上手な対話を考える

 当たり前のことですけど考えを押し付けると対話する気がなくなってしまいます。もちろん受ける方でも言い回しによっては相手の気力をなえさせることが出来るでしょう。対話を成立させるには「それを乗り越える気力を双方が持っている」か「上手な会話の仕方をどちらかが持っている」が必要となります。

 ただ、この「上手な会話の仕方は聴くことが特に重要」になるため対象者によっては十分な時間が確保出来ない場合が出てきます。その場合には相手の価値観を一時的にでも受け入れて違う見方の考え方もあると言うことを伝えられればよしとします。それでも対象者は気に入らないかも知れませんが。

 相手の考え方を受け入れるには、それなりの器が必要になります。この器は相手に対する思いやりや愛情によって育てることが出来ます。人に興味を持つことも大切でしょうし一緒に成長する楽しみを共有出来れば、なお素晴らしいと思います。それにより感情的にならずに相手が分かるよう話すことが出来ます。

 つまり相手が分かるように話せると言うことは「相手の言うことが理解出来るように自分自身の聴く準備が出来た」ことになります。論理的に話す話し方を相手の理解できる言語に翻訳したと考えてみてください。そうなんです!対話が出来ないと言うことはお互い別の言語で話しているようなものなのです。

 言語は、気持ちを通じさせるための道具です。ですので同じ言語で話せれば、お互いの心を通わせることが出来ます。心の通った会話が出来れば、お互いに気持ちの良い充実した時間を過ごせると思います。その対話のあとには、相互理解と感謝の気持ちが双方に残るのではと思っています。
 

真面なマネージャー(黒子)

 もし g-mon が真面なマネージャーであったとするのであれば、何時の日にか「あの人は本気で私を成功させようとしていたんだ」と気付いてもらえるのでは?などと勝手に思う時があります。

 とは言ってもそれ程「しっかり仕事に向き合っている」とは言い難いし「何が成功なのか知っている」とは断言できずに「ひたすら状況を検討」し「ひとつひとつ真面目に向き合う」が精いっぱいです。

 それでもやはり「誰かの役に立ちたい」と言う思いは強いので皆の「未来を描く」作業とそのために「何を学ぶべきか」を毎日仕事に追われながらも続けたい。人の上に立つが苦手な g-mon は、そう思うわけなのです。

 目立ち過ぎる黒子。それが今の g-mon のような気がします。それは思いが仲間に届き幕が上がるまでのこと。幕が上がり舞台が上手く回りだせば本物の黒子に徹する事が出来ます。マネージャーが目立つ必要は無いのです。
 

安らぐ時

 優しさって何だろう? g-mon の周りの人は皆さん優しい。こんなに甘えてしまって良いのだろうかと思うほどに優しい。我儘放題に生きているから余計そう感じるのか、とても大切にされていると感じている。

 当然皆さん自身のことが一番であることは間違いない。「いえ!私は子供が」と言われる方もあるかも知れないけれど、それさえも自分の思いなのだから自分のことが一番大切と言うことから外れはしない。

 それなのに何故か大事にされていると日々時々に感じる。嬉しいと感じ安堵を感じ楽しいを感じれる。そんな家族や仲間に囲まれていると心から思える。それだけに「何故?」が気になる、答えが見つからない。

 キット「優しさが何なのか」が分かれば安堵するのでは、と思っている。「何故優しくしてくれるのだろう?」と考えないですむようになる気がしている。余りにも自分中心に生きていているので不安、安堵が欲しい。
 

何かからの卒業

 「自分自身の小学校卒業式を覚えていますか?」幾人かの方にお聞きしました。中には「高校の時より覚えている」と言う方もいましたが大体はうる覚え g-mon も小学校の正門前で撮られたであろう写真は知っていますが卒業式自体は記憶にありません。

それに対して我が子の卒業式は何と誇らしいことか。この気持ちはお母さんならなおさら、同僚に「卒業おめでとう」と声を掛けたら何とも優しい笑顔で「ありがとうございます」と返してくれました。幸せをおすそ分けして頂いた気分です。

 人の成長を見るのは我が子に限らず幸せな気持ちになります。この時期は卒業式の帰り道であろう家族の集団に出会うことがあります。会社では昇給昇格などもあります。どれも成長の証です。でも同時に学校を離れる、職場を離れることもあります。

 同僚が職場を離れます。何かをしてあげられるなどど思うこと自体が間違いなのですが何もしてあげれなかったと悔やまれます。過去と他人は変えられません。今の自分を励まし離れた方には次のステップを楽しんで貰いたと願います。
 

失敗してしまった時

 先日のクラス会集合写真が届きました!写っていませんでした?そう言えば何枚か撮っていましたが1度だけ椅子の片付けに外れた記憶があります。ある意味、持ってます。

 タイミングを逃すと言うのはよくあることで後で後悔しても同じ時間は二度と戻ってきません(と思ってます)。であるならば失敗をしないようにと慎重にことを運べばいいのですが性格が邪魔をします。

 それが何故か可笑しいのです。自分を見て滑稽に思えると言うのは時間のゆとりは無くとも心のゆとりがまだ幾らかはあると言うことで、幸せなことなのかも知れません。

 人に決められるのではなく自分自身で決めた自分の個性の良し悪しは一度おいて置いて、今の時間と今の結果を少し離れた所から楽しむ。これはなかなかの贅沢だと思います。