只今おとなしい

 後輩に風邪などひかん!と見栄を張ったせいか激しい腹痛、何かに当たったようです。こりゃ明日は無理か?と思いましたが辛い一夜を明かせば、そこはそれ何とかなるものです。取りあえず復活。

 今日もお仕事は、ビッシリ。内容もいろいろありどれも重要ですので緊張して取り組みます。何よりもは、何かの役に立っているような気がするから嬉しいのです。でも、体調悪いから今日はそろりそろり。

 皆様も御自愛くださいね。
 

ビジネスを作る

 週末に技術部ソフトウエァ開発プロジェクトとの会合があります。私の勤める会社は一時ではあるでしょうが昔よりは格段に資金繰りが良くなり今だったら昔諦めた半導体を使ったセンサー開発に手を出せるのでは?と思える勢いです。もちろん今更センサー開発に手を出したところで後塵を浴びるだけだと思いますが、情報技術の世界は違います。

 随分と荒っぽい話ですが情報技術の価値も大きく分けて2つ、ビックデータなどを使用し広い世界に価値を提供し量から利益を得る方法と狭い世界ながら大切な価値を提供し個から利益を得る方法に分かれます。幾らか資金繰りが良くなったと言っても前者の方法を取る資金力は私の勤める会社にはありません、国家レベルの資金力が必要です。

 後者では?使う情報技術のAIやIOTなどに付いては、やはり手が出せません。しかし、インターネット技術が誰でも利用できるように、AIやIOTの情報技術を提供してくれる会社はあります。したがってAIやIOTの情報技術と自社が保有する技術を繋げるアイデアを生み何時もの情報収集から始まる仕組みづくり、ビジネスづりに資金を投入すべきです。

 このアイデアに技術部ソフトウエァ開発プロジェクトの仲間達は乗ってくれるでしょうか?大丈夫だと思います。乗ってくれたとして計画の形まで推し進められる環境を作れるでしょうか?何とかなるでしょう。予算が取れたとして自律的に事を進めてくれるでしょうか?そこが今は一番危うい気がします。何が足りないのでしょう?更に深く考えるべき課題です。
 

苦手な人へ

 ものを考えるのが苦手の人がいるとしたら。自身が理解できない事に直面すると問うては来るが返答に対し深く考えられず調べもせずに結果、こちらに不満をぶつけてくる人がいるとしたら。簡単に責任の所在を相手に押し付け自身の楽なところに安住してしまい周りにそれが正しいと威張り散らす人がいたとしたら。何とかして、その方の学び考え喜ぶための扉を見つけ出す必要があります。

 大概の人は不満を持っています。それは、自身が持っている理解できないことに対しての不安から生まれている場合が多いと思います。そもそも理解できていないのですから何をどう切り崩して良いのかも分かりません。また、直面した問題に対し何かしらの方法で調べてみる(webや本屋)誰かに聞いてみるも、しないので問題から目をそらすしか対応する方法を見いだせないのです。

 まず問題の真意を探りましょう。例えば「ちゃんと動かないシステムに問題がある。」と言われたとします。具体的に困っている方の話を直接聞ける機会を作ってもらいます。その上で達成したい課題と達成するために障害になっていることを整理します。障害を改善する方法と取りあえずの対策をまとめます。こちらが手伝えることに関して、手伝うでは無くこちらの責任に置いて改善すると説明します。

 後は、行動すれば、ものを考えるのが苦手な人も一時は安心します。さて、それからどうしましょう?一緒に振り返る時間を作るのです。穏やかな気持ちで振り返れば、少しだけ深く考えることが楽になります。その時にはそれ以上を望みません。次の不満は直ぐに現れますから、次の時を待ちます。何度もやって見せれば何度目かに役割分担に気付いてくれ少しだけ深く考えられるようになります。それが扉です。
 

情報の信頼性

 同僚から「彼は現在の仕組みに問題を感じているので注意して欲しい。」とのアドバイスを貰った上で同僚の部下と仕組みの打ち合わせをしました。彼は、最近機械装置のチームを任され3Dキャド(立体的な図面を作成する道具)の運用も任されています。そして私が現在の仕組みに新しく組み込みたいのが3Dキャドで作成される製品設計情報です。

 よくWinWin(双方に利益のある)関係などと言いますが新しい仕組みが機械装置チームに取ってメリットが無くては、協力は得られません。機械装置チームから見て”協力への負荷は少なく第一段階で生産性の改善が得られ第二第三段階では更なる生産性改善と今後機械装置チームを導くのに必要な情報提供(生産性・利益率など)が得られる。”ことを説明しました。

 頭のよい方なので、その日の内に最初に必要な情報を提供してくれました。これで、前もって依頼しておいた3Dキャドメーカーとの情報提供交渉に入れます。交渉が上手く行けば(自信はあります、後は私がやるかやらないかだけです。)”3年もあれば彼の理想に近づけ詰めた打ち合わせが出来、2年で一応の満足を提供出来、そして年内に最初の約束(手配や見積など仕事の面倒が大きく低減される)を達成する。”計画を作成できるでしょう。

 私の担当する部署の仕事は情報を整理し別の情報と繋ぐことです。情報を発信するのは人で価値を生み出すのも人です。生み出された価値を評価し購入するのも人です。現在出来ているとはとても言い難いのですが正しい情報をストレス無く必要な場所にわかりやすい形で届けるためにパソコンの運用からWebのセキュリティ監視まで何でもやります。周囲には理解されづらい仕事のようですが見えない場所で必死に信頼を得れるよう頑張っている。それが私の担当する部署、システム屋の仕事です。
 

否定と対話

 正しいと思う事を正しいと言うように正しくないと思うことを正しくないと言います。正しいことも達成しようと思えば正しい手順があると思うように手順を間違えると達成できないこともあるので手順が違うと言います。相手の状況によっては、どちらも強く否定されたと受け止められる場合があります。

 私自身もその一人なのですが日本人は議論を戦わせるのに慣れていないのだと思います。その為に理解せず行動することに慣れてしまい自分で考えるを疎かにしてしまったり、議論の位置が噛み合わずにお互いに不満足のまま議論が終わり結果として共通の目的を持っていながら無駄な時間を過ごすことになります。

 では、どうするべきなのか?相手の意見を聞き自分の意見との違いを対話を通して確認し何が問題なのかを共有し課題に対する現時点での正しい答えを導き出すと言う行為を意図的に作り出し繰り返し経験する必要があるのだと思います。このテーマに協力してくれる仲間達に意図を伝え行動を起こすのです。

 出来ると思います。それで私自身も幾つか引っかかっている問題を解決できると思いますし信頼も今以上に深まるのではないでしょうか?人は、対話と行動結果を通してのみ信頼を構築することができるのだと思います。過去と他人は代えられませんが未来と自分を変えるか変えないか、自分自身の問題です。
 

伝えべた

 伝わらない。伝える環境が無ければ信頼を得るチャンスも無い事になります。伝える環境が有っても伝え方によっては信頼を得ることが出来ません。伝え方が分かっていても十分な時間を得られなくては伝わらない内容もあります。また集合研修などの場合には個々の差があるために伝える基準がぼやけ伝わりにくくなります。

 では、どうすればいいのか?あなたが伝えるべきことを持っているのであれば、伝えるべきことが伝わるまで諦めないことです。現状把握から課題を見付け不足を学び考え工夫を試し何度でも立ち上がり、やり抜く。なーんだ、気付けば簡単なことではないですか。

 昨日の会合は、上手く行ったことの方が多かったのですが知識の整理の部分でメンバーからの不満も噴出しました。まいったなー、と思いつつも今年からは、メンバーに去年以上に考え意見を出してもらう時間を増やしたので当然の結果です。そう、メンバーの反応に私自身が上手くついてはいけませんでしたが作戦的には上手く行ったのだと思います。

 さあ、積極的に意見を述べ合い議論をして欲しいと決めたのですから少々の反撃で負けている訳には行きません。私はしょっちゅうへこみますが都度マインドをセットし直し現状把握からもう一度始める気力があります。大丈夫でしょう。何時かしっかりした信頼が得られるまで、頑張らなくては。
 

信頼を得るツール

 ビジネススコアーカード・ポートフォリオ・ビジネスモデルなど仕事を改善する上で便利なツール(考えを整理する道具)があります。これらのツールは、ある段階の現状を要るものと要らないものに分けてポイント毎に考えを集中させることを目的にしています。ですので、全体のどこの位置にいるのか、何を目的にしているのかは予め整理してからどのツールを使うべきなのか判断する必要があります。

 要は層別です。状況を分析し不足している情報を収集したら全体をイメージし情報を整理します。まず上位の目的目標から徐々に自分自身と自分の周囲の状況に落とし見えてきた(理解できた)時点で自分の位置の目的と目標を立て下位の目的と目標に落とす工程の中で先ほどのビジネススコアーカード・ポートフォリオ・ビジネスモデルを繰り返し使用します。合わせて使い方を後輩に教えるのも良いでしょう。

 今日は、そんな道具達を3年間学び続けた仲間達との会合です。まだまだと言う声もありますが一緒に学んできたことで得られた信頼もあるでしょう。道具を使って得た部下や上司との信頼もこれからますます深めることが出来るでしょう。情報を整理し・意思決定を行い・伝え・行動し・やり遂げ・標準化し・任せ・次の計画を立てるために学び続ける。信頼を得るための行動に大分体も慣れてきたようにも思います。
 

意思の疎通

 意思の疎通は大変難しいもので先日話した依頼した業務が終わっていない件ですが仕事を進めるうえで疑問点が依頼先に発生し仕事はそこでストップしてしまったようでした。「疑問点について聞き忘れました。」との報告も今の依頼先担当者の知識と経験では、しかたが無い範囲です。そう、ここから先の仕事の教え方で上司に当たる私の信頼が問われることになります。

 特に初期の段階の方に仕事を任せた場合、判断を誤ることが当たり前と思うべきです。出来ればその方の資質にも目を向け得手不得手を把握した上で仕事が上手く進むようにフォローをする。結果として助かるのは上司であり、特に先に大きな仕事を控えているのであれば、仕事を任せられるまで色々な工夫をして共に仕事を片付ける姿勢が重要なのだと思います。

 上長になっては、どうでしょうか?頼る、仕事を任せるの意味を履き違え仕事を上手く進められない方を時に見かけます。その要因に”すべてを目的からスタートしていない”と言うのが上げられます。そのため道具が目的になってしい全体最適化の考えで仕事を見られなくなり、自分だけでの判断を下す、仕事を投げっぱなしにしフォローをしない行動が発生します。

 また、自分が今どの位置で物事を判断すべきかを見誤っている方も時に見かけます。実は、私自身も時に混乱するのですが新人・中堅・ベテランの各位置によって得て居るべき力量があり、そこに到達できるように一緒に仕事を学びつつ各位置でその方の資質に見合った適正な目的と目標を任せる必要があります。これを真摯に繰り返す。大切です。
 

雪かきのためお休み

 私の行動範囲、町田・八王子は大雪。昨日は、同僚を送り今朝も裏道で通勤。スタットレスは素晴らしいと改めて感じています。

 ただ毎年の事ではありますが、ノーマルタイヤで雪道を走りスタックする車の多いこと。例えスタットレスでも道を塞がれては走れません。
 
 ただ、ノーマルタイヤで雪道を走ってはいけないと言うルールは無かったような ・・ 調べたら違反でした。点数は0ですが罰金はあるようです。(汗
 

小さなミス

 依頼していた仕事の落としに気付きました。優先で指示したものですが、別に頼んだ仕事でトラブルが発生し見落としたのだと思いす。私自身も”抱えた仕事に集中しなければ!”と勝手に焦り確認する余裕を潰してしまいました。速やかに気付けば小さなミスで済みましたが時間がたちすぎています。つまり私の大きなミスです。

 仕事をする上で協力者が沢山おり、ありがたいと思っています。が、中には、弱みを見つけようと待ち構えている人も居ないわけでありません。多分今回のミスは、そのような方にとって「そらみたことか、だからダメなんだ。」と、1つの事で万事が悪いように利用出来ると思われます。痛手です。

 でも、落ち込んでいても仕方がありません。ここは開き直り、なすべきことを最優先で行い、あやまる。傷は残るでしょうが後輩達に恥ずかしい姿勢は残せません。私自身のたった10分の確認で済んだことです、忙しかったは言い訳でしかありません。後はただただ真摯に仕事(共有・指示・フォロー)をするだけ。

 強みより弱みに目を向けるのが大好きなのでは?と思われる方も居ないわけではありません。ただ、それも見えていない気付いていないだけで、その方の資質が悪いと言うことは無いでしょう。逆に私自身も良かれと信じ行動していることでも更に広い目で見れば、もっと良いやり方があるかもしれません。手抜きは、信頼を失います。orz
 

成熟

 私の職場は、男性が8割・女性が2割程度だと思います。ただ管理職と言うと男性10割になってしまいます。また運営させて頂いている部課長クラスの会合も男性だけです。そこで3年前に始めた係長主任クラスの勉強会には、3名の女性に参加をお願いしたのですが内1名は出産に伴い退社していきました。

 私は、専業主婦を否定していません。逆に支えて貰っている身からすれば大変な役割だと思いますし大変感謝しています。ですので稼いだものに関しても一緒に得たものだと認識しています。それでも、社会にでて働く女性に接すると、こういう生き方も素晴らしいとも思うのです。人それぞれが大前提ですが女性も社会に進出しやりがいを感じる仕事から自分の生き方を見付ける事はありですよね。

 ただ日本の社会は(少なくとも私の働く会社は)そこまで熟していないと思います。よく企業は人だと言う言葉を聞きますが真剣に考え実施し絶えず改善し結果を共有している会社は数える程度です。企業も男性も女性も人の価値に付いての認識が不十分なのだと思います。企業は人で成り立っています。であるならば人の出来栄えが企業の成果(価値)を決めます。人は自分にあった目標を達成することに喜びを感じます。男女は関係ありません。企業としての夢を共有できるかどうかが全てです。

 今は、係長主任クラスに参加し間もなく卒業する2名の女性の方が更に3年後、部課長クラスの会合に参加して頂けるよう仲間達とお二人に合った目標と目的(夢)を一緒に考え試し幾つかの成功を収められたら、その支援を出来たらと思っています。人を大切にしなくては、と思います。年齢・経験・性別・得意不得意・性格に関わらず全ての人を大切にしなくては。出来る出来ないでは無いのです。それが、これからの社会にとって最も大切な事だと信じていますから、やるのです。
 

一緒に達成感

 今朝は、仕事を助けてくれる仲間を6時半に向かいに行き、会社近くに住む後輩を7時15分に乗せ、7時25分に駅に着く新人君を拾って、”まぜのけ朝食・並”を4人で食べに行き8時に完食しました。何時も美味しいのですが味わいは今朝が一番深かったです。

 お昼の時間は、ごたついたので少し遅れてしまいましたが新システム導入支援者も後から加わり上手い蕎麦にありつき、定時ギリギリになりましたがお陰様で予定していた5台のサーバー移行が何とか形になりました。問題は幾つか抱えていますが一安心です。

 総勢5人の休日出勤です。それぞれが持ち場をシッカリ担当し緊張の中にも頑張って熟しました。短かったですが休憩時間には、お互いの経験話で盛り上がり次の仕事に向かう英気を貰いました。完ぺきでは、ありませんがいい仕事ができたと自負しています。

 ”同じ釜の飯を食った仲間”と言う表現があります。役割の大小に関係なく何かを成し遂げた仲間たちだけが使ってよい言葉だと私は思います。今日の仕事は、それに値し、仲間たちと自分自身が少し誇らしかった1日がもうすぐ終わります。いい夢が見れそうです。
 

正直に話せる

 ちょっと感銘を受けました。「何よりも自分を大切に」と語りかけたら「ちょっと違う」と教わりました。その方は仕事仲間でもありますが母親です。ご自身より子供の方が大切なのだと私は感じました。私もキット子供の命と引き換えに自分の命を差し出すと思いますが、それが出来るのは1度だけ。何か手は無いかと考えるのが父親?いえ、どう足掻いても母親にはかないませんね。

 親子の信頼と仕事仲間の信頼は、違います。親子の信頼は比較することが出来ませんが仕事の信頼は比較することが出来ます。(世の中には比較してはいけないものが幾つかあると思っています。)仕事の信頼を比較するのも家族を守る、自分自身が生きるため身を守るためですので時にしかたが無いようにも思います。ですが、上下横の仲間とは安心して仕事をしたいと思いますよね?

 私は、とても弱い人間です。間違いもとても多いし知識も乏しいです。ですが自分を”良いな”と思えるところもあります。それは、自分の弱さや駄目な所を自分自身が知っていることと、それを仲間達に正直に話すところだと思っています。ですので付き合いの長い仲間は、私に色々な意見を言ってくれ、私の反論にも付き合ってくれ、私が間違いに気付けば賞賛してくれます。ありがたい。

 例え自分より目下の方でも私より正しい時があります。上の方でも間違えはあるでしょう。そもそも良いも悪いも気付かない時もあるでしょう。お互いの行動や言動を客観的に話せるような関係が出来たとしたならば、それを企業に置いての家族文化と言って良いように思います。憧れですが、少しできています。もっと近づきたいので今は、母親の感情で見た仕事仲間について教わりたいと思っています。
 

日課

 朝、サーバーなどのチェックから始まり仕事の整理をしブログを更新し約30分ほど本を読んだ辺りで始業のチャイムが鳴ります。昼は、食事後約30分の早歩き散歩をします。でも、昨日は現場に落としたシステムの細かい修正が数多くあり、それらの時間の多くを回復作業に当てました。改善要望も多いので1月いっぱいは、こんな感じでしょう。

 改善の要望は、多くの方たちの小さな夢ですから期待に応えるのも信頼を守るために必要だと思います。でも、もし私が朝本を読んでいなかったとしたら、昼に散歩をしていなかったとしたら私は私自身の学びと健康を疎かにしていることに成り、結果として信頼を得れなくなります。学び続けること健康に留意することは同じぐらい大切なことです。

 私の好きな言葉に一瞬懸命と言う造語があります。ずっとは頑張れないから、せめてその一瞬だけは懸命になろうと言う意味です。全ては出来ないので人を信頼し任せることも必要です。任せたと言っても投げっぱなしは特に同僚が嫌うので私も気を付けて成功してもらえるようフォローを行います。毎日毎日いろいろなことが起こります。

 でも、笑顔と一瞬懸命と信頼し任せる。そして少しでも学びを続け健康に留意する。それを日課と出来るよう自分自身の頭脳と体を訓練する。過去も他人も変えることはできませんが自分自身は変えることが出来ます。それを同僚や後輩たちにも伝えています。ただ、伝え方は下手なようで色々な方に構われます。それもまた幸せだったりします。
 

信じられるもの

 見える化と言う単語があります。「問題の見える化・状況の見える化・顧客の見える化・知恵の見える化・経営の見える化」のカテゴリーに分類できるそうです(見える化・遠藤功・東洋経済)。
 人には視野範囲があり視野の外は見えません。例え目の前にあったとしても見ようとしなければ見えなかったりもします。ものごとが見えて居ないとしたら?信頼のしようが無いですよね。

 今日、信頼に付いて興味を持ってくれた仲間にビジョンと中期計画の話をしました。一緒に部下達が作成してくれたビジネスモデルの評価もしました。周囲の環境変化に付いても話し合いました。
 その上で上司の役割について、その方自身の目的と仕事上での目的に付いてご自身で考えて貰えるようお願いしました。考えがまとまったら部下や同僚に話してみて欲しいとお願いしました。
 それでやっと興味を持ってくれた仲間が身近な人にとって、どんな人なのか少し見えるようになるでしょう。

 入社したての時点では、仕事をまだ理解していませんから自身の目的は持っていても仕事の目的と合わせることは出来ません。それでいいのです。でも、長く仕事を続けるのだとするのならば、ある仕事を任せられたとするのであれば、そこに部下が居るのだとすれば、自身の目的と一部合わさる仕事の目的が無いと不幸だと思います。
 仕事(与えられた役割)と自分のやりがいが合わさったところの目的を持つためには、。「問題の見える化・状況の見える化・顧客の見える化・知恵の見える化・経営の見える化」が必要です。見えれば判断が出来、よりよくしたいと言う力が生まれ行動の結果、仕事への信頼が初めて生まれます。
 

笑顔の力

 生意気にも上から目線で、ここまで信頼に付いて書いてしまいましたが会社の中に置いても普段人は信頼に付いてそれほど深くは考えないのだとも思っています。何故なら強い信頼が無くても通常日々の暮らしは成り立つからです。強い信頼が必要になるのは、何かを成し遂げようとする時であり、その相手は周囲の人とともに自分自身でもあります。

 何かを正しいと思い意見を述べようとした時、何かを変えたくて何かを始めようとした時、最初に気にするのは周囲の目ではないでしょうか?そして周囲の目と比較するのが自分自身の心の強さ。結果、心が勝てば、意見を述べ行動を起こすでしょうが心が負けてしまい言いたいことを言わず行動も起こさない。自信が無い、自分自身を信頼していない証しです。

 自分が発言しようとした時に笑顔を向けてくれる人がいたとしたら?立ち止まってしまった時に声を掛けてくれる人がいたとしたら?少しだけ心が強くなりますよね。そんな人が職場に沢山いたとしたら素敵だと思いませんか?でも「過去と他人は変えられません。」逆に言うと「自分と未来には可能性があります。」ですよね?

 既に実践している方も多いと思うのですが、常に笑顔でいるように心がける。出来れば誰かが話し出そうとしたら笑顔を相手に送る。重い雰囲気の人にも気軽に声を掛けてみる。「どうかされました?」って感じかな。そうしたら相手は信頼を感じ話し出すかもしれません、行動を起こすかも知れません。皆のためにです。

 実際の私は、特にグイグイ引っ張って行っている時は、なかなか笑顔も出ないんです。都度反省しています。どうしたら優しい人になれるんでしょうかねぇ。(ため息)
  

信頼を託す

 嬉しいことに来週は、新しい段階に移った仲間達の目標設定調整をリーダー達と行えます。頑張ってもらうのは全社的な品質改善、この大きな目的と目標は一緒に作りました。活躍の場も各部署(技術・営業・製造・品証・総務)上司達の協力により用意することが出来ています。でも、やるべき意義の共有とやれる環境の用意ができていても、それだけでは足りないのです。

 大きな目的や目標は、おいそれとは達成できません。一生涯掛けても達成できない場合もある真の目的や目標を正しく認識したうえで中期(3年程度)計画を作成し「3年後だったら、どこまで頑張れるだろうか。各年の目標は、どこに置くべきだろうか。」などを決める作業が必要なのです。その上で周囲の「彼らに必ず成功してもらいたい。」と言う思いと行動が長期間必要となるのです。

 話が少し飛びますが、ありがたいことに私に「働き過ぎだ。」と口をとがらせ訴えた方がいます。上から言われているのかも知れませんが好意的に受け止めました。でも、その方は私と仕事を変われません。出来ることが違うからです。私の仕事の一部は、メキメキと実力を付けて来てくれている部下たちが担当するでしょう。他の部分も同僚たちや他部署の後輩達に託しています。 

 例えば、後輩に託す夢の1つが新しいステップに移った品質を担当する仲間達への目標設定なのです。そして口の尖らせた方も夢を託した後輩達も学ぶべきことは多いのですが、出来れば私と同じ失敗をして欲しくないと思うのです。私の犯した大きな失敗は、信頼を無くすこと。それを避けるために自身のスキルを身に付ける学びと同じ量の信頼を得るための学びをして欲しい。学んだことは自分に残りますが信頼は一緒にいてくれるとは限りません。
 

偉い人の信頼

 仕事の中の信頼に付いて整理してみたいと思います。
・ルール(一般常識・法律・就業規定)による信頼
・役割(上下左右)の違いのなかでの信頼
・バリューチェーン(協力会社:外注・販売店など)との信頼
・目的・目標の展開による信頼の繋がり
・経験知の違いによる信頼の変化
・行動と結果に対する信頼残高
 信頼は、大きくベースとなる信頼基準と工夫によって強度を増す信頼の2つに分けることができます。羅列した項目は、その時点での基準になりますが、仕事が生み出す価値を信頼の強化によって変化させたい場合には、おのずと手を付ける順番があります。

 まずは標準化。基準とするのに重要と考えるルールを幾つか作成します。次にそれを周知します。伝えるだけでは周知はできませんね、周知には学習(何のために何を教えるのか・どのような相手にどのように教えるのか)と言う準備が必要です。周知が出来たら訓練です。訓練は、手順を見なくても出来る、体が覚えるまでの繰り返しが必要です。

 標準は、時間や人など環境の変化で見直しが必要です。見直しにはルールが守られているのかと言う確認とそのルールは全体最適化の視点で正しいのかの2つの視点で行う必要があります。見直したら結果に対し何をどう行うべきかを検討します。そこまで出来れば標準化の基礎が出来たと言えるでしょう。

 標準化は、とても大変な作業です。でも、それを仲間達に役割に合った協力を依頼し一緒に達成することで最初の信頼強化が達成できます。もちろん上の人は偉く大変ですが、だからこそ偉い人なのです。チャンと説明しチャンと行動すれば下も分かるのです。でも、大変ですよね。
 

マネジャーとリーダー

 以前も書きましたがドラッカ-さんの著書「マネジメント」より
(1)「強みより弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない」
(2)「何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない」
(3)「真摯さより頭の良さを重視するものをマネジャーに任命してはならない」
 とあります。

 私もマネジャーさんは担当する方(々)の仕事がやりやすくなるよう工夫することが仕事(役割)だと思っています。その認識からすると確かに注意しなくてはならないことだと思います。ただ、部下目線から言うと上司には、マネジャーの能力の他にリーダーの能力も身に付けていて欲しい、とも思うのですが如何ですか?そして、リーダーに最も重要な資質に「夢を見つける能力」を上げたいのですが如何でしょう?

 上司と言っても何でも出来ると言うのは嘘です。どれほど素晴らしい方でも、人である以上は限界があります。でも、何か一つでも届かない夢を持っていたとしたならば、または、上司・同僚・部下などの夢を共有し自身のものとし実現しようと努力してくれているとしたならば。夢を見つけだし夢を語り夢を実現しようとする方を私は、リーダーであると言って良いと思っています。

 部下からの目線では、上司が持つ夢の正当性を理解した時に得れる共感が部下自身の夢(目標)となり行動と結果が生まれやすくなる。上司からの目線では、正しいと信じる夢を話すことにより得れる部下の反応に対する目標(夢)の提供が可能となり組織全体の行動と結果が生まれやすくなる。夢の共有、それは参加するメンバーの夢の繋がりによる共感を生み出し、お互いの理解が行動に繋がりそれが信頼に変化します。

 信頼の基本は行動の結果です。行動の結果ですが、そこには夢が必要だと私は思います。何のために何をするのか。人はパンのみに生きるに非ず。でしょうか?マネジメントには、マネジャーの能力とリーダーの能力が必要で、マネジメントと言う行動の結果として人が育ち知識が構築され価値を生み出す。その源泉が人と人の信頼関係だと思っています。
 

信頼の種

 まだまだフニャフニャではありますが、お陰様で今日また1つ新しいことを形にすることが出来ました。もちろん一人でどうにかしたわけでは無く仲間達や協力者があっての成果です。それだけに嬉しく感じます。ただ、それで信頼を得れたとは思っていません。それとこれとは別の話だからです。

 一番に懸念するのは、成果の中心が私だと言う認識が周囲には強いだろうと思われることです。やってしまい過ぎるのです。期日に間に合わせたいとき、ここを押さえないと損害が大きいと感じる時に、やり過ぎてしまうのです。結果は得られます。もちろん喜んでくれる人もいます。同時に何故それが出来たのかを理解すべき立場であるのにもかかわらず理解できず取り残される人も発生します。それでは、その改善は、その方の改善では無く私の改善成果で終わってしまいます。それが問題なのです。

 この問題を回避する方法があります。まず、理解して頂かなければならないことは、改善には終わりがないと言うことです。現場に落とせば幾らでも更なる改善を行うことが出来るのです。ですので何のために何をどう変更し何が得られたのかと、それによって発生する問題点と改善の精度を上げるために必要な課題を予め示し、改善の機会と環境を用意する。そこから暫くの間は、継続的支援が必要にはなりますが、何時か改善成果は私から離れ改善を受け取った方達のものになります。

 人の間違えや失敗は簡単に攻めることが出来ますが自分の間違いや失敗を責められるのは辛いものですよね。誰もが自己を持っていますから誰もが自分中心の我儘者なのだと思いますが、どう思われますか?今回の成果を出すまでの間に幾度も誰かを責めたくなりました。多分ほどほどで止められたのでは?と思います。ですから、これから先も頑張って改善を相手のものにしていただける事が出来たとしたならば、私が忘れ去られるのと同じ頃に見えない信頼が少しだけ相手に残ればいいな、と思います。
 
 

幸せを感じる時

 仲間達と何かをしている時に楽しいと感じますか?私は感じます。”一緒に何かを達成する”ということが出来れば、さらに楽しく幸せを感じます。一人で何かをしている時も楽しいと感じます。知識に限らず新しいことを知った時に楽しいと思います。特に”感銘を受けた時、共感した時”には、幸せを感じます。仲間と、一人で、感じる楽しいも幸せも私にとっては、どちらも同じぐらい大事なことだと思っています。

 そう、楽しいと幸せは違います。例えば、何かが出来ると言うのは、それだけのことであって幸せとは関係なことです。良い品物に対しては、”便利に思うから上手く利用する。”と言う風に考えますよね?楽しいは、それと同じです。比較的広範囲のことが比較的深くできたとしても、狭い範囲のことをとても深くできたとしても、同じで幸せとの関係は薄いものです。私の場合には、楽しいと感じても幸せと言うところまでには、行き付けません。

 もちろん人によって感じ方や表現の仕方の違いは知っています。が、私にとっての”幸せ”は、人と人の繋がりの中で生まれるものだと思っています。何かを共感できたとき、一緒に何かを達成できたとき、幸せを感じます。そして、その幸せの根源にあるものが信頼であり、相手に頼る、相手から頼られるが自然に行えた時に生まれるのだと感じています。私としては、このことに気付けたことが私を幸せにしてくれている。と感じています。
 

信頼されない

 今までに一番勉強したのは会社に入って5~10年目辺りの数年間だと思います。会社の支援を得、夜学や通信教育を幾つも受けました。自主的に本を購入し新しい機会を模索し中小企業を支援してくださる協会に押し掛けたり会社に来る銀行員に相談したりもしました。その学んだ知識を仕事に生かすのが楽しくてしょうがない時期でした。

 私を育ててくれようとしていたのでしょう。面接にも立ち会わせていただきました。TQC(全社的品質管理)のメンバーにもさせて頂けました。楽しかったです。でも、他のメンバーや任された部下は、どうだったのでしょう。ハッキリと言えば楽しくなかったハズです。当たり前でしょう、私は私が学び私が行動し結果が仕事の仕方や設計に反映されて商品が変わっていくさまが楽しくてしょうがなかったのですから。そう、自分一人で楽しんでいたのです。商品をより良いものとして作り上げてくれる部下や会社のことを思うメンバー達の気持ちを一切考えていませんでした。

 会社は組織です。組織であるから一人では成しえない価値を世に出すことが出来るのです。一人で何かを達成できる才能に恵まれていたのであれば、個人で何かを始めればいいのです。誰かを巻き込む、誰かを不幸にする必要はありません。私がそうであるように一般の人は自身の活躍できる場所を得たいのです。

 部下は次々と退職していきました。折角のメンバーもバラバラになりました。それでも信頼を失っていることに気付くのは今少し後になります。不幸なことに”学び何かを変えることに対しいくらか長けている”と思っていました。無知だあったから賢いと思い込んでしたのでしょう。相手の気持ちを思いやることに関して学ぶことはあっても訓練することを疎かにしていました。それに気付かなかったのです。自分がとても無知な存在であることに気付くまで、本当の信頼が戻ってくることはありませんでした。
 

信頼する

 時代でもあり小さな会社に入社した当時は酷いものでした。もちろん何の考えも無かった自分に落ち度があるのですが後に退職していく上司達も(給料分の)仕事に対する責任は感じていても”仕事に愛着を感じる”とまでは、行かなかったようです。もちろん人それぞれであり仕事に対する自身の能力を誇りに思う人もいれば、私のように自身の仕事が生み出す結果が”この社会に少しでも役に立つ”と思うことへ誇りを持つ人もいるでしょう。どちらが、またはそれ以外の考えがあって自然ですが、入社数年は、それにさえも気づかないまま仕事を熟していました。

 そんなおり、先ほど話に出たように上司達と同僚が一度に退職し6名で行っていた仕事がその年に入社した方と2名で熟すことにんなりました。何も考えない時分ですから何も考えずに兎に角納期に間に合うよう仕事を行ったのですが徹夜や休日出勤を繰り返しても出荷に間に合わすが精一杯で修理依頼にまでは手が回らず営業所から連日のように催促の電話がはいります。「うちの修理はどうなってるんかい!!」。頭にきました。「わが社に○△営業所は無い!」・・電話を切ってしまいました。

 その後も、もくもくと仕事をしました。日曜には、催促を受けていた修理を行い月曜日に出荷しました。今は、後悔しています。そんな仕事の仕方が半年以上続いた後に創立者が状況に気付いてくれ(それも大変だったんですが)人を雇ってくれました。会社もごたついていたのですが今思えばもっと早くに相談すべきだったと思います。創業者と何度か話、何かの時には相談してくれるようにもなりました。多少ですが信頼を得たのだと思います。

 この得た信頼は、体力があり、あまりものを考えない性格だったので仕事を続けられた、たまたまそんな理由からなのだと思います。それでも話す機会を得、創立者が自分の会社に愛着と誇りを持っていること、誰よりも会社を思い誰よりも一生懸命考えながら働いていることを知ることが出来たのは、自分の財産に成りました。結果、信頼しました。遠く及びはしないだろうけど真似をしたいと思いました。信頼されるかされないかは、行動の結果なのです。が、相手を知らない事にはどうにもならない。それはちょっとさみしい事実ですね。
 

入社時の信頼

 学生時代に限らず自分自身が信頼に値する人間かと言えば、「いいえ」としか答えようがありません。そもそも信頼を意識して行動している訳でもありません。それなのに何かの時には”信頼されていない”とか”裏切られた”とか思ったりもします。誰もが、自分中心に生きていますから、そんな経験の1つや2つ仕事の上に置いてもあるのではないでしょうか。

 学生時代の信頼は簡単で「明日もあの子は(部活があるから)学校に来るだろう」ぐらいのものですが、会社に入社してからは今少しレベルがあがって「明日もあの子は遅刻せずに会社に来るだろう」となります。その違いは何でしょう?”あの子”の学びについての遅れは”あの子”の問題であり、そもそも授業が”あの子”の将来にとって唯一無二のものであるかなどと言う保証は誰にもできないからです。これに対し会社勤めの”あの子”には、一緒に何がしの価値を期日までに作り出さなくてはならないと言う明確な責任が発生します。

 責任には同時に権限が発生します。その仕事をしてよい権利であり対価をもらってよい権利です。ただ入社間もなくは、この理屈が理解されていないように思われます。学生時代とのギャップが大きいのです。が、このギャップを埋めてくれる先生に必ず出会えるかと言えば、(本人の資質もありますが)新入社員の直属の上司や同僚は経験が浅い方が多いため必ずしも教えることを学んでいるとも限りません。また、大手企業であっても学習と訓練に置いて作業そのものに付いてのマニュアル(標準化)はあっても責任と信頼を教えるマニュアルは時代に付いていけていない、ように見受けられます。

 責任は学習の後の訓練を何度も繰り返し身に付くものなのですが”何故そのようにしなくてはならないのか”の教えも今の時代に置いては重要ではないでしょうか。服装一つでも”安全・品質”と言う教えがあって、先輩たちの見本があって、初めて理解したうえでの行動に結びつく。その結果が新入社員にとっての最初の信頼を得るであり、上司・先輩たちの手助け無くては、信頼は得ずらいものなのだと思います。
 

教師への信頼

 思い出に残る先生(教師)との出会いは幾つもあるのですが少しだけ話させてください。お一人は、体育大学を卒業された新任教師・柔道部の顧問となれば想像がつくと思いますが、熱血だけれども喜怒哀楽も激しい先生でした。ある体育際の日、クラス対抗の柔道大会が模様されていたので柔道着に着替え体育館に行けばクラスからの参加者は自分だけ、そっと帰ろうとしたときにその先生に見つかりました。

 褒められました。「一緒の組みとして柔道大会に出てやる」と、とても嬉しそうでした。その日最初の試合でどう見ても格下の相手の耳元で”適当にやろう”と囁いたら技を掛けられ先生に負けない位短気ですので、そこから後は真剣、1チーム5人、先生が2人担当しますから残り3つの内2つ引き分け以上で勝ち進みます。当然優勝なのです。が「俺たちはミソだからな」と先生が笑い参加賞と言うことに。とても疲れました。

 もうお一人は、ベテラン物理の先生。先生方のまとめ役もされていたので怖いイメージでした。ですので珍しく授業を真面目に受けました。真面目に受ければ教え方の上手な先生でしたから当然理解できます。お陰様で物理だけは成績が良かったですし好きな科目になり後々の今も役立っています。テストを返されたとき、裏にも回答を書いたのを褒められ”この先生も笑うんだ”と凄く感動したのを覚えています。

 どちらの先生も素晴らしい先生でしたが、信頼と言う見方をすれば後者の先生が勝ります。それは、仕事として生徒に教える環境を作り教え方を工夫し常に同じ姿勢で生徒に向き合った行動の結果を経験できたからだと思います。言葉や一時の行動だけで長い間変わらない信頼を得ることは難しいのだと思います。その瞬間だけとても親切であったとしても信頼は付いてこない、真の信頼を得るには経験が必要なのです。
 

学生時代

 学生時代の信頼関係に理由を付けるのは難しいのですが、行動プラス感性による部分が大きいのではないでしょうか?部活に真面目に取り組むなど生き生きとした態度に共感を覚えるのは、誰でもだと思います。ただこの時期は、何かを否定することを大切にする時期でもあるため仲間とぶつかることも多いでしょう。それでも、一般にクラスメイトは信頼の仲間としてお互いを受け入れます。

 これに対し生徒に対する教師の信頼は、もう少し暖かいものだと感じました。その時々に対峙する生徒一人一人の良いところを見つけ出そうと言うような行動を何度か経験することができたからです。それは何れ学校と言う環境を離れて社会に出ていくことを知っているからの愛情であり「キット自分の道を見つけてくれる。」と言う思いからの信頼ではないのかな、そんな教師に教わりました。 

       
 学生時代の仲間は今も理屈抜きに信頼のおける仲間ですし、当時の先生方は今も感謝の対象です。この時期に信頼とは何かの基礎が出来たのだと思います。見方を変えれば、この時期に自分と言う個性の原型が形作られ後の人と人との付き合いに置いて何を基準に信頼するかを決める。そうだとするならば、心を開ける仲間や教師に巡り合えたらそれだけで幸せなんだと思います。
 

始めに

 組織として仕事をするにあたって最も大切なものは信頼だと思います。小さな仕事を任される時も大きな仕事を進める時も基本は、人と人の信頼関係が成り立った上での話なのですが、ここで言う信頼関係と言うのは、あくまでも仕事を進めるう上での話であり、家族や友人などとの関係における信頼とは異なります。

 組織にとって仕事をしているとは、価値を連続して生み出している(または可能性がある)状態を指します。何の価値も生み出さない(または小さな価値しか生み出せない)組織だとしたら信頼以前の問題として誰もが離れて行くのが自然です。つまり、仕事に置いての信頼とは、価値を生み出してくれる可能性を指します。

 このように考えると信頼と言うものをどのようにして構築するのか、面白くはありませんが論理的に説明出来るものなのだと思います。面白くないと言うのは、多くの人が既に語っているからです。また良い本も沢山出ています。ただ、入社前から退職までの信頼(価値)の変化について整理されているものは、少ないのでは?
   

年に初めに

 プログラムを組んでいると使用する担当者の顔が浮かぶ。それが社内SEの良いところだと思う。以前作ったシステムの販売を会社に持ち掛けたが断られた。残念ながら一部趣味でのシステムお手伝い以外、このプログラムが社外にでることはない。

 他部署のマネージメントをお手伝いするのは、とても気を使う。どこまでもお手伝いすることは許されないし、さりとて中途半端な支援では結果を残せない。結果を残しつつ立ち去れるように参加者たちが自立できるように支援するのは、とても難しい。

 何回か、この会社を離れるチャンスは、あったけれども結局この会社が好きだから。何時かは消えてしまうのだろうけど、それなりの実績が名前はともかく小さな会社で小さな歴史を作った。それを今年は整理しだしたいと思うのです。やってみよう。