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思い込み

 如何せん思い込みが強い性格でして、一列の最後の一つを見付け手に入れる用意をして戻り違う一つを手に取ってしまう。種を明かせば用意の間に手前の一列の商品が幾つかさばけ最後の一つになっていただけの事。よく確認すればと後悔しきりです。

 少し話は大きくなりますが、林檎が落ちるのを見て重力を発見したニュートンさんが言うには「私は巨人の肩の上乗って見ているだけ」というように私も貴方も何億年という生命の歩みと共にある知恵の恩恵を受けて今ここにあります。なのに間違えてしまう。

 間違えることを知っているからこそ間違えないための工夫を繰り返し考え実践し次に繋げていく。問題は、知っていれば間違えない問題と体が覚えなくては間違えてしまう問題とどうしたって間違ってしまう(繰り返される戦争?)があると分かっていることです。

 そこに甘さがあり先を見通せなかったり見逃してしまったり見えているのに何もできなかったりしてしまう。多分、そう考えること自体が自分への甘さなのでしょう。時に人は天才を変人扱いし自分の気持ちをなだめます。もっと愚かさを認める私でありたいです。
 

進化論

 組織を進化させようとするには、二つの方法があります。大きな変革をまず行いそれを中心に周囲を引き上げる方法がその一つです。大きな変革とは、新商品であったり生産技術の導入であったりトップの入れ替えであったり様々です。

 もう一つは、全体の底上げです。組織は、縦と横の階層で成り立っているのが通常ですが、よく観察するとマトリクス的に関連しているのが分かります。この交点に対し情報と課題を提供し風通しをよくし考える楽しみを教えて行く変革です。

 それぞれの方法の欠点を上げるとすれば、前者は大きな変革を見出し続けなくてはならない点にあり、後者は人に対する教育を理念にまで高める必要がある点が挙げられます。もちろん両方一度に行えればよいのですが、難しいのです。

 通常、組織は進化しなければ寿命が尽き消えます。進化は考え行動する力であり同じ様に見えてもまるで違う組織へと生まれ変わらせます。進化には時間が必要であり中に居る人には気付き難いものだったりしますが、進化は必要です。
 

未来を語る

 ちょっと嬉しい招待状が届き、以前の仲間達と久々に会えるかもしれません。それぞれに課題を残してきたのですが ・・ 期待しない方がいいかな?どれもフォロー無しでは難しいとも思うのですが立ち向かえば必ず成長できたハズ。

 それは、生産の流れを学ぶものであったり在庫の管理を学ぶものであったりします。少し上級になると品質と言う概念を学ぶことにより組織として行動する面白みを理解するものもありました。そのまた上位には人を思いやる課題も・・。

 私が今新しい環境で新しい課題にチャレンジしているように環境が変われば課題も変わります。環境は何もしなくとも時間と共に変化するものであり、変化の都度生み出されているものなのですが、人はなかなか課題に気付きません。

 私なりには、一緒に過ごしていた環境には、どのような課題があり、目的に近づくためにどのような目標を幾つ設定しなくてはならなく、どのような手順で進めることでどんな未来が得られるのかを語ったつもりでしたが、力不足かな・・。
 

会話の時間

 会話の内容も色々ありますが過去の栄光を話すのは、自分を本当より大きく見せようとしているようで何となく罪悪感を感じます。逆に過去の栄光のお話を聞くのは、その方を知れるので楽しいのですが何度も聞かされると飽きてしまいます。

 やはり小さなことでもよいので等身大の今の自分を誇れたら嬉しいと思います。もちろんそんな報告やらお話しやらは大歓迎!思わず聞き入ってしまい聞き役の私自身も嬉しくなるし逆に一緒に喜んでくれれば嬉しさも倍増するのは皆同じ?

 誰とでも会話が成り立つというわけではありませんが私的に一番楽しいのは、未来を語る時間です。自分個人の未来もありますが特に科学や医学分野の未来の話は大好物で話し出したら飽きることがありません。でも、なかなか相手が(汗

 相手と言うならば、今一番大切にしたいと思っているのは、相手を思いやる会話です。それは相手を気遣う会話ではありますが憐れむ会話ではありません。過去も今も未来も全て含めたその人らしさをそのまま受け入れる会話が好きです。
 

怒り

 自分が間違えた時、間違えないまでも事が上手く進まなかった時に怒ったりしませんか?他のせいにしたりイライラをまき散らす方をよく見かけます(溜めこんで増幅させている人もね)。哀れだと思います。

 自分が間違えた時、間違えないまでも事が上手く進まなかった時に早口になったりしませんか?何が起こっているのか自分でも整理が付かずに”何とか対処しなくては”と空回りする。頑張っているのです。

 人それぞれですけれども出来れば、自分が間違えた時、間違えないまでも事が上手く進まなかった時の自分を冷めた目で見れる自分をもう一人、用意出来たらと思います。そいつから意見を聞きてみたい。

 多分その意見は、私の思っている通りのものなのでしょう。自我であり自己防衛本能なのだと思います。でも、殻の中から外の世界は変えれません。「外においでよ」と誘い教えてくれる{怒る理由なんて無い」。
 

恵まれる

 誰かが集まれる場所を作れる人がいます。幸いと言って良いのでしょう、私に誰かが集まる場所は作れないのですが何故か何時も周囲に誰かが居てくれます。そして悩んだり苦しんだ時に意図的かたまたまかは別として手を差し伸べてくれます。

 誰かが集まれる場所を作れるように成るには、それそうとうの知識と経験が必要だと思います。私は、落ち着かない性格なので色々なことを知っています。知ってはいますが誰かにそれを伝え場所を作れるほどの知識と経験の深さは、ありません。

 経験と知識の深さは無いのですが、それなりに真面目に考え行動し私の得意技である一生懸命空回りをしていると誰かしらが手を差し伸べてくれ、それが小さな輪になっていたりします。間違った考えですが出来ないことで少しばかり得をしてます。

 人は、残酷で冷たいようにも思えるのですが、これ程に優しく親切にされてよいのだろうかと考えてしまう時もあります。私もお年寄りや子供にお節介を焼くことはありますが、自己中の我儘人間なので手を貸すなどは。でも、ときに人は優しいのです。
 

言葉

 言葉より行動とは思うのですが最近言葉の力に驚かされています。もちろん一度や二度の言葉掛けでは、思いは風のように通り過ぎてしまいますし本心からの言葉でなければ相手の心に届かないのだと思います。

 本気の気持ちで何時もと同じように語り掛けるが続くと、少しづつ気持ちが近付いて居るのに気付く時が来ます。それは望んで得れるものでも無く相手が自然に受け入れてくれたことに喜びを感じる至福の一瞬です。

 良い言葉掛けは、相手の頭をリラックスさせ笑顔を呼びます。想像力を与え勇気を身に付けさせます。色々な意味での成長を助けるものなのだと思います。そして私もそんな風に接して貰えているのだと思います。

 行動は大事です。本当の意味での結果を出せるのは、行動だけです。でも、行動だけでは、相手に気持ちが伝わらなかったり自分の気付きも生まれにくいのも事実。返ってきて育ててくれるのが言葉だと思います。
 

暗殺!?

 誰かが大切に守っている命があります。それが普通なのですが誰かが簡単に消してしまう命もあります。守るものは、自分自身であり家族であり仲間であり、より多くの自分や愛する者を中心としたエゴなのだと思います。

 消してしまうのは、そのエゴに敵対する何か、自分自身の楽から始まり勝手に正しいと勘違いしている正義なのかも知れません。そんな事が許されないのかは誰でもが知っているのに何かの狂いが生じてしまうのですか?

 もしかしたら大きな力を持ってしまうと、それを使いたくて我慢が出来なくなってしまうのかも知れません。もしかしたら自分が決めないと正義が守れないと思うのかも知れません。本当にそうなのかどうか私には分からない。

 分かっているのは、心が満たされていれば争いは起こりにくいと言うことぐらいです。でも、多くの人は、これで満足ということを知りません。何かを手に入れた後も新しい何かを欲しがります。それが進化なら寂しいです。
 

悩んだら

 仕事に慣れてくるのと一緒に仲間も出来てきます。共通の話題は、仕事のことになりますが徐々に趣味や友人、家族のことなども話し出すと思います。そいしてお互いを知り合い良き同僚となって行くのが理想です。

 人間関係で会社を辞めて行く人がいます。上司に恵まれない、同僚と馬が合わない、企業倫理に問題がある、仕事がキツイ、理由はそれぞれあるでしょうが最初から辞めるつもりで仕事に付く人は、居ないハズです。

 私自身は、仕事がキツイと思ったことはありますが仕事さえしていれば周囲は気にならなくなる性質ですし仕事に夢中になっていると誰かしらが面白がって声を掛けて頂けました。単純に運が良かったのだと思います。

 会社を移ること自体を悪い事だとは思っていません。自分に合った仕事や職場関係との出会を手に入れられるかもしれません。そのためにはポジティブに自分の良い面を探しましょ、見つかれば道も見えるハズです。
 

ごあいさつ

 恥ずかしいのですがブログを続けているとランキングなども気になってしまいます。1000番を切りますが100番を切ったのは、十年続けて数度あったでしょうか?何かしらのご縁で寄っていただく方々に感謝です。今年も宜しくお願いします。

 何事も人と自分を比較する必要は無いと思っています。思ってはいるのですが憧れる方達は沢山います。できれば私もそうありたい、もちろん容姿その他は無理ですが心の在り方、判断の正しさ、実行できる体力と行動力が欲しいです。

 それぞれがそれぞれに合った生き方があり、どれが正しくてどれが悪いはありません。ただ、その生き方を自分自身が良しとするかどうかの違いだと私は思っています。その価値を見極める力を養うには、それなりの時と苦労が必要です。

 そんな風に考えるように成るには随分と時間がかかったし、道半ばに届いたのだろうか?とも思っています。毎日をそれなりの緊張感を持って過ごせ、時に気を抜き今を楽しいと感じる。今年も人を自分自身を見つめて行きたいと思います。