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優しさ

 優しいだけの優しさは、その人のためにならない。男脳の考え方という気がしているのですが男である私は、確かにそうだと思ってしまいます。一般に優しさだけの優しさは、その場限りであり将来においてのその人の為を考えていないと思うからです。

 将来においてのその人の為を考えるのは、大変な作業です。現状を知るだけでは足りなく、その方の人生や環境、経済に心身の状態など様々なことを知って初めてアドバイスができるのですが、それを行うには専門的知識が必要となってくるのです。

 誰でもできるというわけではないですし、一人でできることでも無いのです。優しさを提供できる学習と環境づくりには、随分と多くの時間と苦労が伴います。それを知った上で今掛けられる優しさに付いて考えます。嘘も真実も包んで寄り添えるかです。

 それは、女脳の考え方という気がしています。行動や考えを述べるのではなく、その方の思いをただ聞くだけ。聞いて共感し同じ気持ちになるだけ。それ以上のことは行いません。例えそれの繰り返しであったとしても、それも優しさなのだと思います。
 

耐える

 実力とは恐ろしいもので、世のため人のためにあれもしたいこれもしたいと思っても自分に実力が付いていないのであれば叶う訳もなく悲しい思いをすることになります。それでも志があるのであれば耐えるしかありません。

 悲しい思いは心を弱くする場合もありますが志があれば悲しい思いが重なって将来の目標を形作ってくれることもあります。目標のイメージが付けば当面何を頑張ればいいかが見えてきます。見えたなら打ち込めばいい。

 結局のところ私の打開策というものは何時も力任せなのか、とため息は出るものの他に良い方法も思いつかない自分を呪いつつ、より大変な方にのめり込んで行く自分を眺める。そっちの生き方の方が好きなのだと思う。

 結果がどうあろうとも打ち込めば行動が自身の糧になり結果が付いてきてくれ例え夢破れようともそれなりの達成感と諦めの中にも真実を観れた満足感があったりします。そういう経験をしてきたことに今は感謝しています。
 

困ったら

 複数の仕事を同時に処理するのが得意と思っていたのですがどうも違うようです。以前は、3つ位のことを考えながら2つ位の仕事を並行して行なうという感じでした。まあ、5つめが急に入ってきた辺りでどれか取りこぼしがあったりしたのですが(汗

 それでも後で思い出せば何とかなることも多かったのですが、今の仕事は1つ1つが複雑でありどれも取りこぼしが許されないという点が大きく違います。実際4つ目あたりからかなり怪しくなりフォローが必要になってきます。何とかしなくては、なのです。

 幾つか先が見えて来てはいます。1つは複雑な仕事1つ1つに熟練していくことです。これは時間が解決してくれると思います。もう1つは仕事の流れを自分の中で作ることだと思っています。2つめ3つめの仕事に入る前に1度流れを整理しておくのです。

 それらに必要なものは心の余裕だと思います。自分が今何をしているのかが分からなくなるようなパニック(1つの仕事が正しく熟せない)状態が1番怖いと思います。それにしても仕事は面白い。困ったとしても考えれば何かしら思い付き試せますから。
 

帝王学を考える

 もちろん受けたことは無いのですが帝王学というものはあると思います。それは、子供にとっての最初の教師は親ですから自身の経験や知恵で基本を組み立て人はそれぞれですからその子に合った方法を親が考え与えるものではないでしょうか。

 教育の基本は知識ですがある程度の経験が組み合わさらないと本当の理解には至りません。また、科学・数学・文学・歴史・芸術など異なる知識をどの順でどのように学ぶかが知識や経験を融合させる力、新しい組み合わせを見付ける力に影響する。

 そのように考え、これに加えて学ぶ個性に対し学ぶ姿勢を教えてくれる親以外の教師の存在も大きいと思われます。もちろんその事に関する深い知識と厚い経験があることが基本ですが同時に生徒に対する厳しさと愛情を持ち得ていることが大切。

 といった環境を用意出来る知識と経験を持った方は、きっと人の話を真摯に聞き物事の良し悪しを一方からだけ見ることはしない方ではないかと思います。それはなかなか一代だけで作り上げるのは難しいのでは?とも思いますが帝王学、ありそうです。
 

中途半端

 長くシステムの仕事をしてきたのでパソコンのことを時々聞かれます。少し時間をもらえれば何とかしますが実のところ最新のアプリや細かな設定は、優秀な部下とかがいたものですから殆ど知りません。で、がっかりされるわけです。

 家では、ほとんどあてにされていません。子供たちは私以上に理解しているようですしmomoさん(嫁)は、優秀なネットのお友達に相談するのが常です。まあ私と違って丁寧親切なこと世の中にはその道のプロがいて上手回ってます。

 問題は人に誇れる私の得意は何かです。浅ーく、色々なことが出来ますがこれが得意というものがありません、どれもこれも中途半端なのです。突き詰めるのが嫌いというわけでも無いのですが、事足りたところで次に移っていました。

 手を広げ過ぎて余裕がなかったというより全体を見る必要があった、そう思っています。それでも器用な方、興味のある方はパソコン位使いこなす?ところが最近の若い方はパソコンよりスマートホンです。やっぱり私は中途半端です。
 

心を休める

 人には、休息が必要です。例えれば息継ぎのようなものですから休息を取らないと死んでしまうかも知れません。休息と気分転換は少し違うように思います。例えれば本を読んでいたのを止め散歩に行くようなものですから活動自体は止まりません。

 休息は必要ですが気分転換も大切です。私の場合はドライブに出かけ何時もと違う景色を見たり何時もと違う人と会っていつもとは違う話をしたりするのが気分転換です。車や自然や化学などそこには違ったジャンルの趣味の仲間達がいたりします。

 過去に自分の殻を破って外に出た先で出会った方々とのお付き合いは細々ですが幾つか続いています。男だからというわけでも無いでしょうがサッパリした付き合いの中にも何となくの友情があり、それは私にとって大切な宝物のような感じがします。

 そんな友達に会いに行った往復6時間は一人ドライブです。気の合う仲間に合うことや音楽を聴きながら混雑していない道を走ることは(運転には注意が必要ですが)私の趣味であり休息の一部にもなります。きっと、心のどこかが休まるのだと思います。

 

体がたがた

 実のところ・・。新しい、チャレンジを始めて一月半が経ちました。まあ、何とかなるさで・・嘘です。実のところ恐る恐ると何故か飛び込んだのですが、その過酷さは慣れるどころか日を追って厳しくなってきています。正直なところ、楽しい。

 Mだろう!と言われる方もおられるかも知れませんが、自分的に判断するならばSです。私的には、Mは満足のMであり、SはサービスのS。私から見て、あんな面倒なことは相手を喜ばすサービス以外に行う理由が分からない ・・ でしょ?

 高校時代にスポーツ部活に加わったことを思い出しました。筋肉痛で三階の教室に上がることに随分と苦労しました。体が悲鳴を上げていました。でも、部活を辞める気にはなりませんでした。それほどに体を鍛えることが楽しい年代です。

 今は体というよりも精神を鍛えることが楽しい?そんな悠長なことは言ってられません。兎に角体がヒイヒイと言っています。でも、あの時と同じで精神は安定しています。今自分がやっていることは自分に必要なことなんだと、知ってます。