短気は直せるか?

 正直言って g-mon は気が短い、直ぐにカッ!となる。だから急に話しかけてくる人には要注意だ。気持ちの整理、心の準備、相手の理解、考えの再構築を行う余裕が与えられずに返答をするならば、決して良い結果は得られない ・・ ですよね~。

 国会の質疑応答のように事前に質問事項を提出して頂けても声を荒げて質疑をするのことが当たり前(パフォーマンス)の世の中で直ぐにカッ!とならない方法は何かないか?野菜をもっとたくさん食べるとか睡眠時間を十分取るとか禅寺へまた行くとか。

 いえいえ論理的に考えるのであれば、カッ!となる理由は何かから始めるべきでしょう。短気な g-mon とて何にでもカッ!となるわけでは無し(それじゃ盛りの付いた獣)やはりカッ!となる壺 ・・ 頑張っている事を否定されると辛くなる?それだ!

 ではどうしよう?頑張っている事を否定された時には、その理由如何に関わらず g-mon のためになると考えを切り替える訓練をしよう!具体的には落ち着いた段階で否定してきた理由を分析し g-mon の糧にしてしまうを繰り返す。行けそうな気がする。
    

一緒なら辛くない

 発表前に退職する旨を伝えに来てくれました。入社4年、2年前は新しい仕事を覚え生き生きとしていたのに昨年頭からは下を向いて「自分が悪いのです」と歯を食いしばっていただけに残念と言うか辛いです。

 ただ、誰が悪いと言うわけでは無いと思います。g-mon もことさら笑顔で話しかけていたのですが届く届かないや同僚や仲間の力量、個人の資質は、天性と経験年数で決まってしまいます。g-mon が預かっている今の新人君達だって10年前の g-mon の下に配属されたとしたら今ほどには幸せでなかったと確信できるぐらいです。

 声を掛け久しぶりに車で送らせてもらいました。話したのは「今回は、運が悪かったのです。でも、次も悪いとは限らないし何よりも死ぬその瞬間まで何回でもやり直しが出来るのですから今を楽しまなくては損です。」みたいな内容だったでしょうか?何時ものように笑いながら反論してくれたり意見を述べてくれたり、とても楽しい時間でした。

 最近読んだ本を紹介してくれました。お医者さんが患者とどのように接したかを書いた本です。ここでも対話(相手の気持ちになる)の重要性が説かれているようでしたので購入してみようと思っています。彼からは、これからもいろいろ教わりたいと思います。
 

リーダーってなに?

 このところムリムリの仕事が続き過去のミスまで発覚し多くの方に迷惑を掛けまくっています。大変申し訳ないの一言なのですが頑張って挽回するしか無い。頑張る!!

 g-mon は、何時の間にこんな性格に成ったのでしょう?小さい頃から何かに集中する事は少なくダラダラと時間を過ごしてきましたから、身に覚えがありません。

 ただ以前にも述べましたように本が好きでしたから空想壁は、あるかも知れません。たまに言われます「g-mon さんは真顔で嘘を言う。」いえいえその時点では嘘と思っていないのです。

 なかなか理解されませんが g-mon には仲間と実現したい未来があります。そして必ず実現できると信じています。いえ実現できると知っています。どんな未来が待っているか分かっているのです。

 ですから気持ちを合わせて貰い一緒に行動して頂けるように、よりよい未来に付いて語り伝え行動を要求し結果を一緒に喜び合います。実に自分勝手な奴だと思います。でも、それはリーダーの資質だとも知っています。

 皆と一緒に達成したい未来があるから苦労も含めて細かなことは気にならないのです。やるべきことが見えているのです。だから頑張れる。やっぱり本のせい?はたまた持って生まれた性分か?
 

上手な対話を考える

 当たり前のことですけど考えを押し付けると対話する気がなくなってしまいます。もちろん受ける方でも言い回しによっては相手の気力をなえさせることが出来るでしょう。対話を成立させるには「それを乗り越える気力を双方が持っている」か「上手な会話の仕方をどちらかが持っている」が必要となります。

 ただ、この「上手な会話の仕方は聴くことが特に重要」になるため対象者によっては十分な時間が確保出来ない場合が出てきます。その場合には相手の価値観を一時的にでも受け入れて違う見方の考え方もあると言うことを伝えられればよしとします。それでも対象者は気に入らないかも知れませんが。

 相手の考え方を受け入れるには、それなりの器が必要になります。この器は相手に対する思いやりや愛情によって育てることが出来ます。人に興味を持つことも大切でしょうし一緒に成長する楽しみを共有出来れば、なお素晴らしいと思います。それにより感情的にならずに相手が分かるよう話すことが出来ます。

 つまり相手が分かるように話せると言うことは「相手の言うことが理解出来るように自分自身の聴く準備が出来た」ことになります。論理的に話す話し方を相手の理解できる言語に翻訳したと考えてみてください。そうなんです!対話が出来ないと言うことはお互い別の言語で話しているようなものなのです。

 言語は、気持ちを通じさせるための道具です。ですので同じ言語で話せれば、お互いの心を通わせることが出来ます。心の通った会話が出来れば、お互いに気持ちの良い充実した時間を過ごせると思います。その対話のあとには、相互理解と感謝の気持ちが双方に残るのでは、と思っています。
 

真面なマネージャー(黒子)

 もし g-mon が真面なマネージャーであったとするのであれば、何時の日にか「あの人は本気で私を成功させようとしていたんだ」と気付いてもらえるのでは?などと勝手に思う時があります。

 とは言ってもそれ程「しっかり仕事に向き合っている」とは言い難いし「何が成功なのか知っている」とは断言できずに「ひたすら状況を検討」し「ひとつひとつ真面目に向き合う」が精いっぱいです。

 それでもやはり「誰かの役に立ちたい」と言う思いは強いので皆の「未来を描く」作業とそのために「何を学ぶべきか」を毎日仕事に追われながらも続けたい。人の上に立つが苦手な g-mon は、そう思うわけなのです。

 目立ち過ぎる黒子。それが今の g-mon のような気がします。それは思いが仲間に届き幕が上がるまでのこと。幕が上がり舞台が上手く回りだせば本物の黒子に徹する事が出来ます。マネージャーが目立つ必要は無いのです。
 

安らぐ時

 優しさって何だろう? g-mon の周りの人は皆さん優しい。こんなに甘えてしまって良いのだろうかと思うほどに優しい。我儘放題に生きているから余計そう感じるのか、とても大切にされていると感じている。

 当然皆さん自身のことが一番であることは間違いない。「いえ!私は子供が」と言われる方もあるかも知れないけれど、それさえも自分の思いなのだから自分のことが一番大切と言うことから外れはしない。

 それなのに何故か大事にされていると日々時々に感じる。嬉しいと感じ安堵を感じ楽しいを感じれる。そんな家族や仲間に囲まれていると心から思える。それだけに「何故?」が気になる、答えが見つからない。

 キット「優しさが何なのか」が分かれば安堵するのでは、と思っている。「何故優しくしてくれるのだろう?」と考えないですむようになる気がしている。余りにも自分中心に生きていているので不安、安堵が欲しい。
 

何かからの卒業

 「自分自身の小学校卒業式を覚えていますか?」幾人かの方にお聞きしました。中には「高校の時より覚えている」と言う方もいましたが大体はうる覚え g-mon も小学校の正門前で撮られたであろう写真は知っていますが卒業式自体は記憶にありません。

それに対して我が子の卒業式は何と誇らしいことか。この気持ちはお母さんならなおさら、同僚に「卒業おめでとう」と声を掛けたら何とも優しい笑顔で「ありがとうございます」と返してくれました。幸せをおすそ分けして頂いた気分です。

 人の成長を見るのは我が子に限らず幸せな気持ちになります。この時期は卒業式の帰り道であろう家族の集団に出会うことがあります。会社では昇給昇格などもあります。どれも成長の証です。でも同時に学校を離れる、職場を離れることもあります。

 同僚が職場を離れます。何かをしてあげられるなどど思うこと自体が間違いなのですが何もしてあげれなかったと悔やまれます。過去と他人は変えられません。今の自分を励まし離れた方には次のステップを楽しんで貰いたと願います。
 

失敗してしまった時

 先日のクラス会集合写真が届きました!写っていませんでした?そう言えば何枚か撮っていましたが1度だけ椅子の片付けに外れた記憶があります。ある意味、持ってます。

 タイミングを逃すと言うのはよくあることで後で後悔しても同じ時間は二度と戻ってきません(と思ってます)。であるならば失敗をしないようにと慎重にことを運べばいいのですが性格が邪魔をします。

 それが何故か可笑しいのです。自分を見て滑稽に思えると言うのは時間のゆとりは無くとも心のゆとりがまだ幾らかはあると言うことで、幸せなことなのかも知れません。

 人に決められるのではなく自分自身で決めた自分の個性の良し悪しは一度おいて置いて、今の時間と今の結果を少し離れた所から楽しむ。これはなかなかの贅沢だと思います。
 

ブログへの思い

 昨日のブログを読んだぽぽさん(嫁に行った娘)に心配されてしまいました。ありがたいです。でも、何回もいろいろなことを経験してここまで来ていますから大丈夫ですよ。

 ブログは日記です。ですので思った事を思ったように書けばいいのだと思います。ただ、それをたまたま読んで感じるのは読み手です。意図しないことを感じられ不快に思われることも多々あるのではとも思います。

 今日書きたかったのは、g-mon が大切と思っている会議の進行係(2名います)の方が「子供の卒業式が終わったら直ぐに会社に戻る」と言ってくださり、もう一人が「小学校の卒業式なので出来れば終わった後も一緒にいて欲しい」と言ってくれたことです。

 「任せます」と答えました。嬉しかったのです。説明をちゃんとすれば会議参加者全員で言葉には出さないでしょうが卒業をお祝いできます。その時その時で一番大切なことを優先し必要であればカバーできる方法を考える。それも必要な経験なのです。

 今日の日記は如何だったでしょうか?コメントがあまり付かないブログですから一方的な発信になります。間違った(嫌な)情報を届けてしまっていることも多いのかもしれません。でも、沢山幸せを頂いていますから嬉しかったこと学んだこと中心に、書きたいと思っています。
 

少し憂鬱な週初め

 不本意なのですが無理無理でことを進めています。当然落とし穴が沢山待っていることになります。気が重いのですが頑張るしかないのです。長い間にはよくあることなのです。経験ありますよね?

 昔読んだ「緑の指」と言う本に「心配事は色々なとこから忍び込んでくる」と言う一説がありました。確かに少し油断しただけで心の中に忍び込んできて何度も何度も心配事を繰り返します。嫌になる。

 でも、気にする事は無いと知っています。だって気にしても何も変わらないし、そもそも心配事が本当に起きるのは稀ですから。それでもその時々は辛いものです、悲しいものです。耐えるしかありません。

 少し経てば状況は変わります。また有頂天になれる時が来ます。また落ち込むと分かっていてもその時はそのことを楽しみます。さて今日も始まります。楽しくやろうと思います。仲間が待っています。
 

新入社員を迎えて

 もう直ぐ、そう四月から g-mon の部署に新人が一人加わります。専門学校を卒業して社会人ですから二十歳です。線は細そうですが利発そうにも見えます。2年前に入社した新人君は四つ年上の先輩になります。彼の時を振り返りながら一緒に学べればと思います。

 経験では、学校を卒業し初めて仕事に付いた人には、学べば理解できる適量の仕事が必要です。ある程度慣れて仕事が早くなったら少しの考える仕事をお渡しするべきだと思います。何を知っていて何を知らないかは、こちらにも分かりませんから言動と行動を確認します。

 必ず躓きますが出来るだけ考えて貰いながらも行き場がなくなる少し手前で対処の仕方をやって見せて伝えます。一緒に乗り越えながら失敗は恐ろしくない事を分かってもらいます。そして小さなことでも上手く行けば一緒に喜び同時に仕事の意義についても一緒に考えます。

 g-mon は、長い間いちから育てる部下を持たなかったので正直この二年間はおっかなびっくりの部分も多々ありました。これからもそうなんだと思います。ただ偉ぶることなく何時も新人君たちのことを気にかけ適正と思える仕事を任せていくことは出来るようになったと思います。

 先輩になる新人君も同じような気持ちで接してくれると思いますからキット今まで以上に楽しい職場になる事と思います。一緒に学び一緒に成長し一緒に誰かのためにを達成できる職場。そのために、もっともっと学ばなくては。本当に良い会社に勤められたと感謝です。
 

お客様のために

 一般には3連休。でも、製造の方は受注をこなすために出勤されていました。何だかんだ言っても、この方たちが会社を守ってくれています。本当にありがたいことです。

 少し困ったことがありました。それは「こんなに忙しいのに改善活動を続けなくてはならないのか?」という質問です。「それよりお客様の製品を作るのが先では?」もっともに思います。

 ただ、失敗も時には危険さえも「お客様に製品を届ける」の名のもとに軽視され続けてきたのも事実なのです。結果、手直しなどで生産工数が増えたり部品の供給に支障が出たりです。

 g-mon は、時にお客様の要望を全ては聞き入れなくても良いと思っています。ただし、全社的コンセンサスと長期に渡って更に喜ばれる製品をお客様にお届けする覚悟がなくてはなりません。

 仕事にはメリハリが必要ですが失敗してしまった時や忙し過ぎる時に人はテンパってしまいます。そんな時こそ気持ちを落ち着かせるためにも幾らかの時間を改善活動に充てるべきではないでしょうか?
 

桜の開花はもう直ぐです。

 慎みたいのは、その場の感情に流され誤った判断で行動を起こしてしまうことです。ですが多少は g-mon の感情を抑えられるようになったと思うのですが時にこぼれ出てしまいます。ですので謝った行動であったと気付いた時には大恥をかきながら出来るだけ早く、ハッキリと謝りたいと思いますしそのようにして来たとは思っています。

 真面目に生きて、それなりに考えてことを進めているつもりでも様々な局面に置いて必ずしも g-mon が正しいわけではありませんし結果が出てみなくては判断も付かないことも多いのです。それでも両親・家族、先生・先輩、同僚や仲間達から教えを得たり支えて貰ったりしながら、ある見方をするならば g-mon 磨きの毎日です。

 先日、父が他界しました。四月一日は母の三回忌ですが待つことせず「桜の頃にまた会おう」の句の通り、相変わらず自分の考えで全うしました。大したものだと改めて思うと共に、これからは直接教えを乞う事が出来ない寂しさがあります。せめて父のように深く物事を見れるように心穏やかにいられたらと思います。
 

会話のコツ

 とても難しいのは相手の気持ちになること。ニュースその他で知る相手に対しその気持ちになり行動していたとするならば自分自身がつぶれてしまうのですけれど、せめて相対して話す機会のある方とは大切な時間を共有したいと思います。

 仕事では、つい自身の思いを言葉に出してしまい同僚に注意されることも多いのですが仕事以外でも自分発信が多いような気がします。もしコミュニケーションが必要ならば相手の思いを聞かなくては何も始まりませんし何も生まれないのに。

 とは言っても相手の気持ちになるべき時のコミュニケーションにも目的があるわけで相手の気持ちになり(状況を理解し)つつも自分自身の経験や知識から相手に届く言葉の繋がりを探し出し組み立てタイミングを計り口を開かなくてはなりません。

 それは人と人が触れ合う大切な行為。ボディータッチなどのコミュニケーションも当然あるのですが、より多くの方と触れ合い自分自身を形成していく大切な行為なのだと思います。そしてそれは、キット母親が子供に接する態度なのでしょう。
 

お節介な奴

 見えていない人は自身の失態を隠し(触れずに)他者の足を引っ張ることで自身の正当性を吹聴する。そのような人間を小人と呼ぶ。良い人なら褒めればよく、悪人ならば罰すればよい。したがって人の世で最も困るのは小人である。

 面白く読ませていただいているジョージ秋山さんの漫画、浮浪雲にあったセリフです。そもそも見えていない人は自分自身は汚れないように身を守っているのだから見えるわけがない。結果、成功するわけがない。見えていないということは、そう言うことです。

 それでも恵まれていれば上手くことが運んでくれる場合もあります。「それはそれで良いじゃないか」とも思うのですが幾らかでも見えていればあちらこちらに歪が出ていて長い目で見れば不幸な結果に陥ることがわかります。それを黙って見過ごすのも辛いものです。

 「何とかしなくては」と見えていない人が気づかないところで恵まれた環境を整える。そのような人間をお節介と呼ぶのでしょうね。どちらも持って生まれた性分なのでしょう、一生変わらないのかも知れません。でも、出来れば見えてないことに気づいて欲しい。やっぱりお節介ですね。
 

他人目線

 「 g-mon は細かいところがある」と自身の口から言ったのに考えていたところと違う部分を指摘され多分変な顔をしてしまったのでは?と心の中で笑ってしまいました。 g-mon は「どの様に人から見られているのだろうか」と気になる時もあります。

 慌て者である。ある線を越えてしまうと簡単にパニック状態になってしまう。言ってしまえば器が小さい。しょうがないから器の数を用意してごまかしている。対応している?それが周囲の人からどう見えているかは分からないですけど、そう言う個性なんだと思います。

 そんな見え見えな性格ですが苦笑いしながらも皆さんお付き合いしてくれます。一緒に仕事をするのが楽しいと思える職場に巡り合えたのは本当に幸せなことだと感じています。そしてそんな仲間達に対して g-mon も気になる点があります。

 それは皆さん「決められた仕事を真面目にやることに満足している」ことです。「それの何が悪い?」と聞かれそうですが悪くはありません。でも良くもない気がするのです。大切なことは「決められたことを真面目に熟しながら、もっと良い方法を考える」ではないでしょうか?

 それは「慌て者」で「すぐパニックになる」し「器が小さい」人でも出来ることだと思っています。そうで無い人ならなおさらです。キチット真面目にやっていたってトラブルは必ず起こります。それを「自分は改善して良いんだ」と1段上の位置から仕事を見てくれたら。自分のことは見えないんですけど人のことは見えたりします。
 

戦術の前に戦略を

 ご縁でお預かりしているプロジェクトメンバーから「この会合はモチベーションが上がります。ただ帰っての会議は ・・ 」と言ったようなことを言われる時があります。以前よりは随分減ったと仲間たちと感じてはいるのですが道半ばまでも到達していません。

 メンバーの行動や発言は目を見張るものがあります。言ってみれば素晴らしい宝石の原石であることが分かるのです。説明の仕方や真意の見せ方に若干の問題も感じなくはないのですが、そこは聴き手の真剣さで幾らでも補える問題だと思っています。

 上長は部下に指示をしなくてはなりません。部下はそれを真剣に聴き具体的行動に移します。そして次は上長が真剣に報告を聞く番です。お預かりしている方が上長の指示を理解して行動していることは間違いありません。では、上長が聴いていないのか?

 現状把握が必要です。この会社には個性豊かで優秀な方が揃っていますからポイントさへ押さえて頂ければことは前に進みだします。ただ、数年前まではポイントを教わることを知らなかったのです。チャンスは均等に、何らかの手立てを考えねば。
 

俳句の世界

 「椿のことは椿に桜のことは桜に聞け」とは俳句でのお話し。ものをシッカリ見ろとの教えでしょうが椿を幾ら見ていても椿、風が吹き枝が揺れたり雲と重ねたりする様をみるのでしょうか?それとも椿に語りかけ心でみろとでも言うのでしょうか?蜆の味噌汁「蜆(しじみ)のことは蜆に聞け」じっと見ていたら折角の汁が温くなる。

 俳句に限らず1度発信された言葉は読み手しだい。力量の差もあるでしょうが読み手の状態によっても言葉への感じ方は大きく変わるようです。それも力量と片付けてしまいましょうか?誰からの言葉でも何時も平常心で自身が望む自分らしい受け止め方が出来、一呼吸置いての返すことが出来たら素晴らしいと思います。

 少しづつ春めいてき母の命日も桜の花と共に近づいてきています。以前は「わー綺麗!」とただ喜んでいたのですが、あの日からは同じ心の中に寂しさも同居するようになりました。今年の桜は何を語りかけてくれるのでしょうか?お天気に恵まれ包み込まれるような温かさの中で散りゆく桜を目で上に追い、空に語りかけられたらと思います。
 

心が通い合う?

 勝手な思い上がりなのかも知れませんが心で話すと言うことは、あり得るのではないかと思います。仲間たちが何かを進めている時に何を求めているのかが心にスッと入ってきます。後輩に任せた仕事の様子を覗き込んだだけで何が混乱しているのかが理解できたりします。それらに対する、こちらの行動も多くを語らず理解して頂けます。

 何時からか、そんな事が当り前のように続いています。多分同じ方向を向いていたり、相手の状況がある程度分かっているからだとは思いますが、その上に信頼みたいなものが被さっていて、それを通してお互いの心の部分まで感じて対応しているからでは?と、何時からか思うようになりました。

 家族に置いては、それが一層ハッキリでるようです。喜びや苦しみ、痛みに悲しみ、そして穏やかな安らぎ。それらのことを不思議と側にいるだけで共有する事が出来たりします。昨日もそうでした。父との久しぶりの会話でした。短いような随分と長いような会話でした。量で推し量れないような心の会話でした。

 皆さんも、少し振り返って感じてみて頂けませんか?ご家族や仲間たちとの心の会話を感じられるのではないでしょうか?それは受け手側の勝手な思いかもしれませんが、経験では発信側の思いを真摯に受け止める準備が出来ている時には、何時も以上に思いが通じ合うように感じられます。こんな感じ方、ヘンですかね?
 

”もの”を見る力

 ”もの”には見方、考え方が複数あり、それを理解すれば伝え方も変わります。例えば「不具合を直せ」と言われれば、やらされ仕事になりますが「シーズを探せ」と言われれば同じ課題であっても担当者が前向きに取り組む可能性は上がります。

 逆に相手のやるきを削ぐ伝え方もあります。期待する結果は同じでも言葉一つで相手の行動が大きく違うのは何故でしょう?それは言葉によって人のモチベーションをコントロールすることが出来るからです。

 もし、あなたが「不具合を直せ」と言われたら責められている気がしませんか?それに対し「シーズを探せ」ですと「私はあなたに期待している。ぜひ挑戦して原因を解明して欲しい」と言うメッセージを伝えることが出来ます。

 モチベーションを高めるためには「挑戦させる」「応援する」「期待をする」の3要素が必要です。そして3要素は言葉や態度で伝えることが出来るのです。その基本が人も含めた”もの”に対する洞察力を深めることにあります。
 

捨てる勇気

 困ったことに仕事の山を見て見ぬふりをすることが増えました。ただ捨てておけない課題も多く、記録には残すのですが心を痛めながらも特に重要なことに専念するよう努めます。一旦集中さえしてしまえばこっちのものですから。

 専念は出来ないけれども多少なりとも進めておかなくてはならない課題に対しては、メールと電話で関係者に指示を出します。指示さえ出しておけば不明点が埋まったり作業の前準備が整った時点での連絡が来ますから。

 g-mon は比較的仕事が早いと自負しています。ただ最近は後輩に伝えるべき業務に関しての作業量は以前の4倍ほどに増えました。その上に昨年の暮れから自分でコントロールできない案件が多数発生しています。

 でも思うのです。何も全てのことを熟さなくてはならないと言うことは無いのだと。例え上からキツク指示された事柄であっても理論的に意味の薄いこと(時期尚早称など)も多々あるのです。無駄なことはやらないことです。

 開き直りなのかも知れませんが普段から時間が足りない g-mon ですので何を選択するかを何時も繰り返しています。結果として捨てさられた課題も多いのですが振り返って比較的正しい選択をしてきたと思います。
 

夢や志のない方に

 目の前のことばかり追いかけていると下ばかりを見るようになり気持ち的にも暗くなります。やはり人は前を上を向いて夢を追いかけているのが一番楽しいのだと思います。

 ただ誰もが夢を追いかけているわけではありません。むしろ夢を持たずに漠然と満たされない気持ちで毎日を送っている人、それさえも感じない人の方が多いのではないでしょうか?

 それでは、夢を持っている人と夢を持たない人の差はなん何でしょうか? g-mon は、小さいながらも夢を志を持っています。その g-mon の幼少期には大きな本棚に何冊もの百科辞典が並んでいました。

 挿絵や写真が多かったように記憶しています。最初は興味本位にパラパラとめくる程度でしたが小学校に上がった頃からは授業に発表会などがあったので資料作りに随分と役立ちました。

 もっと低学年の時にはマンガが好きでしたのでマンガの歴史や伝記なども読みたいと言えば買い与えて貰らいました。そのことが文字ばかりの本も好きになった理由かも知れません。そうそう幼児期には読み聞かせを随分と、してくれたそうです。

 こうして本を読むことで自然と視野が広がり知的充実感を得る習慣が付き、それがまた次の刺激となり段々と文書力や推察力、価値観が定まり、自分は視野が狭く無知であることに気付きます。自分が少し見え主体性が生まれました。

 g-mon には、本が合っていたのだと思いますが誰もがそうであるとは限りません。ただ、一芸では無いですが何かに少し秀でたものがあった方がよいように思われます。そこを伸ばせば小さいながらも夢や志を持てるのではないでしょうか?
 

仲間たち

 ある提案がその方に取って得であることであっても「得であると気付かない、大変そうなので手を出したくない、仕事の選択が出来ないので混乱している」などなどの理由で実行に移されないことが普通です。

 その方としては宜しいでしょうが組織としては困ります。幸いなことに仲間たちが「必要だから学びましょう」「仕事だから頑張りましょう」と言ってくれます。それで何とか提案に向き合って貰え支援を開始します。

 直接支援できない方には様々な方のバックアップ環境整備と分かりやすく直ぐに効果がでるテーマの提案が必要になります。苦労が多いと理由を作って止めてしまいます。見える化を行い後方支援を行います。

 1社員に対し会社の中の1つの歯車と言った表現をする時があります。この1つの歯車が意思を持っているかどうかでパフォーマンスが大きく変わります。そして全てのべクトルを合わせられれば驚異的な強さを得られます。

 ですから全ての方に仲間に成って頂く必要があります。もちろん役割は違うので全てのべクトルを合わせるのは大変難しいでしょう。だからこそ、その方に合った提案が必要で仲間たちによる継続的支援が必須になります。
 

冒険の旅

 「筋道を立てる」と言う言葉があります。「論理的会話」と言うよりは何を言わんとしているかが伝わりやすいと思います。結果には原因があります。ただ様々な場面に置いて「AによってBが起こった」と言うほど簡単に事象を理解できることは稀です。

 「そんなことは無い」と言われる多くの方も現象や報道を鵜呑みにし理解したと思われているだけではないでしょうか?物事には裏がありどの様なことでも深く探究すれば面白い事実が判明し気付かなかった事柄どうしの繋がりなども見えてきます。

 それではこの深く探究すると言うのはどういった行動なのでしょうか?悪く言えば疑りぶかい?いえいえ何に対しても深く探究していたのでは人生が千回あったとしても足りません。自分の人生にとって大切な事柄への気付きからそれは始まります。

 そしてその気付きを形成している様々な事柄の真意に対し仮説を立て裏を取り納得がいけば筋が通った事になります。同僚や部下達は今まさに探究の渦中にいます。様々なことの筋が見えてきていると思います。でもこの旅は始まったばかりです。
 

ビジョンを持つと幸せになれる

 ビジョンを持たない人がいる。ビジョンを持っている人がいる。 g-mon 的には幸せになれるのでビジョンは持つべきだと思う。ただ大き過ぎるビジョンを直ぐに達成しようとすれば当然失敗してしまう。

  g-mon の好きな言葉に「散歩のついでに富士山へ登った人はいない」と言うのがあります。誰もが登ってみたいと思う富士山ですが本当に登ろうと思った人はそれなりに準備をするものです。

 ところが何かを達成しようと思う時には何かを捨てなくてはならない事にさえ気づかないまま頼まれた買い物籠を持って富士山に登り始める人がいます。登頂に成功する確率は更に下がります。

 取捨選択は何時もとても大切なことです。選択によって今の行動と明日が大きく変わります。ビジョンに向かう道のりで何を捨てて何を実行するかには基準が必要になり、基準作りが自分を育て幸せになれるのだと思います。
 

自主性を育てる

 自主性を育てるには自分で決めることを増やさなくてはならない。ただ右も左も分からない内に決めることを増やすのは効率が悪く見方考え方は教えるべきだ。そしてそれは学校では教えてくれないことのほうが多いと思う。

 ちまたには良い本が多く、売れる本は以前に比べ読みやすくもなっているとも思う。ただ本は読み手の力量を問うものでもある。誤った解釈をすれば当然誤った方向に進んでしまう。特に力のある人の場合には被害が大きい。

 そこで立ち上がれなくなってしまうかどうかが自主性の分かれ道なんだと思う。不屈の根性とまで言うと大袈裟だけれども何度叩かれても梯子を外されても立ち上がる気力が自主性を育む。それは小さい頃の経験にまで遡る。

 誰もが失敗は嫌いで逃げたくなる。それでも失敗が人を育てると言うことは歴然とした事実である。したがって失敗を許容すべきである。成功するために沢山学べ、必死に働け、そして失敗しろ。そこからが自主性の育て時である。
 

最高のサプライズ

 ジュニア(息子)と嫁、あちらのご両親と私達夫婦、3組でのウエディングケーキ入刀でした。新しい娘は神前では白無垢に綿帽子、バージンロードでは白のウェディングドレス、そして披露宴では淡い緑のやはりドレス、どれも似合い美しかったです。

 朝9時の用意から始まって披露宴が終わったのが夕方の5時、式の内容はその場その場になるまでジュニア夫婦とスタッフしかしらず、驚かされっぱなし。それこそジェットコースターに乗ったまま緊張し大笑いし涙し感動した1日でした。

 1年前に入籍を済ませていたジュニアがこの企画を考え出したのは半年ぐらい前からだと思います。場所の選択から途中で流す映像の製作、前日入りしての夫婦二人での飾り付け、それら一つ一つをお呼びしたゲストのために楽しんでやって来ました。

 そして当日は、夫婦そろってハジケ、結婚式と披露宴を夫婦自身が一番楽しみ、その勢いに私達も引き込まれ、あ!と言う間にお見送り。ここでもサプライズがあり、見送り終えたところで私達は帰宅、夫婦とスタッフだけでの片付けだったと思います。

 自由なジュニアが自由な嫁を貰い新しく違った形の自由が出来たのだな、と思いました。集まってくださったお仲間たちもユニークでしたし、力強くもありました。一夜明け「ズット幸せでいてくれる」と改めて安心しています。その気付きが最高のサプライズでした。
 

巡り巡っての恩返し

 明日はジュニア(息子)の披露宴があるためブログは、お休みしようと思います。朝5時起きは何時もと変わりませんがそこから先が大変です。両家の代表としての挨拶もするそうですし思うに1日中ジェットコースターに乗っているようなものではないでしょうか?

 ジュニアの行動を見ていて「似ているな」と思う点がいくつかあります。例えば仕事への向き合い方「自分のスキルアップのために必要な環境の変化を自分で作り出す」も同じで g-mon も多くの失敗を繰り返しては社内外の諸先輩や仲間たちに随分といろいろなことを教わってきました。

 そうそう、年に数回でしょうか g-mon も社外の方から仕事の質問を受けます。システムの仕組みについてから、マネージメントについてまで、様々ですが今まで社外の方から随分と教わってきましたので巡り巡っての恩返しだと思い出来るだけお答えするように努めています。

 明日の披露宴ではジュニアを助けてくださった諸先輩方や仲間たちにも会えるでしょう。一人では何もできないのですが「一人で初めて一人で頑張って先輩や仲間たちに助けて頂くける環境を整える」それも重要なことです。天気もまあまあそう g-mon にとっても節目となる日です。
 

出来過ぎる部下

 部下の新人君(入社2年)は「まだまだ未熟」です。未熟ですが他の方と比較すると「随分と優秀なんだ」と気付かされます。随分と仕事ができるのに g-mon が勝手にハードルを上げてしまい「出来ていない」と判断しているのでしょうか?そんなことはありません。

 現在設定してあるハードルは昨年の今頃新人君と二人で作ったものです。目標の高さも目的もその時のまま。と言うことは最初からハードルが高かったのでしょうか?それも違うと思います。単純に他の方と違い「新人君はハードルが渡されていた」だけでしょう。

 もちろん彼の才能は認めます。ハードルが渡されていたからと言ってそれをクリアーするのには、真面目な努力が必要です。でも今の彼にとってそれは辛いことではない。なぜなら彼は今努力の結果で周囲に感謝されているからです。キット嬉しいことでしょう。

 渡すハードルは適切な高さでなくてはなりません。訊きに来れば状況を確認し不足分の入り口は教えますが任せた以上は自力でやり遂げて貰わなくてはいけません。やりとげられる環境も用意しなくてはなりません。ふー、優秀な部下を持つと大変です。