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責めない

 人を責めるのは簡単ですし人によっては、人を責めることで優越感などを感じ満足されるのかも知れません。しかしながら人を責めることによってことが良い方向に進むのは稀です。多くの人は人から責められ心が傷付きやる気を削がれた経験があるハズです。

 そもそも人は間違いを繰り返し考えながら成長して行く生き物なのです。ところが責められると防衛本能からこの考えるという行為が委縮してしまいパニックになったり自分の殻に引き籠ってしまったりし思考が停止してしまう。もちろんそうでない方もいるのですが。

 それでも気付かない失敗を気付かせて上げることは悪い事ではありません。が上手くやる必要があります。笑顔が必要ですし事前に事の前後の状況把握や場合によっては、その方の背景の変化などにも気を配る情報収集までもが必要あるのかも知れません。

 パワハラによるプレッシャーがかかっているかも知れませんし仕事の魅力や価値が伝わっていないのかも知れません。そして多くの場合教える方も気付いていない処理手順の不具合が見つかったりするのです。改善のためにも簡単に責めてはダメなんです。
 

繋がり

 友達が多いというわけでも無いのですが、その時々に出会った幾人かの人とのお付き合いが細々と続いています。学生時代の遊び仲間や同級生であったり、以前の部下や同僚であったり、趣味や勤めてからの外部勉強会のお仲間であったり。

 そして新しい同僚などのお仲間も増え、どこかに出かけてみたり、時には飲み会に誘われ時には遊びに誘ったり、一人の人とお会いするのは年に一度か二度ですがそれが何年も続いていますし合えば何時も会っているような会話が始まります。

 時々思うのは、例えば趣味で出会った大師匠様などと”少し濃いお付き合いが出来たらいいな”などですが実際には、自分の事で手いっぱいに成ってしまっていて身動き取れない状態です。そう、何時も忙しく何かに追われているのが好きなのです。

 ですので、その合間合間に出会える友達にも限りがありますし、それだけ貴重な友達との時間をより大切にしより楽しみたいと思うのです。それは私自身の心のリフレッシュの為であり友達同士による情報交換からの奮起、頑張りに繋がるのです。
 

概念

 普段、あまり気にしないのですが在庫という視点で物の流れを考えると人の動きの関係が見えてきます。トマト1個にもスーパーの店員さん、裏方さん、発注を決める人、生産者に運ぶ人、肥料やビニールハウスの材料そして農機具を作る人逹。

 個人の才能の塊みたいな芸術家でさえ売ってくれる画廊が必要で買い手の方も何某かの働きを持ってお金を用意します。このように飛んでもなく大勢の人の繋がりによって私たちの生活は維持されているのですがなかなか認識できないのです。

 政治にしても経済にしても企業における生産管理や品質管理にしても結局のところ人というものを対象にした考え方に他なりませんし日本人が作るモノの品質が良いと言われるのはモノに関わる一人一人の人がとても真面目だと言うことなのです。

 そのことを概念としてまず最初に捉えておいてから人の成長に付いて考えて行くと基本は性善説なのだろうというところに私は辿り着きました。もちろん全員とは言いませんが人を信頼し期待し知識と経験を分けたり貰ったりという概念が好きなんです。
 

在庫3

 何かが必要な時、出来れば必要な数だけある方が良い。余れば何か落しているのだし足りなければ間違って使用していることが分かります。でも実際には、トマト半分で足りる時もありますし、トマト3個が1パックで販売していたりします。

 工場でも、何度も取りに行く手間や作業現場のスペース、生産予測量などを考慮しロット単位で物を補充しています。例えば、部品が半分になったら半分補充したいのであれば入れ物を2箱用意し空になった方を前工程に持っていきます。

 前工程は、予め1箱の在庫を持ちそれを後工程に渡すとともに1箱の生産を始めます。こういった流れが1つの完成部品に対し材料レベルまで続くのが理想ですが、流れを維持するのに一番問題になるのは不良品などの不足事態です。

 不良品を作ればやり直しや新たに作る部品が必要になり万が一、完成品に紛れ込めば何が起こってしまうか分かりません。これを防ぐために在庫管理の考え方に品質管理の考え方を取り入れるのです。在庫管理、結構奥深いのです。
 

在庫2

 車一台を作るに約3満点の部品が必要になります。日本の自動車メーカーは受注生産という形を取っていますがお客様が待って下さるのは良くて数か月、何を買うかを決めればその日にも欲しくなるのが人情だと思います。

 当然のごとく一つのラインで作られる車種は限定されていきますが皆さんも知っての通り車にはグレードがあり主要部品のエンジン性能や足回りの強度などが変わってきます。そしてそれらに付けられるオプションの数々。

 そう、絞られていると言えども使用するかもしれない部品が数千点増えることになり増えた部品それぞれに生産工程があります。結果、部品の在庫地点はカタログにある選択肢を中心に、どんどん広がり管理されています。

 この在庫管理の計算をコンピュータでするのがMRP(資材所要量計算)です。基本は昨日のブログと同じ、少々面倒なので機械に作るまたは買うの計算をさせるのですが出始めは月に一度の計算で良いと指導されていました。

 とんでもない!毎日計算は行います。そして一台生産毎の修正がされる工夫が必要になります。
 

在庫

 急に物の管理に付いて考えたくなった。「物は、必要な時に必要な数だけ適正な品質と価格のものが必要な場所にあればよい」のだけれども、家庭であれば玉ねぎが半分残ってしまったり、企業では顧客の希望納期に物がそろわず受注を逃してしまったり、と言うことが起こる。

 残り物を無駄にしないため、多くの顧客が期待する納期に間に合わせるため、在庫というものを持たなくてはいけなくなるわけだが、在庫を持つと言うことは価値を寝かせておくと言うことなのでその量や期間をできるだけ短くしたいと考えるのが普通だ。それには何が必要だろう。

 まず資金繰りは必要だ。用意できた資金から考えるのは、用意するのにかかる日数と必要と予測される消費される個数、用意するのに加工が必要であるのであればそれも加味しなくてはならない。顧客の要求は数十分なのか数週間は待てるのか、商品の保存可能時間は幾らか。

 家庭であれば家族の顔を思い浮かべながら財布の中身と冷蔵庫の中身を比較しチラシの特売品などを眺めながらどこに何を買いに行くかを決めて行く。会社であれば営業などにお伺いを立て今までの経験から求めた計算式なども駆使し経理の許可を得る。どちらも楽しそうだ。
 

見つめる

 そこには、慌てふためいて手順を間違えたり落してしまう自分が居ます。それを少し離れて見つめてみると、そこに追加の手順の割り込ませ方や理解されていない手順に対応できない自分が見えてきます。それが慣れると言うことだと思います。

 間違いや落しが誰にでも起こる事なのは、誰でも知っていると思います。あまりに忙しく、それでも自分で決めたこととしてこのブログを見直しなしでアップすると当然のように誤字脱字が散見されます。数度見直したとしても間違えは起こるのです。

 もちろん慣れた人であれば、落しを少なくする事は出来るでしょう。それでも絶対は無理なので第三者などの目を借りることになります。面白いのは、第三者が他人とは限らないことです。例えば指差し確認は、自分を第三者に仕立て上げれます。

 その自分を第三者に仕立て上げる行為にも慣れるまでの訓練期間が必要です。それに個人差はありますがその物事に対する愛情とか誇りとか使命感とかがあれば何とか成るものだと私は思います。後は同じような気持ちで他人を見れるかです。
 

楽天家

 何かが出来ない時に失敗は素直に認めた方がいいし隠すと心の傷になると思う。心の傷を作る位ならば、その内に何とか成ると開き直り世の中を楽観的に見ていればいい。素直に反省し次に備え遅くても良いから前に進む。

 負けないこと逃げ出さないこと、それをカッコイイと私は思う。あれ?そんな歌ありましたね。(⌒-⌒) 楽天的に生きるのも簡単では無いのがこの世の中ですが戦争のまっただなかの国でも子供たち中心に笑顔がありますよね。

 子供に玩具を与えれば喜びますが無ければないなりに棒とか鍋の蓋とかを使って遊びます。子供が集まれば鬼ごっこや隠れんぼ、仲良くなり何かしらの遊びを見つけ出し走り回ります。それを見て大人も笑顔を取り戻します。

 小さなことに楽しみを感じられる心と怖がらずに誰かに甘える力を誰もが最初は持っているのだと思います。ですから、その時点でやるだけやったら甘えてしまいなさい。その方が結局のところ自分にも周囲の人にも良いのです。
 

社会的少数者

 人には向き不向きがあり頑張っても結果が出無いこともあるのだけれども、それでもその夢を追いかけたくて人の何倍も努力して(但し多くの人、または特別な人は努力せずともそれが出来る)結果、夢の端っこにかじりついている人がいます。

 出来る人から見れば、出来ないが分からないし可哀そうから呆れるに変わったりもします。そこに人間の悲しさがあるような気がしています。成功し続けた素晴らしい人逹と同じ数だけ失敗し続けた人達がいると考えるのも間違いでもないのでは?

 それは何も競争社会においての話だけではなく生まれ付いてのハンデや運(お金持ちの親?何故か犯罪者になった人?)に恵まれなかった人に対する道は決して広くは無いと思うのです。それでもその道を進もうとする人がいれば、応援したい。

 結局のところ、そう思う変わった人というのもこの世の中には居ますし社会全体としては、社会的少数者を尊重しようという方向にはあるのだとは思います。民主主義が多数決だと思ってしまったら前に進めない世界というのもあるのだと思います。
 

結局のところ

 協力し合い助け合った方が全体としては上手く行くと分かっているのに敵を自然に作るのも人間なのかもしれません。理由は色々つけられるのでしょうしその日の体調なども影響しそれを自分のせいにしたくないので仲間を作ったりするかもしれません。

 この詰まらない争いを防ぐには共通の目標と共に高い目的(理念)が必要なのですが人の気持ちを合わせるだけの目的であったとしても人の思いは人それぞれなので解釈も様々、伝わりにくく結局それぞれの思いのままに集団を作ったり孤立したりです。

 過去の歴史を見れば進化には過酷さが必要でした。何度も繰り返された生命滅亡の危機が今の私達を作り今も大きな争いごとに巨額な投資が行われ効率の良い殺害方法が編み出されている。その温床になっているのは、もしかしたら身近なイジメ?

 人であればそう言った部分が無い人は極々稀なのだとも思います。思うのですがそうではない部分も併せ持っているのが人間なのだと思います。であるのであれば、やはり国や世界レベルで持てる高い目的が必要なのですがそれが何なのか分からない。
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