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仕事の予定

頭の中、紙に書き出して、パソコンに登録して、色々あるので仕事に当たる前には必ず予定を立てます。大まかな時もあれば結構細かな時もあります。業務内容によって様々ですが仕事の効率が大きく違ってきます。

仕事の見直しや反省は帰宅時、時には就寝前に頭の中で行い必要と判断すればパソコンを取り出し計画や予定の見直し、調整をします。でも大きな変更は、別な日、時間を取ってすることにし出来るだけ仕事の区切りをつけます。

これが長らく仕事をしてきて覚えた習慣です。習慣ですから特に大変なこともなく心の準備が出来た状態で仕事に当たれますから無理なく気持ちの切り替えが出来、集中出来ます。お陰様で同じ失敗は少ないです。

人それぞれですから仕事への当たり方もそれぞれだと思います。ただ、仕事の仕方は見えたとしても仕事に当たる前の思考プロセスは、聞いてみなくては分からず中々聞けないものです。そんな時、本が頼りになります。

大変だからこそ

仕事をしていて思うのは、計画的な各業務の組立てと負荷配分、状況変化に対する基本プロセスの枝葉と通達経路、そして少しの余裕と学習や夢のあるプログラムの準備が大切だと言うことです。

仕事には、波が有ります。売上が好調だとしてもそれがどの位続くのかが読めない限り増員はリスクを伴いますから投資は最終手段になるのが普通です。そこで期待されるのが改善活動なのです。

改善には、その業務全体を見渡せる能力が必要です。どのようなトラブルや状況変化が起こるか予測出来るだけの経験が必要です。そして課題を明らかにして解決したいと言う強い思いが重要です。

そう言った活動は、トップダウンで行われるのが通常ですがボトムアップで出来ない訳でもありません。それなりの経験と仲間からの信頼と強い思いがあれば、なのでが、こらが中々大変なのです。

感謝の気持

お中元の時期、お礼の電話やお手紙を頂きます。久しぶりの声に暫く話し込んだり、近況報告を頂き安堵したり、お世話になって今もこれからも感謝を忘れずにの思いを新たにしご挨拶を締めくくります。

本当は、訪ねたり手紙を書いたりもっと積極的に動けばとも思うのですが腰が重いのでこのところの自粛も口実に手抜きもいいところ、落ち着いたら、そう夏も終わり頃には、訪ねたいと思っています。

随分と色々な方にお世話になって今日まで来ましたが、親を助けてくれた親戚や何故そこまで?と思うほどに私を可愛がってくれた先輩には、生きてる限り感謝を伝えたいし私もそうありたいと思うのです。

幾つものご縁に恵まれて、辛い事も美化してしまうのが人ですか正しくないものはシッカリ正しくないと記憶して、感謝の気持ちから見つけた正しいと思う事を積み上げて、今日のご縁を大切にが生まれます。

この先は

 日本と言う国が天災に巻き込まれる都度、この命があるのは単に運がいいだけなのだろう、と考えさせられてしまいます。広く世界を見渡せば、大きな人災(戦争など)が絶えることなく勃発しており、わざわざ人同しが殺し合う理由が理解できません。

 それと同時に世界中の医療関係者などの専門家が自身の研究をひとまず置いてまで新ウイルス対策に乗り出し幾つものアイデアを生み出し短時間で形にして行くニュースを聞くのは、同じ人としてとても心地よく私の役割でそうありたいと思います。

 昔の人は、どうだったのでしょう?世界中どころか身の回りで起こっていることも新聞などで知るだけ、それさえも時の権力者に操作されていたら自分で判断しているつもりでもコントロールから逃れられないのが普通、SNSのフェイクニュースも同じ?

 未来の人は、どうなのでしょう?ミクロの世界もマクロの世界も今よりさらに科学され、その成果を人類が共有できていることを望んでいます。国と言う単位が無くなっていればよい、いざという時には隠し事が全て見えてしまうがいい、とも思うのですが。
 

誕生日に

 仕事の休みを取ってmomoさん(嫁)への誕生日プレゼントはサプライズ一切なしの単純一日サービスディ、送り迎えに三食支度無しと欲しいと言うプレゼントを2点ほど、この日のために小遣いを貯めましたから、大盤振る舞い!とまでは行きませんが(汗

 3度の食事の時には、最近momoさんの周りで起きた出来事を話してくれましたし、あまり物に拘らないmomoさんですが一緒に探し選んだプレゼントは気にってくれ他の用も済ましたので大分歩き回ってしまって疲れさせたようですが喜んではくれたようです。

 結婚当初は、どうだったでしょう?思い出してみればママゴト遊びの様だったような気がします。子育ては、それなりには手伝いましたが基本まかせっきり、が良い大人になってくれたと思ってます。男なんて、と言うより私って家での存在価値は薄かったかも。

 上手く行く人行かない人、様々ですが他人との人付き合いの中で一番濃い関係になるのが夫婦なのだと思います。気心が知れ甘えてしまい許される人も居れば呆れられる人も居る。我が家の場合には、単にmomoさんが出来た嫁であった、だけなのです。
 

残念ですけど

 4月入社の新人さん、私は前の年10月よりお手伝いを始めたので半年ほど先輩です。合言葉は「頑張ろう!」明るく気の合う仲間なんですが少し要領が悪いのか先輩方は心配のようで何かと世話を焼きます。

 私にもコツなどを聞きに来てくれるのでタイミングが合えば、やって見せたりやって貰ったりしていますが頭ではなく体が覚えるには今少しかかるかも知れません。それで良いのです。彼女にはタップリ時間があります。

 10年後、私は資格を取って知識もソコソコに得、私なりに満足しているでしょう。でも、10年後の彼女は、それ以上に輝いていると思います。じっくりと覚えた仕事は裏切りませんし、その明るさは人を温めます。

 残念なことは、この職場にも教える文化は根付いていないことです。前職場も、私なりに悪戦苦闘しましたが多分教える文化は根付いていないでしょう。教える文化が根付かなければ10年経っても一流には成れません。
 

存在

 プロ野球が開幕したと嬉しそうに話してくれたのは、元お医者様だったお爺さん。奥様に先立たれ話し相手も少ない今、数少ない楽しみがクラッシク音楽を聴くこととプロ野球をテレビ・ラジオで観戦することだと言います。

 体が思うように動かなくなった時、何を楽しみに生きるのか、それはとても大切なことだと思います。大き過ぎる望みは叶わないでしょうし、楽しみが何もないのでは悲し過ぎます。小さな役割と小さな楽しみが必要です。

 動けるのであれば家の周りを掃除するのでも良いでしょう。汗をかいたらお風呂に入るとか一日一合のお酒を嗜むとかの贅沢も有りがたいと思います。動けなくなったら助けて頂くしか無いのですが感謝は忘れたくありません。

 私は子供の頃から心がザワザワして落ち着かない時が多々あります。でも、誰かの役に立ちそうなことを少し行え、こうしてブログを書いたり本を読んだりすると落ち着きます。その人なりの役割と楽しみがあればと思います。
 

それぞれに

 上手にサボル?人が幾人かいます。その方達と組むと、相手の仕事を何かと指示されたり、終わらないとぼやかれ手伝いに回ったり、何時も仕事が忙しく成ります。逆に人一倍働く人も幾人かいます。特別のことが無ければ私よりずいぶんと早く自身の仕事を終わらせ、私や他の方のお手伝いに回ったり後片付けや整理整頓をしてくれたりします。

 でも、一番多いのは今の私と同じで特別なことが無ければ、少しだけ余裕を持って仕事が終われ、次の仕事を少しだけノンビリ(より安全に)行うことが出来ます。そして私の場合は、普段できないような仕事を声を掛けさせてもらう様に心がけています。多分どこでもそうなんだと思いますが、積極的に仕事に取り組むと新しい事を色々覚えるられます。

 この職場では、7月から昇格人事が適応されます。たまたまですが私も前職では、主任・係長・課長・次長・室長(部長)の役職を代理と言うのを挟みながら経験してきました。才能が無く、役員・社長にまでは届きませんでしたが課長辺りから誰もが着けると言うわけには行かなかったようです。多分ですが届かなかった人に足りないものは同じでしょう。

 今回、新しく主任になられた方も係長に成られた方も人の分まで働きます。仕事の工夫やその方なりの考え方を持ち意見も述べます。気力や体力も充実している様に感じられますし周囲への気配りもされている様に感じます。でも、それぞれに違う個性、違う生き方を持っている様にも感じます。そう、違うけど生き方を持っている気がするのです。
 

共有と標準化

 若いのに仕事の速い同僚が居ます。コツを聞いても笑っているだけでしたが仲良く成れたのか最近は色々と教えてくれます。彼女も私と同じで色々と工夫をし何度も結果を確認し統計から傾向を掴み自分なりの形を作り出していました。私の工夫と経験にも耳を傾けてくれるので話が合う気がしています。

 私は同じ仕事を続けること自体を辛いとは思いません。どちらかと言うと気付かなければ何時までも同じ仕事を繰り返しているタイプだと思っています。ただ、利用者目線や経営者の見方を学んできたので今は仕事をしながら何かと考えてしまいます。考えながら同じ仕事を繰り返し行うと少し見えてきます。

 見えてきたとしても直ぐに工夫をするのは危険だと言うことを知っています。工夫(変化)には副作用がつきものだからです。よく考えて同僚にも相談してみて上司の判断を得てから小さな工夫をしてみます。直ぐに結果が出ない時があるので辛抱強く経過を見守ります。結果が良ければ報告し共有します。

 誰がやっても同じように良い結果が得られれば、その工夫は成功です。成功ですが残念ながら標準化する仕組みは今の私には作れません。うーん、以前も気の合う仲間同士の共有は出来ても全体的な標準化は苦手だったような気がします。手間がかかるのです。私はそこまで辛抱強くはありませんでした。
 

見える世界

 あおり運転のニュース(動画)を見て「世の中にはこんな酷いことをする人も居るんだ」と思うとともに「ドライブレコーダーが無かったら犯罪としての立証は難しかったろうな」とも思いました。町中には防犯カメラが多数設置されるようになりましたし道路にはオービスやNシステムが設置されています。

 中国には個人情報と言う物よりも党本部が優先されますが日本では大きな犯罪に繋がらなければ個人情報は守られると思います。それであれば全てのことが白日の下に晒せる環境は悪くは無い?見つからなければ、掴まらなければ犯罪を犯す人が居て傷付く人が居るのなら必要なのでしょう。

 私が悪い事を一度もしたことが無いとは言いませんし小さな悪事でしたら子供の頃に幾つか経験しました。何が正しくて何が悪い事か、幾度も繰り返されるその判断の中から悪い事はあるけれども絶対に正しいは無いのではないか?とも思うようになり良し悪しを決めるのは人間だと気付きます。

 道具を使う生物である人間にとっては、ICT(情報通信技術)の発達も人の発達と言って良いでしょう。その発達の過程で人の体や思考に様々な変化が起き、見えないところ(匿名)での誹謗中傷や見えるようになった犯罪も私が子供の頃に経験した揺らぎと同じでは?とも感じるのですが、さて?