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 どんな結果が待っているかは誰にもわからないのですが、現在の行動から一般的な結果への予測を立てることは出来ます。「これをしなくては」と気付き何とか事に向かうことができ多少なりとも集中した時間を費やすことができれば、その量に応じて結果が変わることは誰でも知っています。

 誰でも幸せになりたいと思っています。ただ何をもって幸せとするかは一人一人みんな違います。「ズット遊んで暮らしたい」と思われる方は、どうすればズット遊んで暮らせるように成るか考えればいいのだし、人に認められたいとか自身の幸せが何かを知りたい人も考えて探せばいいだけ。

 ところが「自分にとっての幸せって何か」がなかなか見つからないのが人なのではないでしょうか?幸せは、頭の中に開いた何かが足りないと思う穴を埋め、満ち足りた時にホルモンのバランスが良くなり大安心と言う形で得ることができます。ですので「何が足りないか」を見極めることが肝心です。

 もちろん「何か」は時々によって変わります。時々によって変わりはしますが、順番に「何か」を埋めるために何をするべきかを考え、行動していれば穴は徐々に小さくなっていきます。結局のところ幸せづくりに他人は関係ありません、自分との格闘です。自分と如何に向き合うか、難しいですね。
 

学ぶ楽し

 知識があるとないとでは、この世の中の見方が大きく変わる。周囲の出来事に対する反応も未来に対する希望も変わる。知識が、生きる糧になることを改めて知る。

 知識は知識を呼ぶ、アンテナの立ち方が変わり今まで気にならなかったことが目に入るようになる。そして無理せずに頭に定着し整理し考え更に先を知りたくなる。

 知識を得ることで今まで怖かったことが怖くなくなる。恐怖は無知からくるものだと気付き、見え方、考え方が変わる。人は変わる。どんどんかわる。知ることにより変わる。

 このところテストが続いている。力試しやひっかけ問題、それらが分かるから面白い、知識の定着が次の知識の受け皿になり知識を使いたくなる。いい感じ。
 

ゴールは遠い

 結局のところ人間、正しく生きていればゴールにはたどり着けないのだと思う。満足する途中のゴールはあるだろう。だけど自分の可能性は、死ぬその時まで無くならない。何もできなくなったとしても後少し世の中を眺めていることは出来る。

 ゴールにたどり着けた人は、幸せだ。でも、本当の幸せは、ゴールに向かって歩いている時なんじゃないだろうか。その人に合ったその人らしいゴールに向かって直向きに歩いていれば、それだけで自分を認めることができる。それは幸せだと思う。

 世の中には自分の努力だけでは手に入らないものが沢山ある。そもそも努力事態がその人の目標に成ってしまっては本末転倒だ。スローライフを目指す人は、自然と素直に向き合うだけで満足かも知れない。手に入れないこと、それこそが幸せかも。

 私は、もっと人について知りたい。素晴らしい発明を未来を切り開いている人たちの話を聞きたい。ただ、直向きに生きている人の話を聞きたい。頑張れない人の話も聞きたい。失敗談も成功事例も知りたい。そして全てに感動したい。ゴールは遠い。
 

聞くこと

 私がなのかも知れませんが男の視野は狭く何か問題に対しては、真っ直ぐにしか見られないのかも知れません。これに対し女の方はアバウト、何となく大体で物事を捉えている様に思えてなりません。

 物事の決め方に論理性があるような無いような。細かなことを言うと怒られます、ある程度の役割分担をしておかないと先に進みません、それでもジャッジを任せれば一定の方向には進み完成します。

 私が今学んでいるのは、聞くことと決めないことです。多分これは男性に対しても必要なことなのだと思います。何故なら論理的な意見交換が好きな方は、男性でもそうそう多くはないと思うからです。

 傾聴。ただ聞くだけでいいのです。一生懸命聞いているは、相手に伝わるでしょう。その中から本当にして欲しいことがあれば、言ってくれるでしょう。私は自分でやり過ぎた、今はそうでなくていいハズ。
 

ここはどこ

 人は何かしらと比較して自分を見定めながら生きている。そこに、ライバルなどと呼べる相手が居たならば、随分とお互いに高め合え認め合い直向きに生きることができるのだと思う。ただ、聞くところによるとライバルが居る方は稀なようだ。

 最初から自分を律することができる人も稀であろう。自分自身を律することができると言うことは、自分と言う存在を既に認めていると言うことであろうから私は何だろう?などと思ったりしない。最初から自分の存在に気付き気用に使いこなす。

 では、多くの凡人たちは何と何をどのように比較しどのように生きていくのであろうか?多分これも統計してみれば正規分布を描くのであろうとは、予測できる。その中点は、親の判断が中心であった幼少期を過ぎ正義と悪を見出した頃では?

 この世の中には絶対の正義も悪も無いのだが生命が存在するにおいて都合の良い正しいはある。自分にとっての生きる正しさを、ある程度見付け出したところで正規分布のある地点で止まり、歳をとると比較しなくなる。私は今どの辺だろう?