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生活の幅

 毎日おなじような生活なのですが小さな娯楽もあります。こんな時期(感染症が流行)ですが強く望めば旅にも出れます。手元には、読みかけの本と作りかけのプログラムと整理前のデータもあります。何をするかの選択肢は多く、恵まれていると感じます。

 今の私にとっては、それが普通の生活ですし多くの人も同じような環境に近いのでは、と思っています。友人は、最初に勤めた会社でリストラに合い、次の会社は倒産し、ブラック企業に暫く務めた後に、勉強し再就職し、生活の基礎作りを頑張っています。

 随分と運が悪い彼ですが諦めない才能と親の援助がありました。社会の支援する仕組み(こちらから動かなければ利用できませんが)も利用しました。勤めだしてまだ半年ですが”やりがい”を感じている様子が伺え近況報告がしたくて仕方が無いようです。

 高齢者の選択肢が少なくなるのは、仕方が無いと思います。赤ん坊は、自身で(親を)選択することが出来ません。もう一つ、他人と折り合いの付かない人は、自然と選択肢の数が減ります。自分が絶対正しい人は、人を許せませんから生活が狭くなります。
 

羨ましい才能

 この職場は、真面目な人の集まりで誰もがそれなりに自分の仕事への自負を持っています。以前の職場では、立ち位置が違ったので見えづらかったのです、食堂などでたまに話す若い方々からは、やはり真面目さを感じていました。

 ただ、真面目と言うのと大人しいというのは、別な問題だと思いますし真面目でも賑やかな人は居ます。そして真面目で尚且つ改善する力を持った人も居ます。この真面目で改善する力を持った人が随分と少ないと私は感じています。

 以前の職場では、サービス担当の方がその一人でした。とても真面目で大人しい方でしたが、彼には気付きがあり疑問を感じた時に人に聞く才能がありました。そして、自分の手に負えない時、誰に頼んだら良いのか知っていました。

 ズット真面目で大人しい彼が職場に戻って話す言葉には説得力があり、改善はスムーズに受け入れられ多くの人がその恩恵を受けます。自然と重責を任されるようになっても彼は、真面目で大人しく、キットズットそうなんでしょう。
 

辛い思い

 その人次第ですが、失って得るものがあると思います。NHKの番組で”ベートーベンは耳が聞こえなくなってから心の声が聞こえるように成り、合唱つきの第九を作曲した”と放送されましたが、私の記憶では、当初、兄弟に「死にたい」と手紙を出していたようです。

 大切なものを失った時に人は、悲しみと苦しみを味わいますが、そこからまた歩き出す力も持っています。それを生命力と私は呼びたいのですが、歩みだすには,、悲しみと苦しみを消化するだけの時間が必要です。そして助けるでは無く寄り添う人が必要なのです。

 何をもって満足とするかは、その人次第です。多くのものを手に入れても満足しない方もいれば、細やかな日々の暮らしで満足する方もいます。どちらが良いというのではなく、それは受け入れる力の差なのだと思います。変化した周囲を受け入れる力が必要です。

 ただ、分かっていても自分の気持ちに反して起こる変化は、辛いものです。誰かが必要です。それが家族や兄弟、友人達であれば幸せでしょう。でも、それを受けられない方もいらっしゃいます。「帰りたい」そう涙する方に無力な私は寄り添います。時に期待して。
 

活性化力

 悩ましい問題として組織を活性化するには、トップダウンが良いかボトムアップが良いかと言うのがあります。正解は、モチロン同時に行うなのですが、親の心子知らず(子の心親知らず)では無いのですが、なかなか思いは伝わらないのです。

 人は、誰しも自分の立ち位置、視座から物事を見ます。トップであれば視野を広げるために現場に降りなくては成りませんしボトムであれば個別最適化では無く、全体最適化が見れる位置まで昇らなくては成りません。その上で視点を定めます。
 
 そして、組織全体の視点を同じ方向に向けなくては、活性化は成りません。視点が定まっていなくて良い方に進むのであれば、まぐれ当たりです。または、そのレールを用意して下さった方の視野がとても広く視点が定まっていただけなのでしょう。

 ただ、最近覚えたのは、一人でボトムアップを行う楽しさと言うものです。視点を定め様々な場面で同じ方向に向かう行動を取り続ける。別部署の方との挨拶一つとっても繰り返しで雰囲気が変わるのです。変える力は、誰にでもあるのです。

深層を知る

 自分は今”ファシリテーター”だと意識していない時には、なかなか中立であったり謙虚であったりすることは、難しいものです。特に自分の拙い経験であったり遥かに論理的であろうという自負が出てしまったりした時は、最悪なのです。

 何も議論だけが事を良い方向に進めるとは、限りません。ところがこの私、困ったことに議論好きだったりします。そのためしばしば相手を怒らすことも ・・ ふーっ、情けない。”ファシリテーションの心づかい”を教わり改めて考えます。

 「受けとめる・公平に接する・信じる・謙虚である・思いやる」私が正しくないと思うことであっても絶対に正しくないとは言い切れない、そんなことは百も承知のくせに我が出ます。それは、私の意見であって私達の意見では、ありません。

 対話に置ける発散と収束は、異なる価値観などをわかり合おうとする行為とその過程で良好な関係を構築していくこと、だと教えて頂きました。お陰様で一つ深く理解できたのかな、とも思います。なので、早々実践の計画作りです。(^^♪
 

互いを認める

 職場で外部研修を受けさせて頂きました。テーマ”ファシリテーション”です。以前の職場でも仲間達と一緒に学んだのですが、あの頃は、私が本などで学んで資料を用意する役割でした。こうしてキャリア・コンサルトさんから学べるなんてラッキーです。

 研修に入る導入部”チェックイン”を教わりました、ただ研修を受けるでは無く自分達も自主的に会議や研修に参加する工夫(今日良かったことを小グループに話、聞いた方が”いいね”と言う)がなされていて、スムーズに基本を学ぶことが出来ました。

 面白かったのは「柔軟性・時間・正義」など30項目の単語から自分の好きな単語に〇をそうでもない単語に△を付けなさいと言われ、その後丸の中から3つ特にを選び◎とし、その3つと△を選んだわけを隣の方に説明しなさい、隣の方は”いいね”を。

 相手の方が選んだのは「専門性・向上心・金銭」、私の選んだのは「◎専門性・信頼・調和、△美」全ての人に役割があり・お互いに認め合うことで・私にとっての幸せがある、そして美の基準は人によって違うのでそれぞれに決めればいい。”いいね”汗。

分からないだろうなぁー

 経理の資格を持っている(と言っても日商の2級だったかな?)からと時の総務部長が是非にと入社させた方が居ました。その方とは数年のお付き合いになってしまいましたが何度か数字の見方(経理)についての質問を受けました。

 都度それなりの回答をしたつもりでしたが、反応が思わしくなく「君なら、この会社の数十年分の損益と貸借を見れるはずだから比較してごらん」とアドバイスしました。でも、私の知っている初代を除き同じ見方をした人を知りません。

 簡単に言えば、売り上げの上昇に対し。材料費・外注費、建物の減価償却費、光熱費などが上昇していますが、生産性が十分上げっているので利益が出ている、その最大の要因は人件費が素晴らしく抑えられていることなのです。

 その理由は、簡単、コミュニケーションツールの導入です。現場営業の一言が技術や製造に伝わる。不十分な文書に対し説明しろと聞きに行ける。そんな金の生る木のようなツールを数字に埋もれるような金額で実現したけど ・・ 。
 

この一瞬

 近所の薬師池公園”紅葉ライトアップ”は、11月21日(土曜日)から11月29日(日曜日)午後5時から午後8時まで。まだ薬師池が沼のようだった頃から知っていますが、ライトアップがあることを施設の利用者さんに聞くまで知りませんでした。

 毎年行っていたそうです、それはそれは綺麗なのだそうです。施設の食事時間は、午後5時半ごろから7時半頃まで、そもそも寝たきりで誰も迎えに来てくれませんから今後見ることの無い綺麗を思い出されています。黙って話を聞きました。

 以前も書きましたが、私は先のことを心配しないことにしています。もちろん家族のための貯えや保険などに気を使いますが、それなりの準備以上のことは、気に留めないことにしています。気に病んでも、何も出来ないし良い事もありません。

 何よりも今が、この一瞬が大切です。私が一人の利用者さんと接するのは、一日の内の何分でもありません。でも、その何分かの間に会話が笑みが和みがあります。それ以上のことは、誰に対しても出来ません。でも、それで良いと思います。
 

その先に

 以前の睡眠時間は、3~4時間だったのですが最近は、6~7時間に増えました。どちらかと言うと頭脳労働だったのですが肉体労働に移ったせいでしょうか?神経を使うのは、以前と同じですがピリピリとシッカリ位の違いがあります。

 内容は、まるで違いますが仕事の夢を相変わらずよく見ます。ああすればよい、こうすればいいのでは、の繰り返しです。周囲に与える影響は、以前はシステム入れ替えで劇的に変わるも3日で慣れ、今は徐々に浸透していく感じです。

 環境が変わると自分も変わる。小学校、中学、高校と変わる度に私の外見的性格も変わったように思います。職場を変わると、やはり徐々に私の外見的性格が変わってきているのが分かります。今の仲間は、今の私しか知りません。

 そして昔の仲間に合えば、昔の私に戻ります。”今の私が昔に戻れたら”とは思いますが、何回もの失敗の数々が今の私を作ったのだと思うと、その経験を大切にし次に進みたいとも思います。仲間も私の向上心が羨ましいようです。
 

生きがい

 最終的には、全ての人がそうなのでは?一生遊んで暮らしたいと思う方もいらっしゃるとは思いますが、その生活が長く続けば何某かの社会貢献と言うか人の役に立っていたいと思われるのでは?私は、どうも私側に人を引っ張りたがる。

 ギャンブルやゲーム好きな方などの話を聞くと麻薬のようにその事に溺れ、自分の思いのままに過ごすことも出来そうな気がしてきます。何もしないでいるは難しくとも何かに溺れるは可能で何もことさら人の役に立ちたいなど考えないかも。

 個人的には、穏やかに余生を送るとか、天国で何の心配事も無く毎日を楽しく暮らすなどと言うことは出来そうも無く、出来ることならば、最後近くまで無理をしてでも何かの役に立ちたい、嫌だけど地獄の方が刺激的?などと考えてしまう。

 私には、何もしないでいるは難しくとも、それが望みで難しくない方もいらっしゃるのだとも思います。時々、そちらの方が幸せなのでは?と思ってしまうこともあります。波風も立ちにくいし無理に考える必要も無い。でもそれは、私では無い。