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成長期

ジュニア(息子)の会社が順調です。立ち上げて数年ですが市からの援助が決まり県から表彰の話も頂きました。生産は追い付かず新しいお話も次々と入り売上利益ともに毎月倍々に。

 素晴らしいと思います。思いますが毎晩夜中の3時ごろに目が覚めアイデア出るので書き止め翌日会社で再検討するそうです。何だかちょっと前の私と同じになってしまった様ですね。

 四六時中仕事のことを考えています。責任感とプレッシャーで頭がパンパンなのでしょう。悪いことではありません。それに私と違って運動の趣味を持っていて良い結果が出ています。

 生きていると幾つもの波に出会います。楽しむ余裕も無い時もあります。それでも毎日達成感のようなものを感じたりするので頑張ったりします。そんな時も必要、応援したいと思います。
 

社長の役目?

 ハローワークを見学してきました。就職先をを紹介していらっしゃる方のテーブルの上にはなぜか雇用する側の社長の責任について書かれた案内があり、見渡せばどのテーブルにも紹介される側に見やすいよう置かれていました。

 個人的には雇用側と雇われる側の気持ちがそろった時だけ就職が決まるものと思っていますが、力関係は時代やタイミングにもよるだろうし必要とする能力と持っている能力にもよります。

 いずれにしてもご縁なのですが一度就労が決まれば目的は同じ、会社の利益が満足の範囲で得れるよう行動する。その意味において雇用の責任は社員にもある、そんな風にも思ってしまうのですが長く勤め過ぎたせいでしょうか?

 仕事に良い仕事と悪い仕事がないように人にも良い人と悪い人は無いのだと思っています。あるのはご縁と相性、それに若干のまじめさが必要なのでしょう。だから社長も社員も自分を楽しめばいい。そんな風に案内を見て思いました。

 

証明

 何十年ぶりかで証明写真を撮りました。いや待て、数年前に運転免許証の更新で撮っていました。

 自分が自分であることを証明するものは何でしょう?2種類あります。1つは、今回写真を張って送り作成依頼したマイナンバーカードなど。もう一つは何らかの行動を通して証明する自分らしさなのだと思います。

 私の性分や経験と知識を一言で書き表すことは出来てもそれが相手に伝わることはありません。何らかの切っ掛けがありご縁を通して初めて披露することが出来るものですが相性もあり理解されるとも限りません。

 私は私が私であることを誰かに証明したいのか?証明しようとして出来るものではなく、そうありたいとしても行動から相手は勝手にわかってしまうものなのです。うーん、久しぶりに撮った証明写真は頑固そう?(笑
 

未前処置

 今やっておかなくてはならないことが分かりますか?過去においてやるべきことを聞かれれば答えることが出来ました。対外のことは未来と社会を整理すれば方向性がハッキリします。後は、本人の気持ち次第ですし、進み方は個性ですからご自由にです。

 今やるべきことを家族単位で考えるのは、ちと難しいです。両親、夫婦あたりまでは大丈夫でも子供逹の未来は見通せません。会社の将来の方が全然楽です。一人一人の未来と社会を整理して方向性について一緒に考えそぞれが見えてくるまで待つだけです。

 何れにしてもその時々での考えるが必要です。当たり前ですよね?でも考えないのも普通です。何故でしょう?多分考える癖が付いていなかったのでしょう。何かにぶつからなくては人はなかなか考えようとはしないので同じことを繰り返します。不思議ですね。

 未然処置でよく知られているのは予防接種です。保険などと言うのも何かにぶつかる前の手立てでしょう。そのように誰かが環境作ってくれたりを教えてくれるのを待つのも手ですが自分の将来設計は自分でやる。そして今やるべきこと、考えてみる。〇です。
 

環境を作れる人

 痴呆症の方逹に農業を行える環境を用意しお手伝いしている方のニュースを見ました。そう言えば以前読んだ本でも痴呆症介護現場で入所者の趣味に合った花の手入れや囲碁の時間を作ることで感情の起伏が落ち着いたと言う記事を読みました。

 人の寿命が延びているのですから様々な症状が体にも出るでしょう。それに気付かない人も大勢いて難しい問題が目立ってきて手助けする仕組みが徐々にですが出来てくる。良いこと悪いこと色々ありますが人の世界はそうしてユックリ変化します。

 人には反抗期というものがあります。理屈はよくわからないのだけれども今の環境を壊したくなる感情、と私は理解しています。若いころに起こる感情で見方を変えれば新しいものを生み出す基礎の感情だとも思っています。でも多くは何も変えれない。

 自分から環境を変えれる人は少ないのです。何となく何かを感じていても多くは不自然を不自然とも思わず今ある環境に染まります。でも誰かがより良い状態を教えてくれて今を見る力が自分自身に備わったら。そんな方が新しい環境を作ってくれます。
 

富の格差

 富の未来と言う題の本があります。2006年発刊の本ですから随分前に読んだ本と言うことになりますが再確認すると、例えば日本のサービス業における情報技術をアメリカその他のそれと比較し遅れを指摘しています。その結果は、皆さんもご存じの通りです。

 富とは何か?先進国の資本家が人から採取するものは労働力から知恵へと変わりつつあります。労働力自体は、海外の方にお願いするかロボットにお願いするかの選択肢があり、多少長いスパンでの費用対利益が検討され、賢い資本家によって選択されます。

 知恵は一般に感性とデジタル機器を使いこなす能力を必要とされます。日本の得意とする物を作る技術は大切です。大切ですが物が十分にある時代に置いては、良い品と言うだけでは不十分です。サービス業の発想、より利用者が気持ちいいと感じる物が必要です。

 貧富の格差は、高所得国であれば縮まると言う説もあるのですが同じ高所得国でもアメリカは格差が大きくノルウェーのように格差が小さい国もあります。ゴーンさんの考えでは大きくなる方向?これからの日本はどちらに?それは賢い国民によって決められます。
 

期待感

 システムの外観を作り後は部下に託します。上手く完成まで持って行ってくれれば嬉しいのだけれども。

 やってみせては基本なので絶対に必要。やらせてみては辛抱が必要。ただ、ある程度教えたら投げ出すもあり?何れは独り立ちが必要になるのです。

 投げ出されれてから本人の頭が回り出すか思考停止してしまうか個人差はあるでしょうが自力で考え出すことができれば一人前と言えるのです。

 頑張って考えたら行動あるのみ。失敗は当たり前、何度でもやり直せば良いのです。分からない事は聞けばいい。何とかやってくれると思っています。
 

五次元?

 昨日、教え方を四次元に整理していて何となく思い付いたことがある。それは、教えていて思い付くや気付くとか、教わっていて考え方を理解するとか概要を掴むと言った思考パターンは四次元を超えている?

 気付きや理解は突然やってきます。もちろん知識や経験と言う土台は必要だと思います。ただ私は、何故か分かってしまう瞬間、何故か出来てしまう瞬間を何度となく経験しています。それは五次元なのでは?

 五次元と言うものが、どうもありそうだと化学は言っています。それが脳の世界、想像の世界、閃きの世界にあるかも。と考えてみるのも楽しいと思いませんか?
 

四次元で教える

 少なくとも四次元まで私達は認識できます。であるのに多くの人は一次元(そのの瞬間瞬間)で物事を認識してしまいます。

 教えることについても生徒や部下などの瞬間だけを捉えて指導したのであれば一次元的であり教わったことに対しての正しい行動が継続するかと言えば疑問であり、さらに進んだ自主的行動を望んだとしても期待薄です。

 それでは四次元で教えると言うのはどういうことを指すのでしょうか、考えてみました。

 まず最初に確認すべきは、望むべき生徒や部下の将来像と個々の個性の確認です。社会でも仕事でも想像さえすれば将来の姿は無限です。その無限の将来に対する無限の個性に対しお互いに望ましいと思える未来を考える。スタートはそこからです。

 将来へのビジョンから描いたシナリオ、現実の問題から導いた仮説、これに対し直面している課題を投影していく作業が一次元から二次元に教えるを展開して行く、になります。

 具体的には、何らかの良くない結果に対し人では無く行動(プロセス)を分析し正しい行動を探しだし一緒にマニュアル化する行動になります。もちろん既に出来上がっているマニュアルを使って指導するのも二次元の教え方に入ります。

 難しいのは三次元の教え方です。まず最初に認識させるのは「立体的に視る」と言うことです。瞬間に発生した課題を理解させるには通常複数(例えば人・方法・機械・材料)の知識が必要になってきます。これらの知識を到達すべき目標に対し比較的分かりやすい事柄から徐々に高みに近付くよう機会あるごとに指導する。四次元的考え方が加わり難しいとは思いますがレベル毎のマニュアルが整備されれば出来ない事でもありません。

 本当に難しいのはマニュアルに出来ない考え方をどう伝えるかです。これにはどうしても教える側のカルチャーや価値観、人間力が必要になってきます。何故なら人の生き方に触発され人は自分の生き方について気付き考え自分なりの考え方を身につけて行くことで初めて教わる側を超えた考え方や行動が出来るように成るからです。個人的には教わる側と真摯に向き合いよくよく考えて行動しても「考え方を教える」はなかなか出来ない、後は教わってくれた側に託すだけです。

 とは言っても私もまだまだ教わる者。部下や仲間達には可能な限りのマニュアルは作成しました。生き方に付いては私を超えて頂けるよう気を配ったつもりでも不出来でした。でも、それでいいと思っています。
 

何故か楽しい

 昔もあったはずなのですが子供と一日中一緒と言うのはなかなか大変、疲れたのか早目の午後5時に寝付いたら当然早く起きます。夜中の2時、しばらくお付合いした後にやっと2度目の就寝です。

 添い寝に慣れないので何も出来ません。今朝がた子供番組を見ている今がメールチェックのチャンス、返事が遅れた方々すみませーん。ただいま悪戦苦闘中ですが慣れないを楽しんでおります。