りの様子を伺いだします。そして自分の居場所を自分で作ります。それには、3年と掛からないでしょう。

 もし会社が会社として成り立っていないとしたならば、多くの社員は、自分で見つけた居場所レベルで止まってしまいます。出来る仕事は、ほぼみな同じですが一部の年配者が自分だけの仕事を持ち、他との違いを示せるものがそれしかないものですから、自分だけの仕事をことさら大事にします。自分を守る大事な仕事ですから、教えませんしやり方を変えるなどは考えもしません。変えるとしても思い付きの範囲です。

 それで20年前は、上手く回っていたと思います。今は違います。全員ではないのですが、新人は自分の居場所を何時までも自分で作ろうとはしないのです。かと言って何かを積極的に始めるのではなく、継続的に自分自身が成長していると思える環境を会社に求めるのです。特異な自分の才能を更に伸ばすチャンスを求めます。チャンスを給料、労働条件、福祉と共に求めます。これに応える仕組みが必要と成りました。

 今、会社が会社として成立するためには、新しい事柄に対しての気付きが重要になっています。そして気付きには、ストレス無く情報収集する仕組みが必要です。収集された情報は、公開の場で分析されビジョン化されます。ビジョン≒目的であるならば、目的に辿り着くための目標が設定され、計画し実行し継続的な支援の結果として成果が生まれます。成果は≒成長です。成長は次の気付きを生みます。仕組みは、とてもシンプルです。
 

弱い対応力

 正直のところ仕事を進める上に置いて私の対応力評価は、良くありません。思うところは、あります。「仕事量が多い・あいまいな依頼が多い・返事の仕方が下手」の3つです。最初の1つは、ムリを生みます。2つめは、ムダを生み、3つめはムラかな?こじつけ??

 ただ、この環境(とても仕事量が多い)で仕事をしてきたので、重要度と時間軸で仕事を整理することは得意とし相手から激しく怒られない程度に仕事をこなしているとは思っています。まあ、これもこちら目線の話、相手が満足しているとは、限りませんし、そもそも私に期待していない?

 新しいシステム変更に伴い、私の知っているルールで納期を表現したところ、3か所からクレームが付きました。何れも旧システム立ち上げ時には無かったルール「誰々さんが納期を設定し直してくれていた」とか「担当者に納期が分からなくなったので私が集める事に決めた」とか「納期を指示されるのではなく皆で気にしながら進める事に代わっている」と言った人に頼った仕組みを私が知らずにシステムを戻したのが原因です。

 これは厄介です。システムに後数十か所手を加えれば希望に応えられるでしょう。でも、キットまた違う仕組みになりシステムをちょっと修正した時に多くのクレームがでるのは目に見えています。システムが全て正しいとは言いませんがそれなりには論理的です。逆に人間の思いは時に浅はかな場合もあります。

 納期管理の仕組みを変更する前に「仕事が遅い、またあんなこと言ってる、めんどくさいのに、なぜやってくれない?やらないの?」と怒られながらも仕組みの説明と関係するそれぞれの役割事情を学んで貰う時間を作ってもらいました。

  またムリが1つ増えます。ですが上手く伝えることができればムダを回避でき、担当者達のムラが減る可能性があります。相手の立場を理解した上で状況の見える化を行い共通の認識の上で正しい暫定処置を探る。これが私の対応力の限界のようです。
 

成長へのプロセス

 「皆、困っているのに気付かない」と言う方がおります。基準はともかく確かに「ムリ・ムラ・ムダ」な仕事をしている方はいます。初めて、その仕事に付いた時「そのように教わった」り、上手くいかない時に「こうしておけばいいよ」と指示されその日から真面目にコツコツと仕事をしています。それを「気付かない」とは、私は言いにくい。

 考えてみれば生を受けてから人間は「気付き」の連続の中で生きています。最初はキット全てのことが気になったと思います。しかしやがて「気にしない」でも良い事柄があることに「気付き」ます。それは、身の安全に大きく関わらず無視することで余計なストレスから解放される内容が多いでしょう。大人になっても全てを気にしている人はいません。

 では、何に「気付いて欲しい」と思われて「皆気付かない」と言われているのでしょうか?多くはご本人が「たまたま気付いた」内容に対し「気付き」を要求しているように感じられます。であるのであれば「何故気づかない?」と言う行動に移る前に気付いたこと全体の工程や環境、歴史を確認することをお勧めします。もう一段深い「気付き」に出会えます。

 私自身、これを怠ったために何度失態を犯したことか。今も恥ずかしいと思う経験を何度もしてしまいました。であるのであればせめて「気付き」を大切だと思う人には、その後のプロセスを伝えたい。物事の見方・考え方はとてもシンプルです。ただそれが連続した多重構造になると複雑に映る時があります。でも、「気付き」から「成長」へのプロセスは、とてもシンプルなのです。
 

売れました

 「売れない」「もう止めようと」言われていた商品が売れだしました。もちろん売れるだけの魅力があった商品なのですが長い間売れず、それを誰かのせいにするような風潮がありました。販売担当者にはプレッシャーがかかり何とか売ろうと色々なお客にアタックするのですが成果が出ない。そんな商品が売れだしました。

 もちろん、売れだしたのにはわけがあります。お客を味方に付けたのです。どうして売れ出したかの話、していいですか?

 最初に商品が売れない話を聞いた時には、技術との調整をして欲しいと言ったようなことでした。「こんなに良い市場がある、技術が少し設計変更をしてくれれば、直ぐに売れる」と言ったような話だったので「どんな設計変更ですか?」とお聞きしたところ「あれとこれとそれ、ここをこうすればもっと、こっちをこうすればここに、この機能もいる、コスト押さえて ・・ 」でるわでるわ「売れもしない商品に誰がそんなにお金を掛けるの?」とお聞きしましたら「だから売れるようにするんです!」巻き込まれたのは、約3年前のそこからです。

 確かに顧客の情報は沢山ありました。面白い話も沢山。そしてこんなことも言われました。「A営業マンは、やる気が無い、もっとお客を訪問するように指導してくれ、そうすれば売れる」と。

 私のやったことは、その逆でA営業マンに対し「週3日以上仕事をするな」でした。そしてもう1つの指示が「お客を選べ」です。

 お客は、大きく層別して3種類あります。「市場規模の大・中・小」です。そしてお客の担当者にも3種類あります。「やる気・やる能力の大・中・小」です。A営業マンは優秀な方なので「市場規模が大~中の上で担当者または重役にやる気と能力があるお客を書き出してください。」と言ったらすぐに4社+2社選び出してくれました。これくらいの数なら1月に3日でも回れます。また、技術的ノウハウが必要な部分では協力してくれる担当者も1名コンビとして選任しました。

 そこからの、営業活動は楽しそうでした。A営業マンには週2日の余裕があるので「客の話をじっくり聞ける・実験などに時間を掛けられる・難解な部分もフォローが受けられ、しっかりした回答が出来る・客が困った時や客に頼られた時に対応できる」であれば当然、客に好かれます。もちろんA営業マン本来のスキルが高かったからですが。

 その後の報告を聞いていて面白かったのは、「客のスキルが上がる→・商品を理解し使い方を工夫しだす→商品を使って成果を上げた→成果を伝えたくなりPRしてくれた→その話が海外まで伝わっていた」なんと何時の間にか会社全体に波及していたのです。

 最近こんなことがありました。海外事業所に「商品の問い合わせがあり、本社に概要を聞き訪問したら、知らないふりで聞いていた客の方が詳しくてとんとん拍子で受注をもらえた」たそうです。

 この話には、まだまだ続きがあるのですが、時間です。売れなかった商品が売れる。売れるんですねー、不思議に。
 これもフィクションです。(⌒-⌒)ニコニコ
 

心地よいこと

 本を読むのが好きです。そこに必ずと言って良いほど気付きがあるからです。もちろん自分に合った本を選びますので難しすぎる(理解できずに気付けない)本は避けて通っていると思います。

 この気付きですが、自分自身の経験や知識と何かが繋がった時に気付きは生まれます。頭の中が整理されスッキリしたり、こう言ったことと繋がるのだと感激したりします。心地いいと感じます。

 ですので私の表現力は稚拙ではあるのですが相手に気付きがある様な伝え方に心掛けています。具体的には、今起こっている現象と希望とのギャップを埋めるフレームワークの紹介になります。

 気付きがあれば、行動に繋がります。欲をかけば何も変わっていないように見えますが欲さえかかなければ、小さな一歩、半歩かも知れませんが進んだことが分かります。分かるも気付きです。
 

欲しい力

 私の中では1つに繋がった流れの一部分を同僚が今直面している課題で必要とされる対応方法として提供するときには、同僚の役割に置いての経験値と状況に合わせ説明時に使う言葉の置き換えが必要になります。そう、私の経験と知識をそのまま伝えたとしても置き換えて考える経験が乏しい人には同じ内容を説明しても何故か他人ごとになってしまうのです。

 「ToDo、何々を何時までに、マニュアル、この方法で」と示せば実施はしてくれますが、全体の流れの中での判断とはかけ離れた部分最適化(とも言い辛い)行動が示され、その修復に頭を悩ますことになります。流れとは、空間認識力であり時間認識力なのですが言葉で説明するのは難しく結果、同僚自身の役割に沿った言葉に置き換え課題を説明することに成ります。

 昔は「私の例え話は例えに成っていない更に混乱する」とよく言われたものです。今も説明時には”?”が沢山付くようですが会合終了時には「腑に落ちた」と言ってくれます。ですので同僚達が集まる会合では、一般的な引用に戻して再度切り取った流れの部分を説明します。何時か同僚たちが自分の経験を他者の経験に置き換えて説明してくれる日のためにです。

 私の力量はとても小さいです。小さいのですが、この空間と時間軸を認識して物事を整理し情報を集め決断し行動に移す能力に関しては、同僚達と比較し高いようにも思います。奢りかも知れませんが私としては見えている世界が幾分違うのでは?と感じています。これを、どのようにしてお互いに認識し合うのか、伝えるのか?それも私の力量次第です。
 

春の精

 だいぶ乱視が進んできてはいるのですが、この季節に眼で美しい景色を楽しめることがとても幸せに感じられます。でも、もし目が見えなかったとしたら?どうなんでしょう、暖かくなってきたことや春の匂いに幸せを感じるのかも知れませんね。

 幸せと言うのは、その人その人の思いですから人の数だけあるのだと思います。そして幸せと思うのも不幸と思うのも自分次第、本人以外誰にも変えられないことなのかも知れません。それでも、この美しさを誰か他の人に伝えたくなる時があります。

 その人は、私と違って目が見えないかも知れません。見えない人にどうやって伝えましょう?手を使って花に触ってもらうことはできるかも知れませんが、それ以前にその方と親しくなる必要があることは、当然予測されます。相手は、どう思うかと。

 大概の場合は、ここで終わりです。私も何度も終わりました。それなのにまた春。この幸せを誰かに伝えたくなります。同じように幸せに感じないかしら?と思ったりします。何か試してみる方法は無いかと考えたりします。それもこれも春の せ い 。
 

やってよい範囲

 元部下だった人だけでなく同僚や先輩達は自律していますが時に頼ってくれます。それぞれに悩み考え任されたと意識している役割を上手くこなそうと日々努力していますが困りごとは尽きません。私も同じで、現時点で私自身が認識している役割を何とか熟そうと努力し苦労します。

 ただ元部下や同僚・先輩方と私では、役割の方向性が違います。技術・製造・営業と言う縦組織体系に対し今私が担当している情報管理を目的とした組織は総務や品質管理と同じで横断的に縦組織と関係します。ですので各部署から頼まれる仕事によって全体が見える立場にいます。

 ここで言う私は私自身ではなく私の担当する情報管理を目的とした組織を指します。この組織は、活動範囲が広く複雑なだけに満足してもらえるレベルで機能するためには、高度な組織力と個々の高い能力が求められます。そしてそれは各部署から頼まれる仕事によって達成されます。

 元部下・同僚・先輩達が頑張っていることは間違いありません。ただ、思いやそれぞれの環境を理解し、こちらから何かしらのアクションを取ることは、失礼であるし、やってはいけないことです。そうシステム屋にできることは、依頼された仕事に+αを加えて届ける。それだけなのです。
 

無理してでも伝えたい

 もう直ぐ4月、組織替えや新入社員が加わるのに合わせシステムの変更追加が発生しますが通常業務が減るわけでは無いので多少慌ただしくなります。もちろん、仕事の整理も進めてはいますが、追い付いていなかったり部下に依頼するには力量的に難しい部分もあり、ある程度無理して準備を進める事になるのが例年です。

 無理はするのですが、部下が出来てからは、その中でも伝えるを意識しています。資料の残し方、今は無理な部分と噛み砕いて任せる部分の区分けに任せ方、進捗の管理方法なども工夫し出しています。そして何よりは教えるが楽しい。その時々に合った課題を上手く伝える事が出来ると学んでくれ「楽しい」と言ってくれます。

 最近よく考えるのは、小さな会社ながらシステム(情報)管理と言う新しい道に初めて入り右も左も分からないままに新しい道具をどの様に仕事の役に立てられるかを追い求めてきましたが、その間周囲とのコミュニケーションが出来なかった。それは、新しいシステムを作っている最中だからしかたが無い。でも、これからは違う。

 時間と資金を十分に与えられ形作った情報管理システムをより効率的に使って頂き、更に磨きを掛けるため要望をお聞きし全体最適化でシステムの再構築を組織的に行う技術技能をマニュアルとカルチャーでこの会社に残していくためのコミュニケーションに時間を割く、そのために時間を掛けるのなら無駄では無いと思うのです。
 

腹を立てない方法

 私ごとですが、正しいことを言われ腹が立つ時があります。いちいちごもっとであり何も言い返せなかったりしたりするわけです。ならば、自分自身も何となくは、気付いていたのでしょう、それなのに腹が立つと言うのは、どう言うメカニズムなのでしょうか?

 まず「ハッ!」とします。次に「頭に血が上る」となります。「恥ずかしい」と思い。何かしらを「言い返す」をします。ポイントは、「ハッ!」から「血が上る」への間に「何かしらが起こっている」だと考えられます。多分、随分と頭は回転しているのでしょうが正しい方向には向かっていないのだと思われます。

 では、どちらに向かおうとしているのか?「ごまかしてこの場を逃れる」方向ではないでしょうか?「とっさに逃げる」は、人間の本能です。ですが、例えばライオンがもの音にビクッとしたとしても、とっさに振り返った方向に弱い小動物が見えたとすれば ・・ 「にんまり」?

 そう考えると、随分と早く回転している頭を更に早く回転させ正しい打開策を思い付けたとすれば ・・ 「にんまり」 ・・ 更に早く回転させれば、頭の中の「考えを顔に出さず」対応できたとすれば、大人の対応と言うやつになるのでは?

 ただ、突然言われる内容は、普段の自分の行いから出ていると考えるとすれば?「普段から正しい会話、コミュニケーションの機会を作る。」それが最も重要なことだと思われます。そっかー、そうだよなー。そうすれば腹を立てずに済むし、お腹も減らない。今日から、そうしよう。
 

話を聞く

 目標の設定(相手に何かを依頼)をする前に、相手の話を聞くことは重要です。この聞き方ですが「何々に付いて話してください」と言っても話し出してくれるものではありません。では、どうするのか?言葉に出さない言葉、日頃のその方の態度や行動から聞くことが出来ます。

 何かの問題を抱えている時(本人も分かっていない場合もあります)には、言葉より態度や行動に現れるのが普通ですが、これを見逃すのも(私の様に自分の事ばかり考えている人は特に)普通のことです。でも、相手の思いを聞くことなく設定した目標が達成されることはありません。

 何に苦しんでいるのか、それを改善する糸口はあるのか、その糸口を仕事で必要とされている課題解決にどのように関連付けるのか、結果、どの様な態度でどのように話し出すべきなのか。一生懸命に聞くことが出来れば、それが何とか見えてきます。話を聞く準備ができます。
 

何のスキル?

 昨日は、小さいですが2つ別々の勉強会をスタートしました。

 1つは、企業の学習プログラムの構築になります。学習プログラムのビジョン設定から始まり目的の確認が終わりましたら活動範囲を確認します。ここでは、2つの視点が必要です。1つは、新入社員から経営層まで、それぞれ立場に置いての力量視点。2つ目は、技術・営業・製造・間接それぞれの役割に置いての力量視点。この2つが必須であると言う認識の共有から始めます。

 もう1つは、工程管理学習プログラムになります。学習プログラムの工程「言葉の学習→工程の分類方法学習→管理基準の作成方法学習→工程設計と標準化手順の学習→工程評価方法の学習」と続き実際に製造工程を改善します。ここでも、購買・資材と社内外製造との連携点と役割の違いを見極める視点が必須となります。

 どんな勉強会でも教わりに来てくれるのは1名ないし2名程度、教わってくれた方が実際に現場で試してくれるスタイルを取っています。ただし、私の出来るのは物事の整理だけです。現場に精通している訳ではなく、ましてや現場の都合を知っている訳ではありません。それでも、聞く耳があって論理的に考えることが出来、伝え方を知っていれば結果は出せます。

 これも1つのスキルなのだと思います。ですので、上手くこの会社に残したいと思います。
 

数値で判断する

 時間は掛かりましたが同僚達と「○○のために、このプロセスを△△に変えます。」と言う会話は成り立つようになりました。でも「○○のために、この数値を△△に変えます。」と言った途端に”?”が山のように積み重なっていく様が伺えます。

 確かに数値の扱いは難しいとは思います。「売り上げ実績など大きすぎる数値から整理と分析を行い意味ある定量値を導き出し如何にしてその値を変化させるか」と言った論理の後に生まれるのが「この数値を△△に変えます。」なのですから。

 数値を変えるために「このプロセスを△△に変えます。」とは成るのですが相関関係から因果関係を明らかにしその原因となるプロセスを改善することにより良い結果が得られるようになることを数値で表せば、説得力もあり、何より改善の早道です。

 過去に私の分析結果を同僚達に紹介したことは何度かありました。が強い興味を示してくれた覚えがありません。多分伝え方が悪いのだと思い「○○のために、このプロセスを△△に変えます。」までは、改善できました。次はもっと大変そうです。
 

立ち止まる

 私の勤めているのは会社なわけですから小さなルール1つ取ってみても何人もの人に関わりがあります。したがって誰かの良かれと思って行ったチョットしたルール変更が大きな影響を与えたりもします。トラブルになって呼ばれたりもします。

 それなのに小さなルールが明文化されておらず、長年の経験に頼っているとしたら、何を持って正しいと言うのでしょうか?実のところ古くは、ルールがあったのです。それをキチット伝えなかった私が悪いのですが当時は、そこまで頭が回りませんでした。

 小さな会社設立時には、社長が会社隅々まで何でも知っていたりします。そして社長がルールですので分かりやすいですしルールの数もさほど多くはありません。それが会社の発展とともに役割分担が発生し細かなルールが必要となり記録が必要となります。

 記録までは、私もしました。ただ、それを継続して管理改善することは伝えることが出来ませんでした。変更前に確認を行ってもらえない理由は面倒だからです。何が面倒なのかの1番は、考えることが面倒になります。考えるが習慣になっていない・・私もそう。

 何かあったら考える。少なくとも5回は何のためにを考える。そんな風土を手探りで作ろうとしています。何とかなるでしょう。課題は見えています。後は、焦らず着実に伝え実際に行動してもらい身に付けたのちに整理する習慣。でも難しそう。
 

生き方を教わる

 私は、自分のために仕事をしているのだが、多分自分のためだけなら頑張らないと思う。頑張れるのは、誰かの役に立つからであり、それがモチベーションになっている。

 ただ、この誰かの役に立つというのも、いささか厄介ではある。相手がそれを良しとしない時もあるし、都合で受け入れたり拒否されたりする。個と言うものはなかなか難しい。

 結局のところ自分自身の心の持ち様なのである。相手が否定しても都合で距離を変えたとしても相手のこと、何よりもは自分自身が役に立っていると思えることが大切です。

 ごく稀に道端のゴミを拾い集めている方を見かける。服装も整っているし中には町内会などと書かれた腕章をしている方もいる。その側で気付かずにゴミを捨てた人がいた。

 ゴミを拾い集めていた方は、慌てることなく少し遠回りしゴミに近づき手にしていた袋にゴミを入れ立ち去った。見事なものである。年配の方に生き方を教わった一瞬だった。
 

威圧的を直したい

 同僚に「怖いよー」と言われました。ちょっとしたお願いの根回しに行ったのですが私の言うことは怖いそうです。「仕事先から g-mon さんは、怖いから」と言われたことがあります。怒鳴ったりしないのに?怖がるくせに皆さん私の話を真剣に聞いてくれます。いったい何が怖い?

 今回一緒にシステムを立ち上げてくれた購入先エンジニアの方が私の良い所として「すれ違う人皆に笑顔で話しかけている」を上げてくれました。気に止めていませんでしたが言われてみれば、そんなところもあります。バカな話で一緒に笑ってくれます。そんな時は怖くない?

 とすると、仕事の時は怖い?真面目に仕事はしていますのでついつい真剣になってしまいます。それが怖いと思われているのでしょうか?だとしたら怖いは壁を作ってしまいます。それに怖がれたくはないので何か怖くなく真剣になる方法はないでしょうか?真剣に悩みます。

 先日も後輩からの依頼メールに対し「何のために」を教えてくださいと返し「作業効率改善のため」ともどされので少し時間を取って貰いました。「これではダメなのですか?」と言う彼に何のためにを5回問いました。分かってくれた様ですが威圧的に映ったのでは、と心配です。
 

数十年前の資料

 この会社に長く務めさせていただき歳とともに新しい仲間達と時代に合わせ仕事の手順を幾つも変えてきました。ただ手順は、変わるのですが変わらない基本ルールが幾つかあります。逆にルールが無くなってしまったために混乱が発生しているのも知っています。
 
 ルール・手順を変える時、過去のルール・手順が進化の上での制約事項(固定観念から深く物事を洞察できなくなり変化に対応できなくなる)になってはいけないと思います。ですが、変える前に何故そのルール・手順が作成されたのかのカルチャーを知ることは、もっと重要です。
 
 基本ルールは、例えば「棚位置の表し方」など単純なものが多いです。会社が大きくなり棚が増え組織変更などが繰り返されると棚位置を管理しようとする意見が無視され各担当都合のルール・手順が作成され結果、ムリムダムラが発生するのを多く見てきました。
 
 こうして見ていると新しくルールを考えるのは、誰にでも出来ることでは無いようです。また、ルールが出来たとしても手順と訓練を通して組織的に正しさを検証するのは、更に難しいようです。手元に数十年前に作ったルールブックがあります。そのままでは使えませんが、これを次の世代に渡す時が来たようです。